エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

ポケモンGOという社会的現象

2016年07月31日 | ポエム
誠に圧倒的な勢い、である。
帰京して、光が丘公園に出かけた午前。



かつて無かった現象が顕著に見られた。
スマホを片手に歩く人々、である。
この公園は、ジョギングしたり散策する人のスペースであった。
子連れの母親も、多かった。
少なくても、歩きスマホの人は殆ど見られなかった。



だがしかし、こうした現象を一概に否定は出来ない。
一つの社会現象として捉えることから始めなくてはならないだろう。
非難したり、否定したりすることは簡単である。
けれど、それでは現象は社会に背を向けてしまう。







「空蝉やスマホのゲーム歩く人」







ぼくは、スマホでゲームはしない。
ガラケーの時代からそうであった。



携帯電話でゲームする人の心理は、良く理解できないけれど・・・。
共存共生しなければならないだろうと思っている。



ただし、ゲームをするマナーは明確にしなければならないだろうと思っている。
本人にとっても、他人にとっても危険が発生するからである。
少なくても、自転車でのゲーム熱中は危ない!

危険と隣り合わせであると云っても良かろう。
他者との関わりで成り立つ社会と云うことだけは、キチンと守ってポケモンGOを楽しんで欲しい。

そう思っているのである。



     荒 野人

奄美の休日〜2

2016年07月30日 | ポエム
奄美の山は高い。
谷は深いのだ。
人々は、浜に沿って生活している。
そうした島なのである。



だがしかし、海は限りなく透明に近いブルーである。
そういえば、そんな題名の小説もあった・・・。
芥川賞をとった小説である。

山には、ハブがいる。
ハブが守っている自然である。
奄美の口伝では、山にはケンムンという妖怪がいるのだ。
だから、山は危険な場所として子どもたちに伝えられる。



言い換えれば、ハブのいる場所にケンムンがいるとするのである。
古人の知恵である。

現実に、ケンムンと会ったことのあると言う長老が生存している。
けれど、この数十年ケンムンと出会った人は居ないらしい。
島の文化の風化なのだろうか。
だとすれば、少し寂しい。



関東が梅雨明するころ、奄美の自然は秋の気配が漂ってくる。
とりわけ、高い山の向こう側は秋の気配である。



秋の雲、である。



だがしかし、海からは入道雲。
その二つの季節が、自然に身体の中に入ってくる。

天国の島、と云われる所以である。







「山に沿いぐるり向こうの雲の峰」







野人の休日は、始まったばかりである。
さて、いかほど奄美を紹介できるだろうか。



      荒 野人

奄美の休日〜1

2016年07月29日 | ポエム
奄美と云う、一個の自然。
奄美と云う、生態系の確乎とした姿。



奄美の海・・・。

関東甲信越地方が梅雨明けを宣された、と云う。
梅雨明け10日、は夢の又夢か!

日曜日から3日間、雨模様であると云う。
奄美は、夏が来ているけれど・・・。
やはり自然の異変が現われている。

農作物の収量が、減っていると云う。
言われれば、今年は台風にいまだ見舞われていない。
そうした年は、とりわけ果物の収穫量が少ないのだそうである。







「深き谷しみじみ湧ける雲の峰」







ぼくは、この海で遊んだ。
綺麗な海である。

浜から、10メートルも進んでいくと熱帯魚が泳ぎ珊瑚礁が広がっている。



雲の峰も鮮やかである。
奄美滞在中に、果して幾つの俳句が詠めるだろうか。

素材は、至る所にある。
だがしかし、感性の乏しさの成せる業であろうか。
俳句が詠めない。

奄美の自然に包まれるだけで、終るかもしれない。
だがそれでも良い。



ある一日、夕焼けを見つめ続けた。



      荒 野人

結界石

2016年07月20日 | ポエム
無言の意思。
そういって良かろう。



ここから入ってはならぬ!
そう云っている、のである。







「送り梅雨日向で喘ぐ結界石」







豊島園駅の近くにある、田島山十一ヶ寺(たじまさんじゅういっかじ)である。
この十一ヶ寺は浄土宗の寺院群である。
各寺院は、浅草にあった田島山誓願寺の塔頭(たっちゅう)であった。



幾つかの寺院の入口、或いは境内の階段や坪庭の円月箸の上にそっと置かれている。
その意味を知らない者は、無遠慮に踏み越えている。
少なくとも、俳句をたしなむ者はそうであって欲しくはない。



結界を示す意味が無くなっている石もある。
風化すればするほど、古色蒼然とすればするほど沁みてくる。
けれど、誠に床しい意思表示である。



      荒 野人

明日から奄美大島に出かけて来ます。
大体、一週間。
奄美にいる間に、関東は梅雨明けですね。
夏バテなどなさいませんように!

フランスへのテロ

2016年07月19日 | ポエム
フランスのテロは、断じて許し難い。
パリのテロもそうだったけれど、今回のニースのテロも市民を対象としている。
恐怖を覚える市民社会である。

社会治安も経済の悪化も、移民問題からだと云うけれど・・・。
果たしてどうだろうか。
だがしかし、抗した状況が続くなら「排他的社会」が現出してしまう。
「社会的差別」が増長されてしまう、のだ。



パリ、凱旋門。
小銃を携える兵士。
まるで、戦時下の様相である。

多くの市民が、無為に虐殺された。
改めて、哀悼の誠を捧げる。





弦楽のためのアダージョ





「パリ祭のあがなう命街に出よ」






多くの市民が、断固として街に出た。
そしてテロに屈しないとの姿勢を示した。

自由の国。
平等の国、である。
市民革命の国、でもある。



フランスの平穏たらんことを、希求する。
世界の紛争が、宗教によらない解決を希求する。
宗教間の戦いは、十字軍をもって嚆矢とするが・・・。

いまは、イスラム社会との限りない憎悪の戦いである。
だがしかし、十字軍の歴史、シオニズムを根拠とする闘いを繰り返してはならない。

この音楽を静かに聴きたい。
この曲は、ベトナム戦争を描いた映画でも使われた。
沁みる曲である。



        荒 野人