私の研究日記(映画編)

ここは『智に働けば角が立つ』の姉妹ブログ。映画の感想や、その映画を通してあれこれ考えたことを紹介しております。

『卒業の朝』(CATV)

2009-03-24 11:17:26 | さ行
監督 マイケル・ホフマン
撮影 ラホス・コルタイ
音楽 ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演 ケウ゛ィン・クライン,エミール・ハーシュ,エンベス・デイウ゛ィッツ,ジェス・アイゼンバーグ,ハリス・ユーリン
製作 2002年(アメリカ)
時間 109分

 自宅CATVにて鑑賞(2009年3月6日)。

 あらすじ。「全寮制の名門男子校でギリシア・ローマ史を教えるウィリアム・ハンダートは、歴史を通して生徒に人生への良識を身につけさせようと、熱意を燃やしていた。素直で勤勉な生徒達はハンダートの熱意に十分応えていたが、上院議員の御曹司セジウィック・ベルの転入で状況は一変。ベルは何かにつけハンダートに反抗し、他の生徒まで悪事に巻き込み始めたのだ。ハンダートはベルの勝気さを勉学に向けようと、伝統ある学内コンテストへの参加を持ちかけた」(『映画生活』からの引用)。

 主人公のハンダート(ケウ゛ィン・クライン)は、真面目で常識的な教師。他の教師からも信頼され、次の校長にと嘱望されている。元ヤンキーや元ロックミュージシャンなど、型破りな教師が問題児たちを導いていく。そんな最近のテレビドラマや映画にありがちな学園ドラマなら、主人公(型破りな教師)に理解を示す先輩教師といった脇役が似合うだろう。どちらかといえば、教育に対して静かに情熱を注ぐタイプの先生だ。

 物語では、そんなハンダートの信念と過ち、そして挫折が描き出される。笑いを誘うようなドタバタがあるわけではなく、物語はむしろ静かに展開していく。だが、問題児セジウィック・ベル(エミール・ハーシュ)の裏切りなど、物語の展開に意外性があるし、ハンダート-セジヴィックの緊張感のある関係からは目を離すことができなかった。思わず胸が熱くなったのは、かつての教え子の息子が入学してくる最後の場面。思わず涙してしまうほどうれしい場面だった。

 ケヴィン・クラインの抑えた演技なくしては、この作品の良さは得られなかったであろう。ハンダートの滲み出るような怒りと悲しみ、信念を揺さぶられるような挫折感がよく演じられている。余り知られていない映画だと思うが、素晴らしい作品だった。個人的には『今を生きる』とともに、学園ドラマのツートップとして並べておきたい作品だ。

『カンフー少女』(CATV)

2009-03-17 10:25:25 | か行

監督 バリー・ウォン
出演 セシリア・チャン、 レオ・クー 、 ユン・ワー 、 ユン・チウ
製作 2006年 香港


 自宅CATVにて鑑賞(2009年3月6日)

 あらすじ。「14歳になった少女フェニックスは、ある日、両親が実はカンフーの達人であることを知ってしまう。それ以来、「華山」で毎年修行を積むことになった彼女は、やがて最強の功夫〈カンフー〉少女に成長する。 ─10年後、企業の秘書として働いていたフェニックスは、自分を抜擢したCEOのドラゴンを運命の人として恋心を抱くようになる。その頃、「華山」から奪った秘伝書によって奥義を身につけたパイ・メイは、会社の社長の財産を狙って、 ドラゴンの暗殺を謀ろうとするが…」(『Amazon.co.jp』からの引用)。

 今年最初のカンフー映画。お間違えのないよう。柴咲コウ主演の『少林少女』ではない。ストーリーの粗さはカンフー映画につきものだが、ここまでめちゃくちゃだと爽快ですらある(笑)。主演のセシリア・チャンが可愛らしかった。でも肝心のカンフーアクションは、いま一つだったかな・・・。

『トゥームストーン』(CATV)

2009-03-17 01:01:38 | た行
監督 ジョージ・P・コスマトス
出演 カート・ラッセル,ヴァル・キルマー,サム・エリオット,ビル・パクストン
製作年 1993年
製作国 アメリカ

 自宅CATVにて鑑賞(2009年3月6日)

 あらすじ。「アリゾナ・トゥームストーンの町は無法者たちに支配されていた。その地へやってきた元保安官のワイアット・アープは、結核に冒されていた旧友ドク・ホリディと再会。ふたりはワイアットの兄バージル、そして弟モーガンとともにOK牧場で悪党たちと対決し、勝利を収める。しかしその後、兄弟が報復の凶弾に倒れてしまう。ワイアットとドクは復讐を果たそうとするが……」(『映画のことならeiga.com』からの引用。

 アメリカで西部劇といえば、ハリウッドの一大ジャンル。でも、私はほとんどといって良いほど、西部劇を見たことがない。この映画も、もともと見るつもりはなく、チャンネルを回したらたまたま上映されていたという作品。興味が湧かなければ、すぐチャンネルを替えるつもりだったが、カート・ラッセルとヴァル・キルマーの格好良さや、派手な銃撃アクションの痛快さについつい引き込まれてしまった。若干ストーリーが雑に感じたものの、なかなか楽しめる作品であった。

『ミス・ポター』(CATV)

2009-03-17 00:16:49 | ま行

監督 クリス・ヌーナン
製作 アーニー・メッサー 他
脚本 リチャード・モルトビー・ジュニア
出演 レニー・ゼルウィガー,ユアン・マクレガー,ビル・パタソン,エミリー・ワトソン
音楽 ナイジェル・ウェストレイク
公開 イギリス(2006年12月),日本(2007年9月)
時間 92分
製作国 アメリカ,イギリス

 自宅CATVにて鑑賞(2009年3月3日)。

 あらすじ。「ヴィクトリア朝の封建的な空気が残る1902年のロンドン。上流階級の家庭に育ったビアトリクスは、子供の頃からの夢であった絵本を出版しようとしていていた。主人公は、青い上着を着た愛らしいうさぎ、ピーター。新人編集者、ノーマンはビアトリクスの絵に魅了され、二人で制作した絵本はたちまちイギリス中に知られるようになった。いつしか愛し合うようになる二人だったが、ビアトリクスの両親は身分違いの結婚を許さなかった」(『映画生活』からの引用)。

 『ピーターラビット』の作者ビアトリクス・ポターの半生を描いた作品。
 彼女の生涯の中でも、物語として切り取られたのは、労働者階級のノーマンとの階級を越えた悲しい恋。イギリスの階級社会そのものは日本人には馴染みが薄いが、そうした身分を乗り越えた恋愛物語はそれほど珍しいものではない。はずれの少ない、ある意味王道とも呼べる物語である。

 ただ、物語にぐいぐいと引き込まれていったのは、それ以上に『ピーターラビット』の作者であるポターの生涯についての好奇心もあったし、何よりビアトリクス役で好演したレニー・ゼルウィガーが魅力的であった。特に感情表現が見事で、表情を見ているだけで、嬉しそうなときには嬉しく、悲しそうな時には悲しい気持ちになってくる。見る側の感情にまで染み入ってくるような、ベテラン女優に相応しい見事な演技だったと思う。

 また、驚くのは画面に映し出されるイギリスの美しい風景。思わず息を飲まずにいられなかった。この映像はぜひとも劇場で堪能したかった。と、洒落のつもりは毛頭ないが、公開時に鑑賞しなかったことを後悔している。良い映画だなーと思える作品だった。


『チェンジリング』(Theater)

2009-03-16 20:58:31 | た行
監督 クリント・イーストウッド
製作総指揮 ティム・ムーア,ジム・ウィテカー
製作 クリント・イーストウッド,ブライアン・グレイザー,ロン・ハワード,ロバート・ロレンツ
脚本 J・マイケル・ストラジンスキー
出演者 アンジェリーナ・ジョリー,ジョン・マルコヴィッチ
音楽 クリント・イーストウッド
公開 フランス(2008年5月),アメリカ(2008年10月),日本(2009年2月)
映時間 142分

 シネプレックス幕張にて鑑賞(2009年2月28日)。

 あらすじ。「1928年。ロサンゼルスの郊外で息子・ウォルターと幸せな毎日を送る、シングル・マザーのクリスティン。だがある日突然、家で留守番をしていたウォルターが失踪。誘拐か家出か分からないまま、行方不明の状態が続き、クリスティンは眠れない夜を過ごす。そして5ヶ月後、息子が発見されたとの報せを聞き、クリスティンは念願の再会を果たす。だが、彼女の前に現れたのは、最愛のウォルターではなく、彼によく似た見知らぬ少年だった」(『映画生活』からの引用)。



 実話をもとにした物語。消えた息子との再会を願うクリスティンの悲劇が縦糸だとすれば、ロス市警の腐敗は横糸。物語は2つの糸によって紡がれていく。

 良い作品だが、悪くいうと、どっちつかずだったようにも思う。消えた息子が帰ってきたと思ったら別人だった、という悲劇はストーリーとしてインパクトがある。だが、この事件を利用して自らに対する社会的な批判をかわそうとし、都合が悪くなると蓋をしてしまおうとするロス市警の腐敗のインパクトも、同じくらいに強烈。上に書いたように、作品のテーマが母の愛だっとしても、そう言い切れるほど物語がそこにコミットしていなかったように思う。一方で、ロス市警の腐敗が目だって、問題意識をどちらに向ければ良いのか戸惑った。言い換えると、映画ジャンルとしてヒューマンドラマに入れるべきか、社会派ドラマに入れるべきか迷う作品である。

 もう一つどっちつかずの原因となっていたように思われるのが、クリスティンの人物像が不鮮明で、感情移入しずらかったということ。消えた息子を諦めずに探し求めたという母親としての芯の強さは分かるが、それ意外のクリスティンの人物像が欠けていたのでは・・・。せめて、どういう経緯でシングルマザーとなったのか、職場での地位や人間関係がどういうものだったのかといった点にもう少し触れてもらえれば、人物像がより明確になり感情移入しやすくなったのではないだろうか。いまさらながらにクリスティンはどんな人だったの?と思ってしまう。難点を挙げるならば、そんなところだろう。



 とまぁ、読み返すと厳しいことを書いてしまっているが、あえて申し上げておくと、個人的な批判の対象はあくまでストーリーであって、しかもテーマに限られている。全体としてみれば、良い映画だな~思ったことは間違いない。

 どっちつかずとはいえ、ストーリーを構成する2つのテーマは、人間の真理や歴史的な教訓を含んでいる。事件の展開は驚きの連続だったし、特にロス市警には腐敗した権力の恐ろしさを感じた。自分のように細かいことを気にしなければ(笑)、十分に楽しめる物語といえよう(それだけに、消えた息子との再会を願うクリスティンの悲劇が、もう少し強調されても良かったのではないだろうか、などと思ってしまう)。

 もう一つ良かったのは、クリスティン演じるアンジー。アンジェリーナ・ジョリーといえば『Mr.& Mrs.スミス』や『ウォンテッド』などのように、どちらかというと動的な女優という印象があるが、作品のクリスティンは静的な人物。見る前は、動的な印象から抜け出せるんだろうか?などと考えていたが、なかなかどうして。静かに、でも諦めずに熱心に息子を探し続ける芯の強い母親という役どころを見事に演じていた。アンジーの新境地とよべる作品になるのではなかろうか。少年時代、久し振りに会った近所の不良のお姉さんが、きれいなお姉さんになっていてドキドキしてしまったという経験があるが、アンジーを見てそんな甘い少年の日の思い出が甦った(なんのこっちゃ?ですね)。

 ちなみに、アメリカは先進国の中でも政府に対する国民の信頼感が薄い国などとされている。この映画を見て、それが何となく分かるような気がした。ロス市警の腐敗のような経験があったら、私だって政府や自治体に税を納めることに戸惑いを覚えると思う。政府に対する国民の不信感の背景には、こうした歴史的経験の蓄積があるのだろう。



『ミザリー』(CATV)

2009-03-13 12:17:32 | ま行

監督 ロブ・ライナー
製作 ロブ・ライナー,アンドリュー・シェインマン
出演者 ジェームズ・カーン,キャシー・ベイツ
音楽 マーク・シェイマン
公開 アメリカ(1990年11月30日),日本(1991年2月2日)
時間 107分
製作国 アメリカ

 自宅CATVにて鑑賞(2009年2月27日)。

 あらすじ。「“ミザリー”というシリーズ小説で人気作家となったポール・シェルダンは、コロラド山中の山荘に引きこもり、自叙伝的小説を執筆する。彼は“ミザリー”シリーズにはもういや気がさしていたのだ。山荘からの帰り道酔って崖から転落してしまったポールは、奇跡的に命を取り留め、付近に住む元看護婦のアニーに救われる。アニーは“ミザリー”の熱狂的愛読者だった。しかし、小説の主人公が死を迎える最終巻を読み終えたアニーは、ポールに、実は主人公は死んでいなかったという続編の書き足しをさせるために、ついには恐るべき拷問を加え始める……。」(『映画のことならeiga.com』からの引用)

 言わずと知れた、サイコスリラーの名作。何度か見ている作品だが、毎度のこと捕らわれのポールにはもどかしさとじれったさを感じてしまう。個人的には、スリラーいうようり脱出(できない)劇の面白さが、この作品の売りだと思う。

『未来を写した子どもたち』(Theater)

2009-03-11 00:05:43 | ま行
監督・製作:ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ
製作総指揮:ギャラリン・ホワイト・ドレイファス
撮影:ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ
音楽:ジョン・マクダウエル
出演:カルカッタの売春窟で暮らす子どもたち
製作:2004年
製作国:アメリカ
時間:1時間25分

 千葉劇場にて観賞(2009年2月16日)。何と場内には、年配の女性客と私の2人だけ。ほぼホームシアター状態だった。

 あらすじ。「インドのカルカッタ。売春窟で生まれた子どもたちの将来は、親の仕事を継ぐ以外になかった。写真家ザナ・ブリスキは売春窟での撮影を続けるうちに、子どもたちにカメラを与えて写真教室を開く。初めて自分たちの可能性を知った子どもたちは、写真を通して将来に夢と希望を抱くようになる。ザナは子どもたちの将来を案じ、その環境から救い出したいと努力するが、それは苦難に満ちた道のりだった」(『映画生活』からの引用)。





【ネタばれ注意!】

 あらすじにも触れられているが、この映画の主人公はカルカッタの売春窟で生まれた、10歳から14歳の8人の子どもたち。彼らは写真家のザナからカメラ撮影を教わっている。皆茶目っ気があり、純な笑顔が可愛らしい。私は塾でちょうど同じ年頃の子どもたちに勉強を教えているが、日本の同年代の子供より子供らしく見えた。

 一方、日本の子どもと同じだな~と思ったのは、夢を持つということ。売春窟の子どもたちにも学校の先生になりたいとか、医者になりたいといった夢がある。日本の子どもと何ら違いはない。だが、貧困と差別とによって、彼らは学校にすら通わせてもらえない。夢を描くことはできてもそれを実現する術を持っていないというのが、日本の子どもたちと大きく異なっている点だといえるだろう。結局、売春窟において「女の子は売春婦に、男の子は女たちの世話をするよう運命付けられている」のだ(女の子たちの親の中には、自分の娘を売春婦にするのは当たり前という考えがあるようだった)。子どもたちの前途に明るい未来が待っているとは、決していえない。そう思うと、その無邪気な笑顔にほだされる一方で、悲しい気持ちにもなってくる。複雑な心境だ。

 驚いたのは、子どもたちがそうした運命を多少なりとも自覚し受け入れているということ。それでいて、普通の子どもと同じように明るく過ごしているのだ。子どもたちの無邪気な笑顔の背後に、自分の運命を冷静に受け止めようとする大人びた素顔を垣間見るようで、胸を打たれた。自分ならば腐るか、暗く内に閉じこもっていたのではないだろうか。だからこそうれしかったのは、ザナの努力が実を結んだ時。3人の女の子の学校への入学が実現し、また、一人の少年がアムステルダムのワールド・フォト・プレス・ファンデーションに招待された。子どもたちが、未来を変えるチャンスを手にしたことに、思わず拍手してしまった(心の中で^^)。





 この映画の公開は2004年。撮影が行われたのは、それよりもさらに前で2001年のこと。撮影から7年が経ち、撮影時に子どもだった少年や少女たちは、今では立派な若者になっている。映画の終わりに、子どもたちのその後が紹介された。何より最もうれしかったのはここである。その後、上に書いた3人の女の子の他に、さらに3人の子どもが学校への入学を認められたのだ。しかも、何とワールド・フォト・プレス・ファンデーションに招待された少年は、その後アメリカに留学し、現在ニューヨーク大学に進学しているとのこと。そのことが分かった時は、うれしさの余り涙が出そうになった(前のほうに座っていたもう一人のお客さんは、こらえきれなかったようで号泣していました)。しかし、このように運命を変えた子どもがいる一方で、せっかく入学した学校を親の意思で退学させられ、現在も売春窟で暮らしているという女の子もいるのだという。子どもたちを支援したザナにとっては、さぞかし無念だっただろう。私ですら残念な気持ちになったのだから。

 この作品は、楽しみながら鑑賞できる映画とは決していえないが、いろいろと考えさせられる良作。2004年のアカデミー長編ドキュメンタリー部門賞を獲得しているが、それも納得の作品だ。

 子ども達にカメラを教え、またこの映画を製作したザナは、その後子ども支援基金「KIDS WITH CAMERAS」を設立し、カルカッタだけではなく、エルサレム、ハイチ、カイロでの子どもの支援活動を続けているのだそうだ。そして、この映画の収益の1%は、この基金に寄付されるとのこと。まだご覧になっていない方で興味をもたれた方は、ぜひともご覧になって頂きたい。




『懺悔』(Theater)

2009-03-09 01:55:24 | さ行

監督:テンギズ・アブラゼ
脚本:ナナ・ジャネリゼ、テンギズ・アブラゼ、レゾ・クベセラワ
撮影:ミヘイル・アグラノビチ
音楽:ナナ・ジャネリゼ
出演:アフタンディル・マハラゼ、ゼイナブ・ボツバゼ、ケテバン・アブラゼ、エディシェル・ギオルゴビアニ
製作:1984年
製作国:旧ソ連
時間:153分


 岩波ホールにて観賞(2009年2月12日)。




 あらすじ。「かつて市長として権力を振るっていた男ヴァルラム(アフタンディル・マハラゼ)が死んだ。葬式の後、埋葬された遺体が掘り起こされる事件が三度も続けて起こる。警察が墓を張り込む中、ヴァルラムの孫のトルニケが放った銃弾がやって来た犯人の肩を打ち抜く。犯人はケテヴァン(ゼイナブ・ボツバゼ)という女性だった。彼女は法廷で自分の行為は罪ではないと主張。そしてヴァルラムが彼女の両親を「粛清」し、人生を大きく狂わした張本人であることを訴える」(『映画生活』からの引用)。


 登場人物の誰に焦点を合わせれば良いのか分からない・・・。登場人物の心理を描写するシンボリックな映像が唐突過ぎて混乱する・・・。など、慣れるまでは戸惑うことばかり。物語の展開になかなか乗ることができなかった。個人的には難解な映画の部類に入れたい(笑)。でも、筋を掴んでからは、登場人物に容易に感情移入できたし、シンボリックな映像も楽しむことができた。何より、歴史的な教訓についてあれこれと考えさせられ、また、この作品が生まれた当時の歴史的な変化を感じる作品だった。


 


 物語の大部分は、ケテヴァンの回想に沿って展開していく。そこで描かれるのは、ヴァルラム市政で行われた粛清の嵐。高校の世界史の授業で習ったスターリンの大粛清、あるいは『ワイルド・スワン』(ユン チアン)や『大地の子』(山崎豊子)に描かれていた中国の文化大革命を彷彿とさせる。


 あらすじで述べたように、そうした粛清の嵐の犠牲者の中には、ケテヴァンの両親も含まれている。幼い頃のケテヴァンが、父のメッセージが記された材木を見つけるため、母とともに材木置場中を探して回る様子は、思わず胸が締め付けられてしまう。可哀そうな場面だった。そうした悲哀はもちろんとして、作品全体を通して痛切に感じたのは、言われなき咎によって重い罪を着せられ、しかも、それが為政者のエゴによって行われているという不条理。そして、それを平気で行えるヴァルラムや、そんな彼を「偉大な人物」と崇拝する人々の狂気である。

 こうして作品の中に描き出された不条理と狂気。この作品が大粛清を経験した旧ソ連で生まれたということを考えると、いかにも意味ありげである。長い人類の歴史を辿れば、作品で描かれたような悲劇は、いくらでも見出すことができる。そうした悲劇がたびたび繰り返されてきたということは、この先も繰り越される可能性があると考えるのが当然だろう。法廷でケテヴァンは訴えている。「私の目的は彼に対する復讐ではありません。ヴァルラムは私にとって忘れ得ぬ不幸と苦悩の源泉なのです」と。スターリン時代の粛清で亡くなった人は70万人以上。そんな旧ソ連で作られた映画なだけに、作品に描かれていた不条理や狂気は、過去の悲劇を忘れてはいけないという、切実なメッセージだったのではないだろうか。


 上述の通り、この映画の製作年は1984年だが、グルジアの首都トビリシでようやく公開されたのは1986年。完成してから2年後のことだった(モスクワでの公開は、その翌年の1987年)。内容が内容だけに、公開までに時間がかかったのは当然だと思うが、無事公開までこぎつけることができたのは、ゴルバチョフのペレストロイカと無関係ではないだろう。1985年にゴルバチョフが書記長に就任して以来、政治犯が釈放されたり、テレビや新聞が政府を批判出来るようになった。この作品が生まれ公開されたのも、ようやく解き放たれた政治的自由があったればこそだったろう。この映画が「ペレストロイカの象徴」とされるのも納得である。





『アーサーとミニモイの不思議な国』(CATV)

2009-03-07 01:02:30 | あ行
監督・原作:リュック・ベッソン
脚本:リュック・ベッソン、セリーヌ・ガルシア
製作:リュック・ベッソン、エマニュエル・プレボ
音楽:エリック・セラ
出演:フレディ・ハイモア、ミア・ファロー、ペニー・バルフォー
声優:マドンナ、デビッド・ボウイ、スヌープ・ドッグ、ロバート・デ・ニーロ他
製作:2006年
製作国:フランス
時間:104分

 自宅CATVにて鑑賞(2009年2月9日)。




 あらすじ。「アーサーは冒険を夢見るごく普通の少年。両親と離れ、祖母と暮らしているが、土地代未払いのため屋敷は立ち退きを迫られている。そんなある日、アーサーは屋根裏で、行方不明になってしまった冒険家の祖父が自分に残した書物を見つける。そこにはアフリカの謎の民族<ミニモイ>と<7つの王国>の秘密とともに、裏庭に埋められた財宝の地図が!ミニモイ族の真実を知るため、そして家族の危機を救うため、アーサーの冒険が始まる!」(『映画生活』からの引用)。

 『ロード・オブ・ザ・リング』、『ハリー・ポッター』、『ナルニア国物語』など、近年はファンタジー映画全盛期といった観がある。最近のファンタジー映画は、ストーリーの設定や展開の仕方、登場人物の相関関係などがわりと複雑で、子供向けというより、子供も楽しめる大人向けの作品が多いような気がする。そうした中では珍しく(『レオン』や『フィフス・エレメント』と同じリュック・ベッソンが作ったとは思えないほど)、ストーリーが単純な作品である。“大人も楽しめる子供向けの”ファンタジー映画といったところだろう。単純すぎて若干の物足りなさも感じたが、そこそこ楽しめる作品だった。

 それにしても、驚くべきは豪華声優陣である。セレニア王女役のマドンナを始めとして、ロバート・デ・ニーロやデビッド・ボウイまで出演している。作品中、フレディ・ハイモア演じるアーサーがセレニア王女に恋をするが、セレニア王女の声を演じるのはマドンナ。CG映像を見ているだけなら二人の恋はストーリーに添った自然なものだが、二人の実際の姿や実年齢を考えると・・・。などと余計なことを考えないほうがよさそうだ(笑)。

 原作には(原作もリュック・ベッソンが書いている)続きがあるようなので、映画の続編が作られる可能性も十分にあるだろう。ぜひ期待したい。


『ブラックホーク・ダウン』(CATV)

2009-03-06 21:22:38 | は行
監督:リドリー・スコット
脚本:ケン・ノーラン、スティーブン・ザイリアン
製作:ジェリー・ブラッカイマー、リドリー・スコット
原作:マーク・ボウデン
撮影:スワボミール・イジャック
出演:ジョシュ・ハートネット、ユアン・マクレガー、トム・サイズモア他
音楽:リサ・ジェラード、ハンス・ジマー
製作:2001年
製作国:アメリカ
時間:145分

 あらすじは次の通り。「1993年、アフリカ東部のソマリア。部族間闘争によって30万人以上の人々が飢餓で苦しんでいることを知ったアメリカ軍は、残虐行為と食料の略奪を続ける現地の独裁者アイディードの武力を阻止する為、彼の副官2名を捕獲する作戦を決行。100名の米軍特殊部隊の兵士がブラックホーク・ヘリに乗って、空から舞い降りるという計画が立てられた。それは、一時間たらずで終わるはずの簡単な任務だったが、2機のヘリが撃墜されたことによって最悪の事態を招いてしまう」(『映画生活』からの引用)。

 今も続くソマリア内戦。アメリカは、国連ソマリア活動として1992年から1994年にかけて軍を派遣した(2007年から再び軍を派遣している)。この映画は、ソマリアからの米軍撤退のきっかけとなった「モガディシュの戦闘」を描いた作品である。

 作品では、戦闘の開始から終わりまでの様子が割と淡々と描かれていく。登場する兵士たちの特定の人物にコミットするわけではなく、ストーリーがドラマチックに展開していくわけでもない。何だかドキュメンタリー映画のようだ。だが、だからこそ戦闘の臨場感や恐怖感が際立っていたといえるだろう。追い込まれたアメリカ兵の絶望感、人間としての尊厳が微塵もない戦場の冷たいリアリティを、ひしひしと感じる作品だった。

 また、作品の随所から、ソマリアの貧困の様子が伺える。
 以前見た『ツォツィ』は南アフリカの貧困をテーマとする映画だったが、アフリカの一部の国では、そうした貧困がすさまじい社会的格差を生み、結果として深刻な社会的対立を招く原因となっている。ソマリア内戦の原因もそうしたところにあるのだろうか? そう思い、映画を見た後、ソマリアの内戦について調べてみたが、事情はもっと複雑。いまいちよく理解できていないが、ソマリア内戦は、軍事クーデタで始まった政府派と反政府派の対立に地域、部族、宗教間の対立が交じり合い、隣国エチオピアが介入するといった経過を辿っている。貧困による社会的な対立だけでなく、宗教や部族に基づく土着性の利害の絡んだ複雑な利害対立が、内戦の背景となっているようだ。

 政府は存在するものの、統治能力をほとんど持たない半無政府状態が今も続いているという。ちょっと前に、ソマリアの様子を報道したニュースを見た。その中で、将来なりたい職業が何かと尋ねられた子供が、真顔で「海賊」と答えていた。まじめに働いて生活の糧を得るという日本ならいたって普通の生き方では、ソマリアで生きていくことは困難なのだろう。とても印象に残るニュースだった。

 話が脇道にそれてしまった・・・。最近、戦争での英雄談ではなく、たとえば『父親たちの星条旗』のように、戦争の無情さをシニカルに描いた映画が増えているように思う。この作品もそうした映画の一つといえるだろう。戦争ってどのようなものなのだろうか? また、その背景とは? そんなことを考える上で、参考になる作品だった。

『クィーン』(CATV)

2009-03-06 19:35:54 | か行
監督 スティーヴン・フリアーズ
製作 クリスティーン・ランガン 他
脚本 ピーター・モーガン
出演者 ヘレン・ミレン,マイケル・シーン,ジェームズ・クロムウェル
音楽 アレクサンドル・デプラ
撮影 アフォンソ・ビアト
編集 ルチア・ズケッティ
公開 イギリス(2006年9月15日)、日本(2007年4月14日)
時間 104分
製作国 イギリス/フランス/イタリア

 自宅CATVにて鑑賞(2009年2月6日)。

 あらすじ。「1997年8月、パリでダイアナが交通事故に遭い、帰らぬ人になった。王家においてダイアナはいつも頭痛の種で、民間人となっていたダイアナの死は本来関係のないことであった。女王はコメントを避けるが、ダイアナを称える国民の声は次第に高まっていく。やがてダイアナの死を無視し続ける女王に、国民の非難が寄せられるようになる。若き首相ブレアは、国民と王室が離れていくことに危機を感じ、その和解に力を注いでいく」(『goo映画』からの引用)。

 あらすじの通り、ダイアナが不慮の事故で亡くなったのは1997年。今から12年前のことである。ダイアナの死に対する王室の冷たい態度にマスコミや国民の不満の声が高まり、女王エリザベスは窮地に立たされてしまう。その時の女王の苦悩と決断を描いたのが、この作品である。

 苦悩する女王を演じるヘレン・ミレンの演技は、この映画の何よりの魅力だろう。実際の英国女王がどのような人物なのか詳しくは分からないが、国民の不満の声に屈しながらも威厳と崇高さを失わず、かえってブレア首相をはじめ国民の尊敬を呼び覚ます、気高い女王の姿を見事に演じている。「この映画は英国王室のプロパガンダだ」などと言われることもあるが、ヘレン・ミレンの見事な演技を見れば、そのような噂が囁かれるのも何となく分かるような気がする。彼女はこの作品でアカデミー賞主演女優賞を受賞した。納得である。