お役立ち情報

これはFF奈良の会員の皆さんがちょっと便利だなと思われそうな情報やちょっと為になる情報などを提供するページです。

海石榴市(つばいち)

2008-11-19 19:27:08 | 大和し、うるわし
   前稿で触れた「山の辺の道」の南端に位置するこの海石榴市は露店が立ち並ぶ市場であると同時に古代の水陸交通の要衝であった。山の辺の道の他、飛鳥への道、竹之内街道を経て難波への道、伊勢路へなどは陸路。海路としては街中を流れる大和川を遡ると長谷寺へとつながるここは船着場ででもあった。

   だから難波津に着いた百済からの使者がキラキラしい仏を携えて初めてわが国に仏教を伝来したのもこの地であり(石碑)、又平安期には京の貴族藤原道綱の母(蜻蛉日記の作者)も長谷寺参篭の為に途中のこの街を通ったことであろう。
そして、、ここでは若い男女が集まって相聞歌を取り交わしたり、踊ったりする(歌垣)もたびたび催された。
    海石榴市の八十の衝(ちまた)に 立ちならし
                 結びし紐を  解かまく惜しも (万葉集)
   (いろいろな方面への道が集まるこの海石榴市の歌垣で、足で大地を踏みならして踊り睦みあいお互いの帯の紐を結んで愛を誓ったわたしが、何で他の男にこのいとおしい紐を解かさせようか、、そんなことは出来ないわ、、、、(意訳)
   
   秋の一日、街中にある観音堂のまえに佇むと思いなしか目の前に「美しいひれ(布)を翳した万葉の若い男女が笑いざわめきながら舞い踊っている」のが見えたが、あれは幻覚だったのか?、、、

      秋の日はたそがれ早し 村流る
        走りの水に 人影もなく     (保田与重郎=大和の詩人)