Year In, Year Out ~ 魚花日記

ロッドビルドや釣りに関する話題を中心に。クラシック音楽や本、美術館巡りに日本酒も。

『パリ左岸のピアノ工房』

2009年11月21日 | 
いつだったかネットでピアノの楽譜を探していた際、ふと目にしたのがこの本でした。日本語訳が新潮社(新潮クレスト・ブックス)から出ているのですが、その後たまたま丸善に寄った時に原書を見つけ、読みやすそうな紙面だったことから買っておいたものです。

著者はパリに住むアメリカ人で、ふとしたことから住まいの近くでピアノ工房を見つけ、そこで小さなアンティーク・ピアノを買ったことから、その工房にまつわる人たちとの交流が始まります。もっと広く言えば、ピアノという楽器を通じて知り合うことになる人たちとの温かい交流が、筆者自身の子供の頃の思い出とともに、淡々とした筆致ながら、心に浸みいるような文章で綴られていきます。

工房の主は名前をLuc(リュク)と言いますが、彼がピアノのことを語るとき、そこには何とも言えない含蓄が漂います。例えば、

"A piano is just too personal."

こんなエピソードが出てきます。ある時リュクが、ピアノを売りたいという依頼を受けて依頼主(未亡人)を訪ねた時のこと。それは美しいプレイエル(フランスを代表するピアノメーカー)で、音と機構をチェックしようとリュクがシューマンの「トロイメライ」を弾いた途端、依頼主が泣き出してしまいました。彼女が言った言葉。「ごめんなさい、その曲は亡くなった主人がよく私のために弾いてくれた曲なの。」

ピアノが、家の中では家具と同じような位置づけでありながら、家具とは決定的に違うところ。それはピアノが音楽を奏で、音楽と思い出というのは切っても切り離せないという点だと、筆者も書いています。

他にも味わい深い文章がたくさん出てくるのですが、例えば筆者が心機一転、ピアノの個人レッスンを再開した時、その先生が、

"Etre patient avec soi-mere!" ("Be patient with yourself!")

こう言うのですが、これとて、今の年齢であればよく理解出来るのですが、子供の頃に言われてもピンと来ないだろうなぁと思います。

このピアノの先生をはじめ、300kg近い重さのピアノを一人で担いで階段を上がる運搬人(本の中では彼の名はアトラスと呼ばれています)や、腕はピカイチながらアル中ゆえ午前中しかピアノの調律が出来ない(頼めない)調律師など、個性的な人物がたくさん出てきて、この本に彩りを添えています。

ピアノを弾く人は勿論、自分は弾かないけれど家にピアノがあるという人、それからこれから自分が習ってみたいとか子供に習わせたいとか、とにかくピアノという楽器に興味をお持ちの方は、是非一度手にとってご覧下さい。ピアノを弾く人はピアノがもっと好きに、ピアノを弾かない人はピアノが弾きたくなること請け合いです。

Thad Carhart,
The Piano Shop on the Left Bank
(Random House)

T.E.カーハート著/村松潔訳
『パリ左岸のピアノ工房』
(新潮クレスト・ブックス)

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