mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

山奥の桃源郷

2024-04-22 10:19:30 | 日記
 曇り。ところによっては雨が落ちるかも、傘の用意を、という予報を聞いて家を出た。駅近くになって、ポンチョはもっていたが折りたたみ傘を忘れたことに気づいた。でもまあ、いいか。寒くもないし、雨は海に近い千葉や東京だ。奥武蔵は大丈夫だろうとタカをくくった。
 高麗駅を歩き始めたのは8時5分。ちょうど11年前に長兄と一緒にこのルートを歩いたが、道をすっかり忘れていた。その後2年前、一年前の負傷のリハビリ中に回復度合いを計るためにカミサンに付き添ってもらってこの山に来たときは車で登山口まで来て、物見山への往復を歩いた。
 昨日(4/21)は日和田山、物見山から北向地蔵を経て観音ヶ岳、スカリ山、ユガテを通って東吾野駅に向かう4時間ほどのルート。山を歩くことで、筋力もそうだが、何よりバランス感覚を取り戻さなくてはならない。日和田山の男坂は岩を摑み身を持ち上げるルート。体が重い。柿色のヤマツツジが大きく花をつけている。それをカメラに収めていたアラフォーの男が、やってきた私に気づいて「陽が当たるともっとイイのですが・・・」と口にしたすぐ後に、雲間から陽ざしが差し込んできた。彼も「あっ」と、一旦仕舞ったカメラを取り出そうとしたが、柿色は一瞬のご褒美を見せてすぐに緑の間に添える彩りに変わった。
 日和田山の二の鳥居には二人の親子連れふうの男性が麓の飯能市をみろしていた。薄雲がかかって遠くへの見晴らしは聞かないが、南西の町並みは見おろせる。登山口から20分ほどで着いた。足を止めることなく日和田山の山頂へ向かう。踏み跡がそちらこちらに付いていて、山肌は荒れている。山頂からは東の方面が見渡せる。こちらは低い山脈と緑が広がる川越方面か。
 次の高指山へは歩き始めて1時間20分ほどで着いた。リハビリ中には出発時間は1時間以上遅かったが、ここでお昼を摂ったのではなかったか。登山口から2時間かかっていたかも知れない。その時お昼を摂った芝生は立ち入り禁止の縄がはってあり、中にあったベンチは外の舗装路に移されていた。物見山の山頂手前で休んでいるアラカンの小太りの男を追い越した。挨拶をすると彼は挨拶代わりにか、
「いくつ」と聞く。
 えっ何、歳? と返すと、そうと頷く。81と伝えると、へえ凄いと言葉を添える。立ち止まってしばらく山談義をする。富士山に登りたいと彼はいう。ぜひぜひ。60代で歩いていれば、70代になっても富士山に登れますよと励ます。山頂では小太りアラカンの同行者らしきアラコキの男がベンチに座ってお湯を沸かしコーヒーを点てている。少し言葉を交わしていたら、アラカンも登ってきて、「81だってこの人」と告げる。アラコキは山の楽しみ方を知っているようだ。
 北向き地蔵への道を取る。下道からやってきた若いトレイルランナーが私の手前でヘアピン的に折り返すように北向地蔵の方への踏路に入って走り去った。ゼッケンをつけているからレースが行われているのだろう。そうか、今日は日曜日だ。歩いていると、次々と後からランナーがやってくる。音がすると傍らへ寄ってやり過ごす。ランナーは「すみません」と声を上げる人と「ありがとう」という人と概ね二通り。うん、ありがとうの方がこちらには響きがいいな。「頑張って」「すごいねえ」「きをつけて」と声を返すが、ランナーにとってそれらはどう響いているだろう。
 ところどころに「→」がつけてあり、「15km」という表示が木に掛けられていた。へえ、ここまでもう15kmも走っているのか。ゴールまでは何キロあるんだろう。若いって、やっぱり凄いなあと思う。車道を横切るところには係員がいて、ランナーに注意を呼びかけている。その一人にスタートはどこ? と尋ねると毛呂山グランド、全部で24kmのコースですと応えが返ってきた。そうか、あと7,8キロか。
 北向地蔵でランナーの走る方向へ歩き始めて、あれっ、ここを行くと違うぞと気がついた。毛呂山へ下る道と私が予定したルートはここで分かれる。元へ戻り、道を修正してスカリ山の方へ向かう。向こうからゼッケンをつけていない女性が二人、ランナー同様の小さいリュックを背負って走ってきた。えっ、レース? と声をかけると、援助スタッフですと返事が返ってきた。ランナーがすでに通り過ぎた地点のサポート・スタッフが役目が終わって近道を通って戻ってきているのだ。この後そういう人とずいぶん沢山すれ違った。その山ルートは人一人が歩くのでいっぱいになるほどの細い道であったから、声が聞こえると手前の少し広いところで待っているようにした。彼らは一仕事追えた悦びを湛えて言葉を交わし、軽々と下っていく。彼らも元ランナーだったのかなと思った。
 エビガ坂の車道を横切る地点でやはりスタッフの一人に会った。「迷惑を掛けます」と彼が言ったので、ただのスタッフではないと感じて、トレイル・ランニングや地元振興マラソンなど参加者が少なくなっているという最近の新聞記事のことを思い出した。そうですね、30代、40代が減っていますと彼は返してきた。主宰者のご苦労とところか。ランナーの最終者を追って、大会役員が「→」や「キロ表示」の標識を回収してくるのを待っているという。あとでユガテ近くのベンチで私がお昼を摂っていると、彼を含めた3人が回収して通り過ぎていった。
 ユガテは子どもらの声が響く、広い草地の休憩所のようであった。早めのお昼を食べる私の前を通り過ぎていったハイカーも、ここでお弁当を広げている。しだれ桜が花をたわわにつけて今何本も立ち咲き、ここに来た人たちを言祝いでいるように見えた。山菜を採っている地元の方ふうの女性に「ユガテってどういう意味?」と尋ねた。
「湯が出たそうで湯が出が訛ったそうですよ」と教えてくれた。
「桃源郷の響きがありますね」と私が口にすると、
「今はもう二軒だけになってね。あ、私は麓から来たんですけどね」とつけ加えた。
  ユガテから下って25分ほどで舗装車道に出て、さらにそこから20分ほどで駅に着いた。いや駅が見えてきたところでホームの放送が電車のやってくることを伝えているのが聞こえた。ほぼ同時に、踏切のカンカンカンと鳴る音が響く。やっ、間に合う。走った。だが、改札を入ったところで、ホームに上がる道が遮断機で通れない。電車は来て止まっている。運転手の顔も見える。運転手は動じることなく、ゆっくり起ち上がり、ホームを見晴らすドアの方へ寄って、何かを操作する。遮断機が上がる。や、間に合った。ホームに出ている運転手に「ありがとう」と礼を言う。彼は、笑って私が乗り込むのを待ってドアを閉めた。ラッキー。雨も落ちなかった。そう、幸運に恵まれた山行であった。


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