いい日寄りの歳末である。寒くもなく、晴れの日がつづく。にもかかわらず私は、ここ2週間、山に入っていない。師走のルーティン・ワークを片付けなければならないからであった。年賀を出す、歳末の買い出しに付き合う、網戸や窓の清掃をする、部屋の掃除や、余計なものを処分する断捨離もやらなければならない。年賀の印刷に失敗したり、正月の長旅に必要なお土産も買わねばならない。断捨離は、一向に進まない。それよりも、ふと気づいたことを、こうやって書きつける方が肌身の感覚にあっているから、ついつい椅子に座って片付けは中断してしまう。もうどうでもいいような気分になっている。
2015年の正月は当方が「喪中」であったから、年賀は来ていない。2014年の年賀を整理していたら、長兄からの年賀状が目についた。「穂高連峰(上高地から)」と題する自作の水彩画をつけ、「近況報告」と題して次のように記している。
《去年は後期高齢者になっていくつか新しい体験をし、実り多い一年でした。人生初めての本格登山で石鎚山に登頂(五月)つづいて槍ヶ岳の頂上も極めました(八月)。九月にはジャーナリスト仲間と北朝鮮を訪問、彼の国の奇妙な一面を垣間見てきました。体力の衰えを自覚しながら、週に一度のテニスは何とか続けています。ご休心ください。》
そうだ。次兄も共に、石鎚山や槍ヶ岳に登ったのであった。また2014年には、4月に亡くなった末弟の慰霊登山ということで次兄をともなって大峰山に登り、その足で次弟夫婦に案内してもらって高野山へ行き、末弟Jの水かけ観音を決めてきたのであった。それからであった。長兄も山歩きに意欲をみせるようになり、十月の秋田駒ケ岳や八幡平へ足を延ばすことになったのであった。夏に老母が104歳で亡くなり、長兄は「肩の荷を下ろした」とほんとうにホッとした感懐を口にした。それが気持ちのゆるみをもたらしたのか。老母の49日の日に長兄は急死した。老母が長兄を連れて行った、と思ったものであった。
そうだ。次兄も共に、石鎚山や槍ヶ岳に登ったのであった。また2014年には、4月に亡くなった末弟の慰霊登山ということで次兄をともなって大峰山に登り、その足で次弟夫婦に案内してもらって高野山へ行き、末弟Jの水かけ観音を決めてきたのであった。それからであった。長兄も山歩きに意欲をみせるようになり、十月の秋田駒ケ岳や八幡平へ足を延ばすことになったのであった。夏に老母が104歳で亡くなり、長兄は「肩の荷を下ろした」とほんとうにホッとした感懐を口にした。それが気持ちのゆるみをもたらしたのか。老母の49日の日に長兄は急死した。老母が長兄を連れて行った、と思ったものであった。
そうだ、長兄の墓参りにも行こうと思う。末弟の墓はまだできていないから、末弟の奥さんが住まわっている自宅にお邪魔しなければならない。長兄は(生前に)墓所が定まっていたから、一周忌に納骨した。そうしてみると、ご家族を騒がせることなく、訪ねたいときに訪ねることができる。お墓というのは、公のものなのだ。一昨日、行ってきた。
ひっそりとしているかと思っていたら、違った。我が身同様、陽ざしに誘われて来たのかと思われるほど、かなりの数の人たちが三々五々お墓参りをしている。壮大な霊園の、新しく開かれた一角は一周忌のときとほぼ同様に、何割かはまだ墓石が置かれていない。いくつかのお墓には何がしかの花が添えられ、中には線香の煙が立ち上っているのもある。27日に長兄のお墓の掃除をすると聞いていたので、花は用意しなかった。それでよかった。日がたつとドライフラワーになるシックな花が供えられていた。線香に火をつけてしばらく佇んでいたが、長兄が降りてくる気配はなかった。仕事に通うには不便ながら、長く一戸建て住宅に住んだ長兄が、ずらりと並ぶお墓の団地のようなところに納まっているのには、ちょっと違和感を感じるが、ま、ま、これも世の習い。
どうですか、母さんや末弟のJと会えましたか。と話しかけたら、「言うまでもない」ということだろうか、声はない。乳頭山がきつかったのかね? と内心に問うたが、答えは出てこない。
肩の荷を下ろしたのちに、いろいろとやりたいことはあったであろう。長年のジャーナリズム批評をまとめた、『ジャーナリストよ』と題する出版物も出したばかりであったし、秋田駒ケ岳を登っているときにも携帯電話で、ある新聞社のモンダイについての「相談」を持ち掛けられて、やりとりをしていた。私はこれらの山行にガイド的な役割で同行していたから、長兄に無理をさせたのではないか、どこかで見切って(割って入る)必要があったのを見落としたのではないかと、いまだに気に病んではいる。
肩の荷を下ろしたのちに、いろいろとやりたいことはあったであろう。長年のジャーナリズム批評をまとめた、『ジャーナリストよ』と題する出版物も出したばかりであったし、秋田駒ケ岳を登っているときにも携帯電話で、ある新聞社のモンダイについての「相談」を持ち掛けられて、やりとりをしていた。私はこれらの山行にガイド的な役割で同行していたから、長兄に無理をさせたのではないか、どこかで見切って(割って入る)必要があったのを見落としたのではないかと、いまだに気に病んではいる。
だが、(それを別とすれば)長兄の死に方は、ちょっとうらやましいくらいではないか。これといって体調の悪いところはなく、山歩きをし、八幡平の紅葉を「いや、これはいいときに来た」と堪能した直後の深夜、救急車がつくまでの5分ほどの間に、「急性(心筋梗塞とみられる)心臓死」をしたのであった。健康には人一倍気を配っていた。医師から「心臓に注意」という注意を受けたこともなかったのだから、ほんとうに青天の霹靂であった。私から言わせれば、理想的な散華だよ、と思った。
その声を聴きに、お墓に行ったつもりだったが、そうだよとも、無念だよとも、天啓は降りてこない。まだ機が熟していないのか、私の不信心のせいかと見える。
私は無事に、年を越します。今年も一年、このブログにお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
皆様方も、佳い年をお迎えになりますよう、お祈り申し上げます。
皆様方も、佳い年をお迎えになりますよう、お祈り申し上げます。
追伸:元旦からしばらく、長旅に出ます。また来年、お会いしましょう。ではでは。