The buck stops here(責任は私が取る)
# I decided to do Atom-bombing on Hirosima & Nagasaki
1945年春はTrumanにとって何もかもが晴天の霹靂であった。
全く手持ち無沙汰だった副大統領j時代の彼が、就任僅か83日目で偉大なるRooseveltの
急死により或る日突然に世界で最も忙しいPresidentの役に就かねばならなくなったのだ。
また、それ迄つんぼ桟敷に置かれていた「原子爆弾の完成」が最終段階にはいっていた
こともStimuson長官より初めて聞かされた。 何たることだ。
第3にこの第2次世界大戦後の世界秩序の枠組み造りに老獪なStalin(ソ聯)や
Churchill(英)を向こうに回してこの俺が(アメリカ)主導権を取れるのだろうか?、、、ect.
米国南央部のミズリー州の農夫の子に生まれ、碌に大学も出ていないで細々と小間物屋を
やっていたのが、縁あって政界入りした。その後もたいした経歴もない彼にはこの突然の大統領職は
殆ど逃げ出したくなるような重責であった。 彼以外の誰も皆 そう思った。
しかし彼は着任するや否やすべてを精力的にドンドン処理していった。
戦争は終わりに近づいており、東洋の日本のみが絶望的な抵抗を続けているだけだった。
極東軍最高司令官のD.Macarthurをはじめ軍首脳部が猛反対するなかで、Trumanは
敢えて完成ホヤホヤの原子爆弾を広嶋、長崎に落とすよう決定をくだした。
理由は若し此の侭日本への上陸作戦を強行すれば少なくとも米軍に50~75万人の死傷者
を覚悟せねばならない。 第二に火事場泥棒式に極東で触手を伸ばしているソビエト勢力を
強く牽制する上でもその威力の誇示は必要不可欠である。
折角国家予算の大半をつぎこんで漸く作った 「原子爆弾」だ 試して見なくっちゃ!
The buck stops here!
# I fired him because he wouldn’t respect the authrity of the President
1950年6月に始まった朝鮮戦争はMacarthur司令官の指揮下、「仁川上陸」によって首都京城を奪回、さらに敵を中鮮国境まで追い詰めたが、そのとき突如中国人民軍の大群(10万人とも)が現れ、形勢はたちまち逆転、米韓主体の国連軍は敗退に次ぐ敗退をかさねるにいたった。
そこでMacは中国軍の兵站部である満州(中国東北部)を空爆によって叩くべしと強硬ににTruman政府に迫り、直ちに実行に移さんばかりの剣幕だった。
しかしこの処置は中国はもとより背後に控えるソ聯をも巻き込んだ第3次の世界戦争にもなりかねないと判断したTrumanは太平洋戦争の最大の功労者であり、6年にわたる日本占領で「天皇」より偉い権力者として当の日本人からも崇められたMacarthur元帥を突如罷免して、米国大統領の権威を見せ付けたのである。
世界中の人々は驚き、慌てた、 Trumannのやりかたを権力をカサに着た暴挙だと激しく非難した。彼は言った 「Macは世界情勢が見えない大馬鹿野郎だがそれが解任理由ではない。 本当の理由は彼が分を超えて政治介入し、大統領をないがしろにしたからだ!」と。
その時も 執務机の上には The buck stops here の文字があった。