今日の料理(こだわりがないのがこだわり)

フードリテラシーに沿いつつも、なるべく夢のある料理や飲食をジャンル・国境・時代・時間をボーダレスに越えて書いています。

言う者は知らず。

2014年11月05日 | 飲食業
 人の事ばかり書いて自分の事を書かないのはズルイので1度ここで己の飲食について書いておこう。
人は行動で語る。

 実は絶対音感みたいなのがあって1度食べた味を忘れられないとか(これも不幸で全部解読しようとしちゃうとか)、お店で料理が出る毎にこれはどうやって作るのか?(=仕込みの手順を逆から遡ってイメージしていたり)、・皿の縁までカッコ付けてソースが拡がっていたり油モノだと皿洗いの人が大変だろうな?とか、テーブルで周りのお客様のオーダーの順番をほぼアタマの中に入ってきてしまい、厨房で鍋を振る音や揚げる音から、今、どの卓のどの料理のどの行程を作っているのか、大体自分の料理に出てくるのはどのくらい後なのか、仕込みの人の切り方とかの意味やコダワっている気持ちが目の前に浮かんできたり、料理を13歳から初めて、この30年近く食べ物を楽しんだ事が3回しか無かった。

 若い頃は13.5坪ぐらいの店の奥で、「ダクト(=大型の換気扇とでも言えばいいか?)」の轟音(ごうおん)の下で焼きモノをしていても、客が箸を落とした音、話している会話の進捗(しんちょく)状況(内容までは聴こえないけれど、会話と会話の間=まで大体察する事が出来て、それに合わせてテーブルに出されるまでの時間と口に運ぶまでの時間を計算して料理の余熱で火の通る加減を調節して焼いて提供していた。)だから奥に居ても壁の隅々まで物音を聞き取る事が出来るぐらい心を配っている(その様に10年近くしてきた)。だから他の店に入った途端スイッチ・オンしてしまうんだよな。まして客席に座る側だったら、それ相応の広さの店なら物事が殆ど拾える。

 同業ってなるべくバレ無い様にしているがお互いバレてしまうんだよ、同じニオイがするというか、目線の向け方とか詳しくは書かないけれど、97%店に入ってきた時点で解る。同業同士だと触れてはいけない部分ってお互いにあって絶対にお互いそこには触れないように注意して会話をするし(意見が合わなきゃ、お互い譲らないので、男同士だと殴り合いになったり、縁を切らなければならなくなる=料理の味って人間の生命や人生に関わるものだからね、好みも全く同じ人間なんていないし、料理しかやってこなかった人にはそれを否定する=人生を否定することになるから殺し合いも仕方ないんだ(その覚悟でやってきた)、勿論言葉ではなく味だけで会話をして通じる時もあるが。
バレてしまった店では正直に上記の事を言うと仲良くなった店員さんなら「それはもう病気ですね(笑)」と言われるが、一緒に働くとなると、ある飲食店で働いていた時は「ここにも居たよ、1滴で違いの解る人が」と皆から怪奇な目をして言われたり(他にも俺と同じ様な悲しい人が居るんだな)、もう1軒の店では店長から「君はホテルとか行って修行していたら凄い事になっていた」と言われた。だから行かなかったんだ、先が見え過ぎて。

 勿論、先人(故)から新しい技術を教わり、それを習得出来た時は嬉しくて仕方が無いし(忘れない=ボクシングと同じでプロから教わった事はやっぱり理にかなっているからストンと納得して覚えるんだ、独学やその店にしか居なかった調理人や普段をそれを仕事にしていない料理人のは、解りヅライ、俺等の世界は中に入って共に汗を流せるかどうか?本物かどうかの分かれ道だと思う。そう兄弟子に教わってきたし。)
材料を自腹で買ってきて必死に夜、本やネットを観て技術を練習して習得出来た時は嬉しくは無いが達成感はある、でも、自分の味を表現する為だけに大切な人や、共に汗を流してくださるスタッフ達を傷付ける事はもう卒業した(まあ、若いうちはそういう道を通り易い)。

 自分だって自分ちの店も入れて6軒回ったけれど、色々あったよ、ちょっとキッチンとフロアの通り道でハチ合わしただけで「ドケ。コノヤロウ」と中華包丁を首に突き付けられたり、別の店ではお客様に絶対してはいけない事をしているのを止めたら燃えている焼台に押し付けられたり。(相手は格闘技をやっていたから敵う訳無くて、ヤルなら殺すしかない、でもこんな事の為に一生をブタ箱で過ごして親の死に目にも会えないんじゃ虚し過ぎる、周りも怖くて止められなかったけれど、セカンドシェフの自分が怪我をしたら、この後の予約が入っている数十人のお客様はどうなるのだろう?って)

 味の修行の為にロンドン~パリの国境を越えた時にその国の人々の味覚のポイントがガラリと変わって、そこで気付いた事があったんだ、随分心がラクになったし。でも、1番にはなれないけれど、1番を目指す心構えも大事で、だから自分は死ぬまで一生をかけ料理の勉強をしていきたいなと、ゆっくり考えている、別に急いで1番にならんでもいいし、料理だけが人生ではないし1回しかない人生だから、若いうちにすぐ店だけに入ってしまうのではなく広く世の中を見てみたかったんだよね。(勿論、共に汗を流した事は自分の基礎になっている、毎月有無を言わさず出て行く、人件費と家賃、雇い人と自分の交通費・光熱費・他人(=企業や店)の金と考えない事、毎月同じ金額が入金されるという甘い考えは持っていない事・ボーナスなんて貰わないで払う側である事・食材を売って下さる仕入れ業者さんを大切にする事、笑顔でゴキブリとかお客様に気付かれない様に掴む事=飲食やっていて居ない店なんてない、だから片付けが終るまで帰れないんだ。トイレや店の前を汚されたら自分以外に掃除をする人は居ない事、正月は普段出来ない掃除をしたりする事、御節作りで死ぬ程忙しい友達も居る、忙しいのに決算で確定申告をしなければならないこと、冬、雇っている人を電車のあるうちに帰宅させ残った皿洗いを洗剤でアカギレになった手で血だらけで=いずれ皮が慣れちゃう時もあるけれどね=夜中まで洗う事、仕入れで寒い中長い信号を待たなければならなくて心臓が凍えそうな事、夏は汗だくで作業服が自分の汗で塩を吹くまで真っ白になり、食べても食べても痩せていく事、当然皮膚だって汗もで凄い、決っして良い事ばかりじゃない。早死にする人が多い、喧嘩で店を壊されそうな時、「表でやらんかい」と力づくで追い出す事、食い逃げされた人間を追った事(あれは逆にアブナカッタ)、etc・・・挙げるとキリが無いが、普通の生活では経験出来ない事を肌で経験出来た事は基礎になっている。
料理・調理・経営の3視点から見なければいけない葛藤があるけれど。
その他に店が存在する社会的責任とか。(絶対に店をダシにして過度にモノを売り付けたり、勧誘したりしてはいけない、飲食業全体に対する冒涜だ、どんなに美味かろうと、どんな良い店や良い店主だろうと、飲食業としてそれだけはやってはいけない。)
最近、少しだけ、ホンの少しだけだけれど、1を聞いて7ぐらいは知れるようになったと感じる瞬間が何回かあった。
(前から勘は鋭かった気がしたけれど、どうしてそうなるか?上手く説明がつかなかったり、ロジスティックにゴールまでの経路を説明する事が出来なくて、ゴールだけしか目に浮かばなかった事が色々見てきて変ってきた気がする。)

 飲食の仕事をしていると、時間が無くて(人が遊ぶ時間に働くんだもの。人が働いている時間は、仕入れや仕込みか経理計算や銀行か睡眠を取っている)、勉強も出来ない、とにかく寝ないと身体がもたないんだ。だから物事を知らなくても、僕の事を笑わないで欲しいんだ、常識より毎日の昼夜逆転の人生を必死に生きる事で手いっぱいだったから。

 今、自分のペースで料理を勉強していく。
 勿論、勉強するのは料理だけではない、関わって感動した仕事や業界全てを・・・そうする事で「包括的に」世の中の物事の流れやヒューマン・システムを机上ではなく身をもって解りたいんだ(百聞は一見にしかず)だって1回しかない人生なんだもの、自分がどういう所(どういう惑星や、いつの時代)で生きていたのかしっかりと観ておきたいじゃない?
だからいつもSTRANGER(ストレンジャー=新参者・よそ者)なんだ。
ハンパな事も出来ないので人生3倍速とまでは大口を叩かないけれど、1.5倍速で習得し生きてきた。
少しは料理に対する探究心や感謝の心を説明出来ただろうか?
飲食業界から学ぶ事は多かった。
渡り歩いて流れていた償いに、料理から得た物事を少しでも広める事で、多くの人や料理人が何かの役に立てて欲しいとこのブログ記事を偏見や変なコダワリ無くやっています。
ここにくれば何かある、そんな図書館や本屋さんの様な存在があっても良いのではないかと。(目指すはイギリス料理じゃないけれど、究極の素人料理でありたいとも思っている。そこは譲れない。どこの国の料理とかに固執する気もないんだ。)

 普段、会った時は、相手に一切自分の料理の話はしません。
だって話せば話す程、自分が料理しか出来無いっていう事を身に染みて感じてくる、熱く語れば語る程冷めてくるというか、結構そういう調理人=料理と調理は違うの人、多いんのではないかな?
だから書くだけです。

早く年を取って、「味蕾(みらい=舌とかにある食物の味を感じる器官、人間には約1万個あるとされるが黄色人種はその数が他の人種より多いらしい)」の数が、減って食事を楽しめるようになりたい。
よく料理人が酒の肴に「え?」って素朴ななんとも無い様なコダワリの無いモノを食べ、「料理人の癖に」とか言われますが、それはもう解読をしたくないからなんです、味が解り過ぎちゃって、自分が心が休まる時ぐらい単純なモノで仕事(=飲食)を忘れたい。
だから素朴なモノだけで充分なのです。
(勿論、未知の料理や味に出会った時は酔いを醒ましたり=急に酔いが醒めるんですね、スイッチオンしちゃうというか、身体や色々な事が苦しくてでも身銭を切って食べて、自分の中にストックしていきますが)
食はある一定のルールの中であれば∞(むげんだい)の組み合わせがあるからキリが無くて、それでも因果なモノで身体を壊してでも味を覚え自分の中で解読しモノや糧にしようとする人間の「業」みたいなものがあるので、それを避けたいからと~っても素朴なモノを嗜好(しこう=たしなみ・好む事)するのです。
料理の基本は食材の味を活かし、引き出す事でしょ?

「料理は引き算」という言葉もあるし。

「足るを知れ!!」

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