EMIRIO☆REPORT~雑貨ちょび読書たま~

☆日常生活を不定期レポするホニャララブログ☆

わたしが一番きれいだったとき

2007-07-13 | report

          わたしが一番きれいだったとき
                  <茨木のり子詩集より>

          わたしが一番きれいだったとき
          街々はがらがら崩れていって
          とんでもないところから
          青空なんかが見えたりした

          わたしが一番きれいだったとき
          まわりの人達が沢山死んだ
          工場で 海で 名もない島で
          わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

          わたしが一番きれいだったとき
          だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
          男達は挙手の礼しか知らなくて
          きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

          わたしが一番きれいだったとき
          わたしの頭はからっぽで
          わたしの心はかたくなで
          手足ばかりが栗色に光った

          わたしが一番きれいだったとき
          わたしの国は戦争で負けた
          そんな馬鹿なことってあるものか
          ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

          わたしが一番きれいだったとき
          ラジオからはジャズが溢れた
          禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
          わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

          わたしが一番きれいだったとき
          わたしはとてもふしあわせ
          わたしはとてもとんちんかん
          わたしはめっぽうさびしかった

          だから決めた できれば長生きすることに
          年とってから凄く美しい絵を描いた
          フランスのルオー爺さんのように
                        ね


何気なくチャンネルをまわしていたテレビでこの詩が朗読されていました。 
ただただ胸に深く、心に残りました。 図書館でも茨木のり子さんの詩集は人気で、名前くらいは知っていましたが、詩については無知だったのです。 中でもこの詩は有名で、小中学校の教科書に掲載されているとか。 残念ながら私は今日初めて彼女の詩に出会いました。

テレビによると、茨木さんは軍国主義をたたき込まれたいわゆる「軍国少女」だったそうです。 その青春時代をのちに詩として語る時、茨木さんの心の中にはどんな感情がよぎったのでしょうか。 少なくとも私には戦争に対する個の無力さや、怒り、かなしみ、むなしさなどが伝わってきます(そして人間のしなやかな美しさも)。

豊かな生活、景気がよくなること・・・生きていく上でそうあって欲しいと願う要素ではあります(特に家計の苦しい我が家では!!)。 けれどそのことと引きかえに、この詩のような悲しい青春を、後の若い人たちに再び味わわさせる可能性を、作ってもいいんでしょうかね。 こんな思いを経験した国だからこそ、「軍事大国」とは違ったやり方で国際貢献を提案できるんじゃないかと思うのは私だけなのでしょうか・・・?

おっと、社会派レポになってしまいましたネ。 
茨木さんは昨年の2月、79歳で旅立ちました。 今でも多くの利用者に彼女の詩集が貸出されているのを見ると、彼女も立派な「ルオー爺さん」になれたのではないかと思います。 随分偉そうな感想を書いたけど、その前にきちんと詩集を読んでくれ~とファンの方に言われそうなので(もっともです!)この辺で。 
ちなみに写真は大分で巡回展があった時の出光美術館所蔵のルオーの絵画目録です。