流浪オヤジの探検日記

KOBEを拠点に各種イベントや名所・旧跡を見て歩き、紹介していきます。

飛行神社

2022-01-05 | 神社・寺院
京都府八幡市八幡土井に「飛行神社」があります。

飛行神社は、日本で最初に動力飛行機を飛ばした二宮忠八(にのみや ちゅうはち)翁により自邸内に私財を投じて創建されました。
同神社は、特定の条件にあう死者を神社にあわせて祀るという招魂社の一種として靖国神社と同様の信仰基盤を持っています。


大正04年(1915年)03月10日、航空殉難者の尊霊を慰めるべく創建
昭和11年(1936年)11月08日、二宮忠八翁没
昭和30年(1955年)、二宮忠八翁の次男により再興


再興に当たり『空は一つなり』の信条のもとに全世界の航空先覚者並びに遭難者の霊を迎え祀り、今に至ってるとのこと。


<二宮忠八(にのみや ちゅうはち)翁について>
慶応02年(1866年)06月09日、愛媛県八幡浜市矢野町にて出生。
明治20年(1887年)、歩兵第十二聯隊(香川県丸亀市)付きの看護卒として入隊、陸軍従軍中に『飛行器』を考案。
明治24年(1891年)04月29日、ゴム動力を使った「カラス型飛行器」を作成し飛行に成功。
明治26年(1893年)10月、有人飛行を前提にした飛行機「玉虫型飛行器」の縮小模型(翼幅2m)を作成。
設計図と上申書を軍部に提出するが、軍部は不採用。
軍の退官後、ライト兄弟が成功したニュースを聞き、夢を断念。
その後、飛行機事故で死去した人を弔うために当地にて飛行神社を私財を投じて創建、自ら神主となる。


「奉納飛行機」(飛行機手水)
手水鉢に飛行機を浮かべ航空業界を応援しようと始めているとのこと。
奉納飛行機の裏面に願い事を書いて手水鉢に浮かべます。


「鳥居」
錆や腐食に強いステンレス製の鳥居です。


「拝殿」
ギリシャ風の建築物です。


本殿では、次の祭神が祀られています。
第1殿 饒速日命 古代の空の神といわれてる饒速日命(にぎはやひのみこと)をお祀り
第2殿 祖霊社  航空事故で亡くなられた方々、技術革新、指導に当たられ航空業界に多大な影響を与えられた方々をお祀り
第3殿 薬光神社 薬業界の偉人とされる長井博士や二宮忠八翁が共に働いた武田長兵衛、田辺五郎、塩野義三郎などの薬学界の仲間を薬祖神としてお祀り


「二宮忠八資料館」
創建者である二宮忠八翁の多大な功績を称え、忠八翁の残された自筆の資料や写真等々が展示されています。
残念ながら館内は撮影禁止でした。


石柱「飛行機発明勲功績表地鎮座」


石碑「わが航空界の先覚者 二宮忠八翁を称える」(航空幕僚長 空将 白川元春)


「デハビランド式油圧プロペラ」
デ・ハヴィランド社(イギリス)が開発したレシプロ双発小型旅客機『DH.104ダヴ』のプロペラです。


日本では全日本空輸の前身となる日本遊覧航空(後の後藤田航空)、日本ヘリコプター輸送及び極東航空において国内ローカル線の主力機として運用されていました。


「零式艦上戦闘機の機首部」


零式艦上戦闘機は、第二次世界大戦期における海軍が保有していた艦上戦闘機です。
略称として、零戦(れいせん、ぜろせん)と呼ばれています。


同機首部は、昭和58年10月下旬、大阪湾漁場において大阪府岸和田市の漁師が底引き網操業中の漁網に機首部が掛り、岸和田漁港に引き上げられた物です。


航空機エンジン「J79-IHIー11A」


1950年代後半から1960年代の超音速軍用機に採用された1軸式ターボジェットエンジンです。


国内では、航空自衛隊で運用されていた要撃戦闘機「F-104J/DJ」に同種エンジンが装備されていました。


同機種の開発当時は、卓越した高速性と形態がミサイルを彷彿させ、『最後の有人戦闘機』と称されました。


展示エンジンは、石川島播磨重工業(現在:IHI)によるライセンス生産されたものです。


参拝した印として「飛行機手水」を奉納させていただきました。

本神社の参拝を通じて感じた事として、歴史に「もし?(IF)」は禁句ですが、二宮忠八翁からの上申書を軍が受理して開発に着手していればと思うと残念が気がします。
航空機の歴史、さらに日本の歴史が大きく変わったかもしれません。

飛行神社の参拝により、二宮忠八翁の功績及び航空機の歴史を改めて認識できたことに感謝します。
ありがとうございました。
゚・:,。★\(^^ )♪ありがと♪( ^^)ノ★,。・:・゚
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泉州磐船神社 ~泉州航空神社~

2021-07-25 | 神社・寺院
大阪府泉佐野市上瓦屋に「泉州磐船神社」があります。

泉州磐船神社は、関西国際空港の建設を契機として創建され、航空安全祈願と渡航安全祈願を行っています。
通称『泉州航空神社』として呼ばれています。


鳥居の扁額として、航空機のプロペラが付けられています。


昭和58年(1983年)12月10日、大阪府交野市に所在する磐船神社より分霊して創建。


茶室「飛雲庵」


昭和60年(1985年)3月、第十五世裏千家鵬雲斎御家元の命名によるものです。


「本殿」
饒速日命(にぎはやひのみこと)をご祭神として祀っています。


<当該HPから引用>
ご祭神は航空宇宙の先駆者です。
古事記、日本書紀に「饒速日命、天の磐船に乗りて天より降りませり」「大和に入らんとして天翔り空翔リ河内国嗜ヶ峰に天降りつ」とあります。
その後、皇室の祖神である天照大神をお迎えし、ご案内した神様です。
天の磐船とは岩の様に丈夫な空を飛ぶ乗り物であり、これが有史以降、空を飛んだ初めであると云われております。
命は鉄を司り、武をもって代々朝廷に仕えた物部氏の祖神であり、鉄鋼の神、そして武勇の神でもあります。


<御利益>
航空安全、旅行安全、交通安全、大願成就、合格祈願


本殿横には、狛犬の代わりにヘリコプターが展示されています。


「川崎ベル47G-2」(JA7093)


本田航空から寄贈されたヘリコプターとの事


<登録履歴>
昭和36年(1961年)6月10日、所有者:日本農林ヘリコプター、定置場:昭和ヘリポート(新規登録)
昭和47年(1972年)2月15日、所有者:日本農林ヘリコプター、定置場:川越基地
昭和50年(1975年)7月   、所有者:日本農林ヘリコプター、定置場:川越ヘリポート
昭和56年(1981年)4月08日、登録抹消、理由:老朽化解体(1981/04/06)


同機種は、民間用ヘリコプターのベストセラーです。
昭和20年(1945年)12月8日に原型機モデル47が初飛行
昭和22年(1947年)5月、量産タイプが初飛行
昭和51年(1976年)までの間、イタリア(アグスタ社)、イギリス、日本(川崎重工業)などでのライセンス生産を含め、世界で約5,600機が生産されました。

<<航空資料館>>

本殿の階下に航空資料館が併設されています。


左側:旅客機YS-11のエンジンカバー
右側:戦闘機F-86Fのエアインテーク(空気取込口)


航空資料館内


小型飛行機の実機や計器などの飛行機部品類、模型及び各種文献並びに戦時中から現在までの様々な航空機関連の資料約4,000点が展示されています。


「佐野飛行場跡」(上空写真/米軍による撮影:昭和22年(1947年)9月22日)
戦前、大阪府泉南郡佐野町(現在:大阪府‎泉佐野市‎南中安松‎)に陸軍の飛行場が所在していました。
滑走路:長さ1,500メートル、幅60メートル
昭和17年8月に着工し、昭和19年6月に完成、明野陸軍飛行学校佐野分教場を配置
現在の跡地は、末広公園が整備されています。


「主脚柱」(零式艦上戦闘機)


「カウリング上部」(零式艦上戦闘機のエンジンカバー)


「タイヤ」(三式戦闘機/飛燕)


「水上戦闘機」(細部機種等不明)(模型/縮尺不明)


「コンチネンタル200-A」(航空機エンジン/装備機種不明)


「YS-11」(JA8611)(縮尺1/200)
JA8611は、試作1号機です。
実機は、航空科学博物館(千葉県山武郡芝山町)に展示されています。


「ガンパネル」(戦闘機・F-86Fの機関砲射出口)


陸上自衛隊・多用途ヘリコプター「UH-1」(36591)(模型/縮尺不明)


「スカイダイバー」(等身大人形)


「主タレット」(空港用化学消防車の回転式放水塔)


館内は、随時無料開放されています。


見どころ満載の神社でした。

同神社を訪問出来た事に感謝します。
ありがとうございました。
゚・:,。★\(^^ )♪ありがと♪( ^^)ノ★,。・:・゚
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大須観音

2020-11-02 | 神社・寺院
名古屋市中区大須に「大須観音」があります。

大須観音(おおすかんのん)は、真言宗智山派の別格本山です。本尊は聖観音。
寺号は『北野山真福寺宝生院』と称し、宗教法人としての公称は『宝生院』(ほうしょういん)ですが、一般には「大須観音」の名で知らています。
日本三大観音の1つとも言われる観音霊場として、なごや七福神の一である布袋像が安置されています。


「浄水」


「鐘楼堂」


昭和41年、よい子たちの成長を祈る「母の愛」の鐘として、地元婦人会を中心に女人のみの寄進で女人梵鐘の銘のもと鋳造。


「本堂」
建久年間(1190年代)に建立された尾張国中島郡長庄大須にあった中島観音が発祥。
元亨4年(1324年)、後醍醐天皇が美濃国大須郷(現在:岐阜県羽島市桑原町大須)に北野天満宮を創建。
元弘3年(1333年)、同社の別当寺として僧能信が創建した真福寺が当寺の始まり。
その後、後村上天皇により伽藍が建立され勅願寺となり、四天王寺の観世音菩薩を移して本尊とする。


「人形塚」


「大正琴発祥之地」


「仁王門」
左右には仁王像が奉安されています。

歴史ある寺院に参拝できたことに感謝です。
ありがとうございました。
ヾ(●´□`●)ノ【゚+。・oアリガトウo・。+゚】ヾ(○´□`○)ノ


<大須商店街>

大須商店街は、名古屋市の代表的な繁華街の一つです。
以前は秋葉原、日本橋とともに日本三大電気街として知られていましたが、現在は老若男女様々な人々が集う活気ある商店街です。
シャッター街から再生し更なる発展を遂げた稀有な商店街として有名です。


「大須演芸場」
当地は名古屋市中区大須二丁目にある寄席・劇場です。
中京圏では唯一の寄席として知られています。


「昔の矢場とん」
昭和22年(1947年)5月に操業した味噌カツの老舗店です。


「大須まねき猫」
ふれあい広場にて鎮座しています。
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長田神社

2020-01-02 | 神社・寺院
神戸市長田区長田町にある「長田神社」に初詣へ行ってきました。

廣田神社や生田神社とともに神功皇后以来の歴史を持つ名社とされています。
生田神社及び湊川神社とともに神戸を代表する神社の一つです。


旧社格は官幣中社とのこと。
※旧社格(近代社格制度):明治維新以降、『延喜式』に倣って新たに神社を等級化した制度


事代主神(於天事代於虚事代玉籖入彦厳之事代主神)を主祭神としています。
本殿瑞垣内に天照大御神・応神天皇を祀っています。


「社務所」


「眼鏡碑」
長田神社の祭神である事代主神がすべての物事を見通すとされていることから、眼鏡業者が毎年春に古い眼鏡を供養する祭を当地にて催しているそうです。


「百度石」


「手水舎」


「神門」


「拝殿」


「宝船」(木製)


「開運招福 令和二年庚子歳」


東入口側に位置する「赤鳥居」

由緒ある神社にお参り出来たことに感謝です。
ありがとうございました。
☆゚+。*゚(*´д`良い年になりますように´д`*)゚*。+゚☆
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難波八幡神社

2019-05-08 | 神社・寺院
尼崎市東難波町に「難波八幡神社」(なにわはちまんじんじゃ)があります。

仁徳天皇の御世(4世紀)の創建と伝えられる古社です。
夏祭りには湯立神事が行われます。


当初の鎮座地は東北約800mの同市扶桑町にありましたが、400年ほど前に大火に遭い現在の地に遷座されたそうです。


「手水舎」


「百度石」


「本殿」


当神社の創始は、仁徳天皇の御代(394年~427年)と伝えられているとのこと。
仁徳天皇は当地を度々行幸され、行宮すなわち『難波祝津宮跡地』と伝えられているそうです。


「鯉のぼり」


戦艦「榛名」(はるな)/檣(ほばしら)
檣は、船に帆を展張するために立てる柱です。
一般的には、『マスト』と言われています


<戦艦「榛名」について>
大正08年(1915年)04月19日、川崎造船所(神戸市)にて金剛型戦艦3番艦として竣工
昭和20年(1945年)07月28日、呉軍港空襲により大破着底
昭和20年(1945年)11月20日、除籍
昭和21年(1946年)07月04日、武装解体完了


本マストは同艦の近代化改修の際に外され、様々な経緯を経て同神社・境内に設置されて現在に至っているようです。
戦後から撤去されずに現存しています。

歴史ある神社にて、貴重な旧海軍の戦艦のマストに出会えたことに感激です。
ありがとうございました。
゚・:,。★\(^-^ )♪ありがと♪( ^-^)/★,。・
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素盞嗚神社

2019-04-23 | 神社・寺院
西宮市甲子園町に「素盞嗚神社」(すさのおじんじゃ)があります。

牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社です。
阪神甲子園球場に隣接しています。


同神社の創建年代は不詳との事
本殿柱に元禄及び天保年間に度々再建された記録が残っています。


「本殿」


「百度石」


「夢」(平成20年8月1日/野球ボール型モニュメント)
阪神タイガース元監督・星野仙一氏による揮毫


「野球塚」(平成16年8月吉日)


阪神タイガース元監督・岡田彰布氏による寄贈建立


塚前に置かれているベース型の敷石


『勝ちあがり守』を始めとして、野球のボール型やベース型のユニークなお守りやタイガース絵馬などがあります。


阪神甲子園球場が隣接していることから、阪神タイガース選手やファンの他、高校野球関係の必勝祈願者が沢山訪れるそうです。

こじんまりした境内ですが、見所満載の神社でした。
参拝できたことに感謝です。
ありがとうございました。
゚・:,。★\(^-^ )♪ありがと♪( ^-^)/★,。・
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湊川神社

2019-01-02 | 神社・寺院
神戸市中央区多聞通にある「湊川神社」に初詣へ行ってきました。

湊川(みなとがわ)神社は、武将・楠木正成を祭る神社です。
地元では親しみを込めて「楠公(なんこう)さん」と呼ばれています。
建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社とのこと。

※建武中興十五社:建武中興(建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社
※旧社格(近代社格制度):明治維新以降、『延喜式』に倣って新たに神社を等級化した制度


楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将です。
後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、建武の新政の立役者として足利尊氏らとともに天皇を助けました。
足利尊氏の反抗後は、新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害しました。
明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)に正一位を追贈されました。


「御墓所」(史蹟・楠木正成墓碑)
楠木正成公(大楠公)は永仁2年(1294年)、河内国赤坂水分(現在:大阪府南河内郡千早赤阪村)にて生誕しました。
この地の豪族の出身だと伝えられています。


「徳川光圀公銅像」
御墓所には、徳川光圀公(水戸黄門)の銅像があります。
光圀公は、水戸藩主を辞して西山荘(せいざんそう)に隠居(いんきょ)された後も、大日本史の編纂(へんさん)を行いました。
楠木正成公をひたすらお慕いされ、墓碑『嗚呼忠臣楠子之墓』を建立しました。
これら御事蹟は天下に顕彰され、偉大な御功績を残されました。
此の御功績を追慕して御尊の建設が尊願され、昭和30年7月に完成しました。
銅像の原型は、平櫛田中の作で、その頌徳碑(しょうとくひ)は、徳富蘇峰(とくとみそほう)の文によるものです。


「明治天皇御製 湊川懐古」
~あだ波を ふせぎし人は みなと川 神となりてぞ 世を守るらむ~
明治天皇にとって、建武中興の際に醍醐天皇を楠木正成公が支えたように見守って欲しいという気持ちの表れと思われます。

後醍醐天皇の大恩に背くことが出来ず、ひたすら忠義を貫き、かつての同士であった足利尊氏と戦う道を選んだ楠木正成公の胸中は如何に?
当地の湊川での戦いに敗れ、散って逝った楠木正成公ですが、今では多くの人々から敬愛され、語り継がれています。


亥(い、がい)は十二支の一つとして、所謂「猪(いのしし)」です。
通常十二支の中で第12番目に数えられます。
『亥』ともされる動物の『猪』の肉には万病さえも防ぎ予防する力があるとされており、亥年には無病息災の意味もある年だそうです。


「社殿」
現在の社殿は、戦災によって焼失したものを昭和27年10月24日に復興新築されたものです。
様式は権現造(ごんげんづくり)に似た八棟造り(はちむねづくり)とされ、鉄筋コンクリート造で建てられています。
戦後の新しい神社建築様式としての代表的な建物と言われています。

由緒ある神社にお参り出来たことに感謝です。
ありがとうございました。
☆゚+。*゚(*´д`良い年になりますように´д`*)゚*。+゚☆
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三宮神社

2018-10-17 | 神社・寺院
神戸市中央区三宮町に「三宮神社」があります。

三宮神社は、生田神社の八柱の裔神を祀った一宮から八宮までの神社(生田裔神八社)の中の三柱目に当たります。
周辺の「三宮」という地名の由来にもなっているようです。


航海の安全と商工業の繁栄を守る神として、古くから一般の崇敬厚い神社です。
古い記録がなく、いつ創設されたかなどについては未詳との事。
祭神としては湍津姫命(たきつひめのみこと)を祀っています。


史蹟神戸事件発祥地
神戸事件は、慶応4年1月11日(旧暦、太陽暦:1868年2月4日)に神戸(現在:神戸市)三宮神社前において、備前藩(現在:岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを
負傷させ、銃撃戦に発展し、居留地(現在:旧居留地)予定地を検分中の欧米諸国公使らに水平射撃を加えた事件です。
大政奉還を経て明治新政府政権となって初めての外交事件でした。
本事件により、一時、外国軍が神戸中心部を占拠するに至るなどの動きにまで発展しましたが、その際に問題を起こした隊の責任者であった滝善三郎が切腹する事で一応の解決を見ました。
相前後して堺事件が発生し、共に外国人に切腹を深く印象付けることとなりました。

<堺事件>
慶応4年2月15日(旧暦、太陽暦:1868年3月8日)に和泉国堺町内で起きた土佐藩士によるフランス帝国水兵殺傷(攘夷)事件。
同じく2月23日(旧暦、太陽暦:同年3月16日)、大阪裁判所の宣告により堺の妙国寺で土佐藩士20人の死刑(切腹)の執行が行われました。


「大砲」<説明板から引用>
明治元年1月11日(旧暦)に三宮神社前で突発した神戸事件のとき外国兵との交戦に備前の藩兵は三門の大砲をひきいた応戦した。
この大砲は年代的にほぼ同時のものなのでここの据えて参考とする。三宮神社


「手水舎」


「拝殿」

神戸事件の結末は第3砲兵隊長・滝善三郎が詰め腹を切らされ、兵庫の永福寺の座敷で6カ国の立会人が注視するなかで切腹しました。
日本の政治体制が、まだ確固としていなかったためにこの悲劇が起きたと言われています。

神社参拝を通じて、教科書で紹介されていない歴史を知る事が出来ました。
ありがとうございました。
ヾ(*´∪`*)oc<【。゚・+:.・ァリガトゥゴザィマシタ・.:+・゚。】ヽ(*´∪`*)ノ"
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西宮神社

2018-01-02 | 神社・寺院
西宮市社家町に位置する「西宮神社」に初詣へ行っていました。
同神社は、日本に約3,500社ある“えびす神社”の総本社(名称:「えびす宮総本社」)です。
地元では西宮のえべっさんと呼ばれています。

由緒ある神社にお参り出来たことに感謝です。
ありがとうございました。
☆゚+。*゚(*´д`良い年になりますように´д`*)゚*。+゚☆
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西宮神社

2017-06-12 | 神社・寺院
西宮市社家町に位置する「西宮神社」に来ました。
同神社は、日本に約3,500社ある“えびす神社”の総本社(名称:「えびす宮総本社」)です。


地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれています。


国指定 重要文化財「大練塀」(おおねりへい)


国指定 重要文化財「西宮神社表大門」


毎年1月10日前後の3日間で行われる十日えびす(戎)では、開門神事福男選び、大マグロの奉納、有馬温泉献湯式
などの行事とともに800軒を越える屋台が軒を連ね、開催三日間で百万人を超える参拝者で賑わいます。


「南宮神社」


通称「天秤カーブ」
十日えびす(戎)の開門神事に一番福を目指す男性達が走る参道です。


当日は未明から多数の人が表大門の前に集合し、午前6時の開門と同時に230メートル先の本殿を目指して
駆け出し、3着までにゴールした方が、その年の福男となります。
なお、福男といいながらこの祭事は男女混合であり、老若男女を問わず走る事が出来るそうです。


「祈祷殿」


明治32年奉納された青銅神馬の賛碑


辰馬家一統により奉納された拝殿前の青銅神馬の賛碑


「社務所」


通称「楠両カーブ」


「青銅神馬」(せいどうしんめ)


「拝殿/御本殿」


国登録 登録有形文化財「瑞寶橋」(ずいほうばし)


「伊勢神宮遥拝所」
毎年10月17日の神宮祭に際して当所から伊勢の神宮を遥拝します。


「神池石垣寄進碑」
元禄9年(西暦1696年)11月に神池の石垣を寄進されたのを記念に彫られた石碑です。


「記念燈」(細部不明)


「西宮神社渡御祭再興50回記念/西宮太々講社再興50回記念」(平成24年9月吉日)

由緒ある西宮神社に訪れる事ができたことに感謝です。
ありがとうございました。
゚・:,。★\(^^ )♪ありがと♪( ^^)ノ★,。・:・゚
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大港神社

2016-01-02 | 神社・寺院
境港市栄町に位置する「大港神社」へ初詣してきました。


同神社については次のとおりです。

<概要>
『往古から境、上道、中野、福定,竹内、高松の六ヶ村の産土神で八幡宮と称し、旧藩主より崇敬厚く幕提灯等の寄進があった。 
明治元年現社号に改称し、郷社餘子神社の摂社となり、後年無格社に改められた。武内宿禰命は以前の末社の御祭神で、
亀井能登守安綱は亀井神社と称し元本社の東側に鎮座している。
清若丸、手島四良三郎、小磯亦四郎は末社の御祭神でしたが明治元年境町大字境字宮ノ前鎮座無格社亀井神社に合祀し、
後、大正4年6月17日亀井神社を合祀して現在に至っている。
昭和8年2月4日神饌幣帛料供進神社に指定された。』


敷地内に相撲の土俵がありました。


石碑「境港開港百周年記念」
当地は明治28年(1896年)10月2日に開港、外国貿易港として指定されて現在に至っています。

海上安全の神として知られている神社です。
新年における初詣で参拝できたことに感謝です。(^_^)
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防府天満宮

2015-05-29 | 神社・寺院
防府市松崎町に位置する神社「防府天満宮」に来ました。
同神社は、平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家であった“菅原道真(すがわらのみちざね)” を学問の神
として祀っている天満宮です。
画像は、山口県指定文化財である「石大鳥居(一ノ鳥居)」です。


楼門に続く大石段です。


防府名物「天神餅」を製造販売しているお店


「茶室 芳松庵」
道真公と茶との関わりを後世に伝えようと茶室が設けています。
幕末には高杉晋作らの維新の志士が滞在したといわれ、彼らが墨で文字を書いたと言われる戸袋が
残っています。


「大専坊跡」
中国地方の覇者・戦国武将であった毛利元就は、当地を本拠として防長(山口県)を掌握しました。
幕末では、当地を警護する諸体の屯所となりました。


「青銅鳥居」


「注連柱」


「楼門」


「拝殿」


「客殿」(祈願受付所)


「春風楼」(国指定登録有形文化財)
建設を断念した五重塔一層部分の軒下の組物を床下に組み入れた楼閣様式のお龍堂を完工した建物です。
この楼から眺める市の全景や瀬戸の風光は四季を通じて春風のように絶佳で、その名に相応しいものです。


周防国の出身である伊藤博文(長州藩士・初代、第5代、第7代及び第10代内閣総理大臣)は、
春風楼の前で記念撮影をしています。


春風楼から防府市街地が一望できます。


「筆塚」


「菅公廟碑」


「LOVE神社の碑」
御祭神菅原道真公の人柄を偲び建立されました。
(デザイン:浅葉克己、建立:平成19年2月18日)


「皇太子殿下行啓」の碑


「歴史館」(宝物館)


「扶桑菅廟最初之碑」


京都の北野天満宮福岡の太宰府天満宮と共に「日本三天神」と称せられています。
道真公は、九州への西下の途中、防府に立ち寄った際、当地を気に入り、自分が死んだら魂となって
帰ってくると約束しました。
九州で公が亡くなった翌年(西暦904年)に、国司がこの地に松崎の社を建立し公を祀った伝えられ、
日本で最初の天満宮として創建されたと云われています。

防府に来て遅くなりましたが、防府天満宮に来ることが出来ました。
今後とも四季折々の多彩な神事を見たいと思います。
ありがとうございました。 <(_ _)>
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生田神社

2015-01-02 | 神社・寺院
神戸市中央区に所在する「生田神社(いくたじんじゃ)」へ初詣してきました。
同神社は、兵庫県内の廣田神社、長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有して
いるそうです。
画像は、「楼門」と呼ばれる入り口です。


社殿は、昭和13年の神戸大水害、昭和20年の神戸大空襲、平成7年の阪神・淡路
大震災など何度も災害等の被害に遭い、そのつど復興されてきたことから、「蘇る神」
としての崇敬を受けているそうです。

由緒ある神社にお参り出来たことに感謝です。
いい年にしたいと思います。(^_^¥
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美保神社

2014-06-20 | 神社・寺院
美保神社は、島根県松江市美保関町に位置する神社です。
事代主神系えびす社3千余社の総本社だそうです。


「おかげの井戸」(有形登録文化財)
文久元年(西暦1861年)夏の干ばつの際、時の宮司が雨乞いをしてお告げの場所
を掘ってみたところ、こんこんと水が湧き出てきて難を逃れたと言われています。


「社殿」
現在の本殿は、文化10年(西暦1813年)の造営とのこと。
大社造の左右二殿連棟の特殊な形式で「美保造」または「比翼大社造」といわれ、
国の重要文化財に指定されています。

由緒ある神社をお参りできたことに感謝です。
ありがとうございました。 <(_ _)>
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東郷神社

2013-03-22 | 神社・寺院
東郷神社は、渋谷区神宮前一丁目に鎮座する神社です。
元帥海軍大将であった東郷平八郎が、昭和9年5月30日に亡くなると、全国
から海軍省に東郷を顕彰する神社の創建の要望と献金が寄せられました。
当時の海軍大臣大角岑生が、財団法人東郷元帥記念会を設立し、寄せられた
献金によって神社の創建が計画されます。
昭和12年9月に地鎮祭、昭和15年5月27日(海軍記念日)に御鎮座祭が
行なわれ、同時に府社に列格しました。


「境内」


「Z旗(ゼットき)」
船同士の意思疎通のために用いる国際信号旗の1つです。
本来Z旗は、アルファベットの『Z』の文字を示す信号として用いられていますが、
海戦史において特別な意味を持つ旗としても広く認知されています。
日本海軍では、大規模な海戦の際には旗艦のマストにZ旗を掲揚することが
慣例化したそうです。


東郷神社では、勝利の神様として御真筆からとった「勝」の字を勝利の御守
『勝札』として授与しています。


境内では、東郷氏の一代記を絵画により紹介しています。


細部不明の砲弾


説明板がなく、詠めなかった句碑。(;_;)


「海軍経理学校正門敷石」
戦前、築地の墨田川河畔(現在;勝鬨橋右岸)にあったそうです。


「海軍特年兵之碑」


「潜水艦碑」


「潜水艦勇士の捧ぐ」
潜水艦と共に戦没された乗員の方々への追悼が刻まれています。


「搭載用 魚雷模型」


「東郷蔵」


東郷神社は勝利と強運の守護神として、多くの参拝客が訪れています。
由緒ある神社に参拝できたことに感謝します。

ありがとうございました。 <(_ _)>
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