私の研究日記(映画編)

ここは『智に働けば角が立つ』の姉妹ブログ。映画の感想や、その映画を通してあれこれ考えたことを紹介しております。

『奇跡のシンフォニー』(Theater)

2008-06-24 12:20:18 | か行
 蒸し暑い日々が続く。こんな日は映画でも見て帰るかと、帰宅途中で海浜幕張へと立ち寄り、久しぶりに映画を見てきた

 『奇跡のシンフォニー』である。

 あらすじは、次の通り。

 主人公は少年エヴァン(フレディ・ハイモア)。孤児院で暮らす孤児である。そんな彼が、会ったことも見たこともない、それどころか生きてるのか死んでいるのかすらわからない父(ジョナサン・リス=マイヤーズ)と母(ケリー・ラッセル)を見つけるため、施設を抜け出す。父と母から授かった音楽の才能を、唯一の手掛かりとして。

 音楽を手がかりに父と母を探すというストーリーが、とても面白いと思った。

 ただ、場面展開が飛び飛びで、丁寧さに欠けているような印象も何度か受けている。まず、少年が孤児院を抜け出す場面では、父母を見つけに抜け出したのはわかったが、脱走の直接的なきっかけは何だったのか。ジュリアード音楽院での場面で、そもそもジュリアード音楽院にはどのようにして入学できたのか。ライラ(少年の母)が息子を探しに出かける場面では、死の縁に立たされていた父親はどうなってしまったのであろうか。などなどの疑問に対する解答の見つからないまま、ストーリーが展開、所々で唐突感を感じてしまった。

 『奇跡のシンフォニー』というタイトルの示す通り、主人公たち家族の再会は、いくつもの奇跡の上で実現する。この点については、偶然の一致としては出来過ぎではないかと思わせる場面もあり、人によってはリアリティに欠けると感じる人もいるであろう。
 それでも、私としては、こうした奇跡によって家族が再会に向かって少しずつ近づいていく展開が小気味良く、むしろ、この作品の難点を十分補い、全体として良い作品にしているように思われた。 

 また、冒頭の小麦畑の場面から、ラストのオーケストラの場面まで、「音」の嵐に圧倒された。ここでいう「音」というのは、単に音楽だけを意味しているわけではない。さらさらと吹く風の音や、キーンという氷の音、都会の自動車の音、バスケットボールをドリブルする音、こうした音の全てがこの作品のバックミュージックである。

 こうした音は、聞いていて不快感を全く感じるものではなく、むしろ、音の使い方が巧みで、各場面をうまく味付けするのに役立っている。これほど音を意識した映画も珍しいのではないだろうか。けっこう新鮮だった。
 
 音楽をテーマとした映画としては、私の中では『陽の当たる教室』が今のところベストであったが、この映画を見て再検討を試みなければなるまいと思っている。

『ナルニア国物語 第2章 カスピアン王子の角笛』(Theater)

2008-06-10 14:43:11 | な行
 先日、帰宅途中で『ナルニア国物語第二章カスビアン王子の角笛』を観て来た

 

 あらすじは、以下の通り。

 ナルニア暦2303年。白い魔女を倒したペベンシー兄弟が去り1300年後、ナルニア国の平和はテルマール人(人間)の侵略により奪われ、ナルニアの民は深い森の奥へ逃れ、潜むように暮らしている。
 こうした中、テルマール人の国の王位を狙う摂政ミラースは、待望の男児が誕生したその夜、次期国王カスピアン王子の暗殺を命じる。命からがら、城を落ち延び森へ逃げ込んだカスピアンは、追っ手の追撃から救いを求めるべく、伝説の4人の王と女王を呼ぶという角笛を吹く。
 前作の最後に現実世界へと戻った4人は、1年が経ち、ようやくロンドンでの暮らしに慣れてきたところである。しかし、それもつかの間。角笛の力によって、再び現実世界からナルニアの世界へ呼び戻されてしまう。ペベンシー兄弟はナルニア国の再興のため、カスビアンは、人間とナルニアンとの和平のため、偽王ミラースの率いるテルマール人との戦いを決意する。

 さて、ニュージーランドで撮影されているというこのシリーズ。深い森、草原、山などの美しい景色が映し出される。そのたびに息を飲んだ。景色の美しさは前作以上ではないだろうか。確か『ロード・オブ・ザ・リング』の撮影もニュージーランドで行われたと記憶しているが、つくづく景色の美しい国であると思う。

 話が変わるが、前作の公開から本作まで2年の月日が経っている。その間のペベンシー兄弟の成長にはとても驚かされた。

 特にエドモンド役のスカンダー・ケインズとルーシー役のジョージー・ヘンリーは、背も伸び顔も凛々しくなっており、久しぶりに会った親戚の子供の成長を見たようで、大変嬉しくなった(^_^)。自分は塾で働いているが、日常的に会っていると、子供の成長にはなかなか気付かないものである。

 思わず二人を見て、子供(とはいえ、恐らく収入は私などはるかに及ばないのだろうなー)の成長は実に早いものだと実感した。

 ちなみに、この点に関連して分からなかったことが一つある。

 前作『ライオンと魔女』の最後の場面は、立派な大人へと成長した4人が現実世界に帰り、姿も子供の頃に戻ってしまうというものだった。この場合、4人は見た目は子供だが、大人へと成長する過程で学んだことや経験は、そのまま残っているのであろうか。
 実際「(自分たちが)一度は大人だった」という台詞(確かピーターの台詞だったかな)があったが、本作の4人は、見た目は子供ながら中身は大人という解釈でよいのであろうか。この点が、自分には分からなかった。子供の役しては台詞が大人びているようにも思えるし、時折の言動には役柄が子供として設定されているように思われる部分もある。一体どちらなのであろうか。原作を読めばわかるのかな?

 また話は変わって、前作に較べて本作は、戦闘シーンが多い。というよりも、物語の半分ぐらいが戦闘シーンだったのではなかろうか。でも、そこはさすがディズニー映画。血が流れない。あれだけの戦闘が行われていながら、流れた血は350ccもいかないであろう。

 戦いでの人間の力は圧倒的である。人間が、ケンタウロスやミノタウロス、グリフォンといった神話上の生き物の力を上回ってしまう。とはいっても、1対1の戦いでは、間違いなく神話上の生き物の方が優れている。だが、組織化され秩序付けられた人間は、見ていて威圧感を感じてしまうほどである。こうした点は、社会を作ることで自然に対する無力を克服してきた人間の力を、うまく表現していた。

 そういう意味では、最終的にナルニアの民に負けてしまう、というより、ただアスランに対してのみ負けてしまう人間の姿は、結局のところ人間は自然や神に敵わないのであるという、作者の主張を示しているように思われた。

 それにしても、去年見た『300』を思い起こさせる重装歩兵軍団、カタパルトの破壊力、大空を舞うグリフォン、ドリアードの枝や根を使ったダイナミックな攻撃など、戦闘シーンは大迫力である。しかも、繰り返すようだが、戦闘シーンが長い。
 
 従って、単純に爽快感を楽しむなら、この映画は大変満足のいく作品である。しかし、戦闘シーンに時間をかけた分、物語の説明的部分や心理描写の部分が捨象されているんではないかと思うシーンもあり、ストーリーとしては薄っぺらさを感じた。

 映画ファンの中には、当然、爽快感だけでは満足できない方も多いと思うが、爽快感以上のもの求めるならば、この作品には物足りなさを感じるかもしれない。

 それにも関わらずファンタジー映画は見逃せないという人、良くも悪くも子供向けの映画と納得できる人には、十分見る価値がある映画であると思う。現実逃避指向のある私には、爽快感を得られるだけで、頭の中をすっきりとリセット出来るので、この映画は十分許容範囲内であった。

『アンブレイカブル』(CATV)

2008-06-10 14:04:47 | あ行
 先日、ケーブルテレビでやっていた『アンブレイカブル』を観た

 監督はM.ナイト・シャマラン。主演はブルース・ウィリス。といえば、『シックス・センス』でお馴染みのコンビである。

 公開当時のことを明確に記憶しているわけではないが、公開された『アンブレイカブル』への評価が芳しくなく、見ようかどうか迷っている間に終わってしまったのをよく覚えている。従って、この映画を見るのは初めてであるが、それ程悪い映画ではないと思った。むしろ、十分面白い映画ではないだろうか。

 まず、あらすじは次の通りである。大学フットボールチームの警備員の仕事をするデヴィッド(ブルース・ウィリス)。ある日、ニューヨークに向かう途中、乗っていた列車が脱線による大事故にあう。全くの無傷だったデヴィッド。それに対して、彼以外の131名の乗客は、全員死亡した。そんな彼が1枚のメッセージカードを受けとる。カードの差出人(イライジャ:サミュエル・L・ジャクソン)との出会いによって、彼は自分の思いがけない力に気づき始める。

 物語は静かに淡々と進んでいく。物語の舞台となっているフィラデルフィアは、どこか暗い。シャマラン作品に多い、最後のどんでん返しも地味である。このような意味で、『シックス・センス』など、この監督の他の作品に比べると、盛り上がりに欠けるかもしれない。

 主人公デヴィッドは、確かに特別な力(ずば抜けた腕力と、人の心を読む力)を持っているが、よくあるアメコミヒーローとは違い、この力に気づいていないし、信じようともしない。必然的に、一般的なヒーロー映画のように、悪者をバッタバッタとなぎ倒すこともない。

 だが、この作品の面白さは、そういうところにあるのではない。主人公が自分の力を信じられず葛藤する様子、それに翻弄される家族、ようやく踏み出した第一歩(この映画唯一のアクションシーンである)を描いたところにある。

 人間誰しも、自分が特殊な能力を持っているとは考えないはずである。そうした普通の人が、自らの特別な能力に気づき始めたらどうなるのかという視点は、普通のヒーロー映画にはない視点であろう。

 例えばデヴィッドと同じように私も、自分には特殊な能力など当然ないものと考えている。このような私が、突然「君には特別な力がある」と言われても、それを簡単に信じることはない。相手にいくら根拠を示されたとしても、この映画の主人公のように、単なる第六感だと言い張ったり、偶然の力が働いたものだと考えるであろう。ひょっとしたら、からかわれているか、騙されていると相手を勘ぐるかもしれない。

 また、仮に信じたとしても、その力を使って悪者を倒すとなると、今度は勇気と覚悟の問題であり、さらに心の葛藤に悩まされるだろう。

 こうした特別な力に対するヒーローの疑問や不信感は、普通のヒーロー映画ではナンセンスであり余り描かれない。それを描いてみせたところが、この映画の面白いところであるといえよう。

 この映画はヒーローの誕生を描いた物語であり、ようやく誕生した悩めるヒーローが、この後どうなっていくのかは見た人の想像に任されている。できれば、このヒーローのその後を見てみたいと思う作品であった。 
 

『ブレイブ ハート』(CATV)

2008-06-03 14:34:51 | は行
 先日、帰宅後たまたまケーブルテレビでやっていた『ブレイブ・ハート』を観た。
 スコットランドの伝説的な英雄、ウィリアム・ウォレスを主人公とした物語である。ウォレスの幼年時代から、イギリスに捕らえられ処刑されるまでが描かれている。

 大学の学部時代に一度観た映画であるが、さすがにストーリーは忘れており、見覚えのないシーンも盛りだくさん。初めて観たのと同じような状態であった。こんなにも忘れるものであろうか。記憶の衰えを感じるが、とりあえずは、当時は記憶に残るほど、面白いと思わなかったことにしておこう(^_^)。

 というわけで、二度目の鑑賞となる今回は、映画の内容をほとんど忘れており、新鮮な気持ちで観ることができたということもあると思うが、面白い映画であった。

 メル・ギブソンが監督であるだけに、「自由」を強調し過ぎるストーリーには若干政治的な意図を感じないでもないが、美しい映像(スコットランドではなく、アイルランドで撮影したそうです)とバグ・パイプの音色が、それを補って十分余りある作品といえよう。

『題名のない子守唄』(DVD)

2008-06-03 12:33:20 | た行
 日本で、昨年9月に公開された『題名のない子守唄』のDVDが、ようやくリリースされたので、即購入し早速鑑賞。

 大好きなジョゼッペ・トルナトーレ監督の作品である。

 舞台は、北イタリアのトリエステ。高校世界史では、「未回収のイタリア」などと説明される都市。作品では、美しい町並みの様子を見ることができる。

 あらすじは次の通り。「北イタリアのトリエステにやって来た異国の女イレーナが、金細工の工房を営むアダケル家のメイドに雇われる。それは周到に策を講じて手に入れた念願の職場だった。完璧な仕事ぶりですぐに主人夫妻の信頼を得ると、最初こそ手を焼いていた彼らの4歳になる一人娘テアの心も確実に掴むのだった。しかし、テアを慈しむイレーナの本当の目的を知るものは誰もいない。さらに、忌まわしい過去の黒い影が忍び寄る」(⇒goo映画)。

 物語は、いかにも秘密めいた部屋で、仮面をつけた裸の女の品定めが行われるという、主人公イレーナの回想シーンから始まる。インパクトのある描写に、冒頭から度胆を抜かれる。
 しかも、これ以上にどぎつい回想シーンが、物語の随所に織り込まれており、『ニュー・シネマ・パラダイス』や『海の上のピアニスト』からは、とても想像がつかない。回想は、特に女性が観るには辛いものばかりだと思うが、イレーナの背負う過去が、いかに暗いものだったかを物語っている。

 ちなみに、こうした回想シーンは、断片的かつ時系列もばらばらに織り込まれており、その時点では何を意味しているのかとても分かりにくい。回想を一つ一つ繋ぎ合わせて行くと、物語の中盤を過ぎた辺りで、ようやくイレーナの過去の全貌が見えてくる。
 謎は他にもある。なぜイレーナがアダケル家に忍び込んだのか、なぜイレーナは無理をしてまでアダケル家の家政婦になったのか、理由はなかなか明らかにされない。
 そもそも原題の“La Sconosciuta”(見知らぬ女)からして、ミステリアスなネーミングであるが、これまでのジュゼッペ作品とは違って、ミステリー性の濃厚な作品であるといえよう。

 とはいえ、全ての謎を解くカギはすぐに見つかる。アダケル家の一人娘テアである。テアに対するイレーナの眼差し、優しさ、厳しさを見ていれば、謎は自然に解けてくる。イレーナとテアの関係には、トルナトーレ監督の作風が良く現れている。

 最後の15分間にはやはり圧倒された。全ての謎も明らかになり、ようやくイレーナにも幸せの兆しが見えてきたと思われたのが、途端に大どんでん返しが起こる。
 この15分間は、涙を止めることが出来ない。結局幸せを掴むことができなかったイレーナがテアに別れを告げるシーン、さらに成長したテアとの再会のシーンは思い出しながらも目頭が熱くなる。きつい描写が多かった分、こうした場面が非常に際立ち感動的である。
 
 2度目の鑑賞であったが、1回目と同様全く飽きなかった。とても良い作品である。