今日の料理(こだわりがないのがこだわり)

フードリテラシーに沿いつつも、なるべく夢のある料理や飲食をジャンル・国境・時代・時間をボーダレスに越えて書いています。

赤城山のトウモロコシと焼きそば

2010年02月14日 | 素材


昔、群馬県の赤城山への道で、1ヶ月間飲食店を開いてくれという依頼で、私が行く事になった。

焼きトウモロコシをメインに、カレー・焼きそば・お菓子・採れたて野菜・その他知り合いの経営者達の商品を置いて、店舗を運営してくれということで、寝泊りしながら、夏を過ごした事がある。

赤城山はトウモロコシの名産地だ、甘みが強く生でも食べられる「味来」(みらい)という品種なんかもあったりする。

朝起きて、入浴施設があったので広大なお湯に一番風呂で入り、店へ行ってからシャッターを開け、お湯を沸かし、店の前を掃除して・・・その日使う分のトウモロコシの皮を剥いて、どの店も基本は一緒なんだよな~なんて思いながら、過ごしていた。(因みに、トウモロコシってお日様の当たる先の方から甘味が強くなっているんだよ。)

でかいヤカンのお湯を2回沸かしながら、ランチの仕込み(大したものはないんだけれど)を店終わらせた後、テラスに出て、本格的な入れ方で淹れたベトナムコーヒーを飲む。但しコンデンスミルクは入れない。

気分が良ければギターをツマ弾いてみたり(ツマ弾く程度)、朝の一時を過ごす。
ご飯が炊けた頃、そろそろ開店の看板を出す。
まあ、山の中腹だから、そんなに客なんて来ない。
(色々、理由があるんだが、それはここでは書かない。)

ビートルズ(本当は私はハードロックが好きなんだけれど、お客様の為には環境を変えられる)やラジオをかけながら、日がな、夕方まで、近所のお客さんの相手をしながら、過ごす。
野菜の話なんかしたりして、でも、この野菜を使って、何か、なんちゃってメニューを作れば良かったね。取り立て野菜のパスタや、アドリブでなら何百種類も作れたのに、どうしても私は創作料理は嫌いだから、やはり修練した商品になるものには敵わないものだ。

だから、余計な事はしなかったんだけれど、周りの人が「メニューを変えよう」と言ってきた。自分がやってきたものの中(居酒屋メニュー)で、1ヶ月限定のお店で技を出すのは嫌だったのだが、仕方なく、このロッジ風の店に適した「焼きそば」を出す事にした。実は店をやっていた時代、「焼きそば」は焼き鳥を焼きながら作るのは、面倒なんだけれど、友達がいたずらで楽しんで「焼きそば」ばかり頼むから上手くなっていったんだけれど、800回目でスランプに陥り(←少しづつ何かが、コンマ何秒、水が0.0~mL、何かがずれていっていたんだね。もの凄い悩んで悩んで、「焼きそば」を辞めようと思っていた。自分の今までとイメージしていた、出来ていた事が出来なくなるって苦しいんだ。周りの人は「普通だよ~、こんなモンじゃないの?」と言っていたけれど、「違う」、そういう事じゃないんだ。)

1200回目にスランプから脱出して、コツというかリズムを掴んだんだ。商品として、ルーティーンワークの仕事としての。

800回目までのクオリティまでにはいかないけれど、絶対ボーダーラインのそれ以上のモノを絶対に失敗しないで作れる様になっていった。

「これが商品であり、料理の仕事なんだな、きっと」という気がした。
結局10年近くの間、5000回以上は作ったんだけれど、流石に5000回も作れば、ただの焼きそばでも多少は変わる。

(お客さんに「どんな凄い焼きそば使っているの?教えて?どこで売っているの?」って訊かれるけれど、絶対に見せられないし、普通のとは答えられない。(原価がバレてしまうし)「えぇ、まあ、なんていうか、秘密というか・・・、内緒にするほどのものでも無いんですけれど、まあ一応」としどろもどろになってしまう。)

で、新しいメニューを出すに当たって、僕に1ヶ月店をやってくれと言ってきた経営者側の人間に一度食べさせたら「・・・いくら出したら、ここにずっと残ってくれる?15万・20万・30万?」って話になった。

勘弁してくれよ~、まだ夏は良いけれど、「赤城の吹きおろし」(山風の事)は辛いし、周り森とか畑ばかりで誰も居ないじゃねえか、一番近くのコンビ二まで何kmもあるし(歩いて往復30分~40分だぜ)、
「エアコンもストーブも買ってあげるし、ボーナスも付ける」と言われたんだけれど、 一生いるつもりもない所に忠誠を誓うわけにはいかない、キツイけれど、俺は別のボスの考えに賛同して、ここへ来たんだ。金で二心(ふたごころ)抱くわけにはいかない。

ボスが辛い状況の時、スタッフは皆去ったけれど、俺は1人残る道を択んだんだ。
営業・事務・HP全て1人でやるのはキツカッタけれど、自分で択んだから満足だった。

話を戻そう、
仕方ないから、入浴施設の割引券を手作りし、お店への導線にしようと、企画立案して、支配人を説得し、村を足で100軒回った。100軒なんて軽いぜ。なんて思っていたら、村って一軒一軒が凄まじく遠いのな。かんかん照りの中、フラフラしながら、歩き続けて、頭を下げてご挨拶してきたよ。

その姿に、周りのお店の人が感動してくれて、お客さんになってくださったり、お客様を紹介してくださったり、お互いの商品をあげっこしたりして、BBQなんかも誘って下さった。

そして、東京のボスの指令で撤収の日(もっとやっていれば結果は出ていた)、入浴施設のおじさん・おばさん達、近所でお店を出されている方達が、名残惜しんで下さった、赤城の人は温かくて、優しくて、まじめで、人なつっこくて、ライフスタイルがしっかりしていて、やっぱり、なんていうか温ったかったな。

涙の別れだった。

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