「異変」が私に生じて、奥日光の案内を友人二人に丸投げしたのですが、無事昨日夜7時過ぎに彼らは帰着し、Kさんは「順調に行きました」と言い、Sさんは「若い人が明るくて、愉しかった」と笑顔で話してくれました。ガイドした7人のうちの6人が20歳代、4人が外国人だったことも、またSさんにとっては、今年自分のスノーシューを買い込んで(たぶん)三度目の雪山という初心のフレッシュさも手伝って、愉しくおしゃべりしながらガイドしたのだろうと推察しています。
案内を受けた(私の元同僚)Hくんからも「楽しい一日でした」とメールが入り、喜んでもらえたと胸をなでおろしています。私の「異変」もだいぶ良くなり、じんじんとした痛みがじわあっと緩く面積を持った痛みに変わり、何かをしているときには痛みを忘れていられるくらいに治まってきています。「痛みは3日から7日」と医者の言った3日目なので、案外早めに治るのかもしれません。
痛みを忘れるためもあって、3月26日の「第19回Seminarのご案内」を作成しました。今回のお題は「小さな窓口から」。町医者の奥さんとして務めてきた方の「医院・患者事情レポート」になるはずです。その「お題」へのコメントを考えていて、ふと三波春夫の言葉を思い出しました。
歌手の三波春夫が「お客様は神様です」と言ったのは1960年代前半。それは、神にささげる歌を歌っていると思って毎回舞台に立っているという意味だと、三波自身がいつかどこかで話していました。それを聞いたとき、ウタの原義に思いが飛んだことを覚えています。むろん日本のウタは主には和歌を指すのでしょう。いま手元にある本に引用されている「古今和歌集序文」は、読むだけで、私などが日頃忘れてすごしている、なかなかふくよかな感覚を感じさせる名文です。
やまとうたは、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、水にすむかわずのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをうまざりける。ちからをいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをも、やはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり。
この中の「あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ」が、ウタの原義を感じさせます。つまり、祈りの言葉としてのウタであったわけです。
大野晋『古典基礎語辞典』では「歌」について《もともとは声に出し、節をつけて、音数律という形式によって、自然に美しさや自分の感情を表現した作品をいい、この場合は、大体、拍子をとって表現する》とし、「畏みて 仕へ奉らむ 拝みて 仕へ奉らむ 歌付きまつる」と〈書紀歌謡〉を引いています。三波春夫は、神にささげる原義を忘れず舞台に立とうと、自戒の言葉として「お客様は神様です」と言ったと思えます。
ところが1960年代前半は高度経済成長の助走の時期でした。それは60年代後半から70年代にかけて飛躍的に伸び、私たちの生活も大きく変わってきました。それが後に、「一億総中流」時代を生み出し、高度消費社会に至ったわけです。その高度消費社会の波に浮かされてか、三波春夫のことばは「お客が神だ」と(消費者を)持ち上げる言葉に解釈される結果になった、と言われています。これは、時代の変化と、伝統的な社会のおもてなし感覚に媒介されて、異なった意味に使われるようになったのでしょう。消費者が調子に乗ってしまったのです。それは80年ころの「不思議大好き」とか「おいしい生活」という欲望拡大の商業路線と符節を併せて日本社会の一大流行になったとさえいえます。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が「エコノミック・アニマル」と西欧で揶揄される事態でした。とは言え、「お客様」は「貧乏神」だ「疫病神」だとまで話しは転がっていっていますから、一概にもてはやされたとばかりは言えないのかもしれません。
そこには、「神にささげる」という歌うスタンスも忘れられてきたことも示されています。神に対する「畏敬の念」も「畏れおおいという感覚」も失われ、それは私たち自身に対する自省の念をも消してしまったように思います。質素倹約して暮らすことも忘れらました。自分たちの暮らしに対する謙虚な見返しはどこかに蒸発してしまい、たぶん私たち自身の自然に対する敬意や、絶対的なものに対する「感性」が変容してしまったのだと、今になって思います。
「小さな医院の窓口から」という次回Seminarのテーマについてコメントしようとして上記のことを思い出したのは、「言葉」の持つ意味の変化が、医療分野においても同様に大きく変わってきたとどこかで思っているからでしょう。
医は仁術といわれるよりも錬金術と言われるようになっています。医は仁術という原義は、患者側にはいまだ変わらぬ医師に対する敬意・期待として残っていると私は思います。ですが、医療の高度化・機械化の波の中で、医師はTVモニター画面をみて診断を下し、患者の顔色をみることも目を合わせることもなく診察を終えてしまうといわれるようになりました。あるいは、病気の断片を診るばかりで患者の身全体をみる力を医師は失っているとも非難されています。それは「仁術」という人格全体に対する働きかけではなく、身体の機能性だけに着目した治療に目が行っていることでもあります。ここに、医師と患者のかかわり方にも大きな変化が見られます。
あるいは、医療費負担の厖大化の中で浮かび上がっているのが、医薬の高額化と錬金術としての医業。最近町医者を家庭の主治医として位置づけ、大病院を専門的医療機関として二次診療機関とする動きになってきました。医療制度全体の大きな変更に、患者はどう対応しているのか。医師はそれをどう受け止めているのか。医療費負担という経済効率の論理で考えられているだけだとしたら、患者は自己防衛の術すら持たなくなるのではないか。そんなことが気になって仕方がありません。
それらの「情況」を、「赤ひげ」と呼ばれた町医者の窓口からどう見てきたか。興味津々の、テーマです。岡目八目と言いますが、医師や看護師という医療の当事者としてではなく、傍らにいて患者側と医療側の仲立ちをする役割を担ってきたH.K.さんが、どう長年の変化を見てきたか。どう解析するか。おそらくそこには、彼女の人生そのものが浮かび上がってくるのではないかと思います。愉しみですね。