平安夢柔話

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晴明神社 ~京都3日物語5

2010-12-17 11:35:52 | 旅の記録
 晴明神社に到着したときは、雨はほとんど上がっていました。良かった~。こちらで、隣のおばちゃんと合流、計6人で楽しくお参りしました。

 晴明神社は堀川通沿いにあり、安倍晴明を祭神とする神社です。そして、彼の邸宅跡だという伝説があります。
 しかし、最近の研究によると、晴明の邸宅はここより少し南東に行ったところにある、西洞院大路(現在の西洞院通)の東、土御門大路(現在の上長者町通)の北、平安京内の左京北辺三坊二町にあったという見解がなされています。そこは、現在の京都ブライトンホテル付近に当たるそうです。
 それでも、彼の邸宅は晴明神社の場所にあったという話は、伝説としては夢があるような気がします。彼は毎日、一条戻り橋を渡って平安京の役所に通勤していたと考えるのも色々妄想をかき立てられて楽しいです(ちなみに晴明神社は、平安京の区域内からは少し北に外れたところにあります)。晴明神社は、そんな晴明さんのロマンの世界だと思って、神社内を見て歩きました。

 ついでに、晴明さんについて、「平安時代史事典」をもとに、簡単にまとめておきます。

☆安倍晴明(921~1005)

 平安中期の陰陽師。

 天文得業生から天文博士、左京大夫、穀倉院別当、播磨守等を歴任。従四位下に至った。陰陽道に秀で、摂関家をはじめとする当時の貴紳に重用され、各種行事の勘申や泰山府君祭を行ったりなどした。陰陽の書、『占事略決』を著した。

 それと忘れてはならないこと、晴明さんにはたくさんの逸話があるのですよね。同じく「平安時代史事典」をもとに、少し紹介しますと。

 ☆花山天皇の譲位を天文の異常により察した。
☆十二神将を召し使った。
☆花山上皇の熊野御幸の折には、その命により那智山の天狗を封じた。
☆藤原道長が法成寺供養を行った際、凶変を占い呪詛者を発見した。

 その他にも、一度死んで生き返ったとか、母親が狐だったとか、一条戻り橋の下に式神を隠し、必要に応じて取り出していたとか、色々な伝説があります。なるほど、奥の深そうな人物ですよね。実は私、晴明さんに関する本をそれほど読んでないので、これから色々読んで勉強しようと思います。

 それでは、晴明神社の中を紹介します。

 私がこちらを訪れるのは2003年9月以来、2回目になります。その頃と比べると見どころが増えたような気がしました。

 まず、目に入ってきたのは晴明さんの銅像。髭を生やしていて、立派な顔立ちをしていました。写真に撮ったのですが、失敗していました。残念~。

 そして、厄よけの桃。銅像も桃も、7年前にはありませんでした。対面できて幸せ。

          

 良いことがたくさんあるように、厄よけの桃をしっかり撫でてきました。

 本殿でお参りをしたあと、7年ぶりに式神さまとご対面。こちらも頭を撫で撫でしてきました。

          

 式神さまの隣にある、模型の一条戻り橋を渡って売店へ。売店には雅楽が流れていました。こちらでは、以前から欲しかった桃のドロップを購入しました。

          

 昔なつかしいサクマドロップの缶と同じ形をしています。中のドロップはこんな感じ。

          

 桃の味がして、とてもおいしかったです。

 さて、そろそろ12時。おなかも空いてきたので、食事に行こうということになりました。次回は昼食のレポートですが、写真を撮り忘れてしまいました。それで、こちらも私の文章のみでの説明となります。

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