He was charged with carrying out the Allied assault on the coast of Normandy in june
1944 under the code name Operation
Overlord,as the Supreme Allied commander.
(彼は「史上最大の作戦」と言われるノルマンディ上陸作戦の最高司令官だった)
Normandy D-day landing
(ノルマンディ上陸作戦)
ドイツのポーランド進駐で始まった第2次世界大戦の緒戦はナチスドイツが破竹の勢いで
欧州全土を制圧、イギリス本土にも上陸せんばかりの勢いだった。しかし1942~43年初めにかけてのモスクア進撃は、レニングラードでの歴史的敗北によってその勢いに大きな翳りがみえはじめた。この間イギリス本土にあった 連合軍 8万、船舶4千は好機至れりと、Eisenhower将軍指揮の下、Normandy(仏 北部正面)上陸作戦を決行、大勝利を勝ち得てヒットラー ドイツの死命を制することとなり指揮官アイクの名声は米国で揺ぎ無いものと
なった。 戦後の大統領選挙において地滑り的な大勝利を収めたのもこの作戦が連合軍の
勝利を決定的にしたからに他ならない。
Cancel to visit Japan because of the
campaign against the (Japan-U.S.) Security Treaty.
(安保闘争激化のため訪日中止)
1960年は日本の学生運動が戦後最高潮に達した時期である。その象徴的な事件が「安保反対闘争」である。同年6月15日に国会議事堂前での警官隊との激突中に起きた東大生 樺美智子さんの死は全世界に報道された。アイクはこの安保改定のため来日の手筈になっていたが、この騒ぎの数日前にハガティー秘書官が全学連に囲まれ、米軍のヘリによって辛うじて脱出するという事件もあって「身の安全」の懸念もあってか終に訪日を断念したと言う(日本政府側からの要請とも)。ともあれ第34代のアメリカ大統領(1953~1961)としてのアイクは”Do nothing”と酷評された時期もあったが、最近ではその「誠実な2期(8年間)の業績」を再評価する向きもある。