仁和寺の本堂にお参りをして戻ってきた私たち、時計を見たら午後1時を少し過ぎていました。
朝食をたくさん食べた私ですが、この時間になるとさすがにおなかが空いてきていました。そこで、仁和寺の中にある御室会館の食堂で昼食を頂くことにしました。
御室会館は2003年5月、私が初めて十二単を着せて頂、ネットでお知り合いになった方々とも初めてお会いしたイベント、「日本文化フォーム21 紫の心 ~源氏物語の世界」が行われた思い出の場所です。
もっとも、十二単を着て歩き回ったり、平安時代の調度品に触れたり、お菓子を頂いたりしたのは旧御室御所御殿なので、こちら御室会館では、当時花園大学教授の山田邦和先生の平安京についての講演や十二単の着つけの実演を堪能し、王朝料理を頂きました。講演も着つけも王朝料理もとても充実した内容で、わくわくしたのを思い出します。そんなわけで、御室会館に足を踏み入れると、あの日の楽しかった思い出がよみがえってきました。
でも、本日は、あの日には足を踏み入れなかった食堂に行きます。食堂はとても明るい雰囲気で、従業員の方々も感じが良く、ほっとさせられました。
私は、天ぷらそばを注文しました。京都に来るとなぜかおそばを食べたくなってしまう私ですが、考えてみると、今回の旅行ではまだ食べていませんでした。エビの天ぷらが少し脂っこかったことをのぞけば、私好みの薄味でなかなか美味。満足です。
だんなさんは湯豆腐定食を注文。少しもらってしまいましたが、お豆腐がなめらかでおいしかったです。
食事が終わったあと、せっかくなので旧御室御所御殿を拝観することにしました。
入り口で靴を脱ぎ、御所の中に入ると、お香の良い香りがします。廊下を歩いていくと、上品なたたずまいのお部屋がいくつも目に入ってきます。
実は仁和寺は、「源氏物語」とも縁があるのです。
光源氏の兄、朱雀院は、「若菜上」の巻で出家をし、西山の寺に入るのですが、この西山の寺のモデルが、仁和寺なのだそうです。
朱雀院もきっとこんな上品な畳敷きのお部屋で、光源氏に降嫁させた愛娘、女三の宮のことを思いながらお経を読んでいたのでしょうね。「源氏物語」には、出家後の朱雀院の日常について、多くは語られていませんが、きっと宇多天皇とは対照的に、遊興とも女性とも縁のない、仏教ひとすじの毎日を送っていたと思います。
ところで、御室御所の廊下から見える庭園も、とっても素敵でした。では、そんな庭園の様子をご覧下さい。
池が光っていてきれいです。
こちらは、左近の桜、右近の橘がある庭です。今頃(この記事を書いている2011年4月上旬)は、桜がきれいでしょうね。
廊下を歩いていると、「あ、ここを十二単を着て歩いたっけ」という、見覚えのある場所もちらほら目に入り、楽しかったです。
仁和寺には、7年前のこのイベントの他、1992年と2000年にも訪れていますが、訪れるたびに新しい発見があります。そしていつも、宇多天皇や朱雀院の面影を感じることが出来ます。大好きなお寺です。
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朝食をたくさん食べた私ですが、この時間になるとさすがにおなかが空いてきていました。そこで、仁和寺の中にある御室会館の食堂で昼食を頂くことにしました。
御室会館は2003年5月、私が初めて十二単を着せて頂、ネットでお知り合いになった方々とも初めてお会いしたイベント、「日本文化フォーム21 紫の心 ~源氏物語の世界」が行われた思い出の場所です。
もっとも、十二単を着て歩き回ったり、平安時代の調度品に触れたり、お菓子を頂いたりしたのは旧御室御所御殿なので、こちら御室会館では、当時花園大学教授の山田邦和先生の平安京についての講演や十二単の着つけの実演を堪能し、王朝料理を頂きました。講演も着つけも王朝料理もとても充実した内容で、わくわくしたのを思い出します。そんなわけで、御室会館に足を踏み入れると、あの日の楽しかった思い出がよみがえってきました。
でも、本日は、あの日には足を踏み入れなかった食堂に行きます。食堂はとても明るい雰囲気で、従業員の方々も感じが良く、ほっとさせられました。
私は、天ぷらそばを注文しました。京都に来るとなぜかおそばを食べたくなってしまう私ですが、考えてみると、今回の旅行ではまだ食べていませんでした。エビの天ぷらが少し脂っこかったことをのぞけば、私好みの薄味でなかなか美味。満足です。
だんなさんは湯豆腐定食を注文。少しもらってしまいましたが、お豆腐がなめらかでおいしかったです。
食事が終わったあと、せっかくなので旧御室御所御殿を拝観することにしました。
入り口で靴を脱ぎ、御所の中に入ると、お香の良い香りがします。廊下を歩いていくと、上品なたたずまいのお部屋がいくつも目に入ってきます。
実は仁和寺は、「源氏物語」とも縁があるのです。
光源氏の兄、朱雀院は、「若菜上」の巻で出家をし、西山の寺に入るのですが、この西山の寺のモデルが、仁和寺なのだそうです。
朱雀院もきっとこんな上品な畳敷きのお部屋で、光源氏に降嫁させた愛娘、女三の宮のことを思いながらお経を読んでいたのでしょうね。「源氏物語」には、出家後の朱雀院の日常について、多くは語られていませんが、きっと宇多天皇とは対照的に、遊興とも女性とも縁のない、仏教ひとすじの毎日を送っていたと思います。
ところで、御室御所の廊下から見える庭園も、とっても素敵でした。では、そんな庭園の様子をご覧下さい。
池が光っていてきれいです。
こちらは、左近の桜、右近の橘がある庭です。今頃(この記事を書いている2011年4月上旬)は、桜がきれいでしょうね。
廊下を歩いていると、「あ、ここを十二単を着て歩いたっけ」という、見覚えのある場所もちらほら目に入り、楽しかったです。
仁和寺には、7年前のこのイベントの他、1992年と2000年にも訪れていますが、訪れるたびに新しい発見があります。そしていつも、宇多天皇や朱雀院の面影を感じることが出来ます。大好きなお寺です。
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