しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 箴言14章 <力強い信頼>

2017-09-19 | 箴言

円月島「力強い信頼は主を恐れることにあり、子たちの避け所となる。主を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる。」(箴言14:27新改訳)

ヒゼキヤが南ユダの王だったとき、アッシリヤが来襲、エルサレムを包囲した上、降伏を勧告した(Ⅱ列王記18章)。町々はすべて占領され、残るはエルサレムだけというみじめな有様だったが、「彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。」(同18:5)▼アッシリヤ軍の代表ラブ・シャケはヒゼキヤの信仰をあざ笑い、おどし、反対に甘い言葉で降伏した後の幸せを約束したが、王はその言うことを拒否し、主の宮に上って祈った。この態度こそが「主をおそれる」ということである。それは口先だけで神をうやまうことではない。ヒゼキヤのように、たとえ自分の命はもちろん、先祖から受け継いだ町と国が消滅する崖っぷちに追い込まれても、絶対にやめない信仰・・・それが力強い信頼の意味だ・・・に立つことなのである。◆では新約の福音信仰とヒゼキヤのそれとの違いは何か。信仰の本源である主イエス・キリストご自身が、はなよめたちに内住しておられる、まさにその点なのだ。弱くもろい私たちであっても、神がともにおられ、そこから活ける泉=力強い信頼がわき出ている、それゆえキリストにあって私たちは勝者なのである。「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。・・・その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。」(使徒2:17、18同)