旅の淡彩スケッチ便り

水絵描きと申します。旅と絵を描くことが好きです。国内外を旅行した思い出とともに旅先で描いた絵を載せています。

牧舎風の家

2011年05月31日 | 旅行記

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予定では今頃はベネルックス3国を巡る12日間の旅に行っていました。風景画家が必ず訪れるオランダのヒ-トホルンやベルギ-のブル-ジュで絵を描くのを楽しみにしていたのですが、日本からの観光客に放射能汚染の検査をするという話を聞いて、バイキンみたいに扱われるのは真っ平御免なのでキャンセルしました。

絵は遠野市内の風景です。この地方では屋根の傾斜が途中から大きくなる牧舎風の建物をよく目にします。冬の降雪と関係があるのでしょうか。

明日から4日間の予定で白馬にスケッチに出かけます。梅雨時なので少し雨が心配ですが残雪を被った山々を背景にした村の風景が描ければいいのですが。


遠野ふるさと村のどべっこ祭り

2011年05月25日 | 旅行記

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遠野の昔ながらの山里を再現したふるさと村には、江戸中期から明治中期に建てられたいくつかの茅葺屋根の曲がり屋があります。村内には小川が流れ、水車が回り、炭焼き小屋などもあり、田畑では実際に耕作がおこなわれています。

訪れた時は「どべっこ祭り」の最中。遠野のどぶろく「どべっこ」を楽しむお祭りですが残念ながら車の運転ができなくなるので飲めませんでした。その日の夜は遠野駅併設のB&Bフォルクロ-ロに泊りました。夕食は街の食堂でとりましたが、そこで昼間飲み損ねたどべっこを美味しく頂きました。遠野の風景をそのまま濁り酒にしたような素朴な味がしました。


ザシキワラシ

2011年05月20日 | 旅行記

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昔話村では、語り部から「昔あったずもな」で始まり「どんと晴れ」で終わる遠野の民話を聞きました。そのひとつにザシキワラシの話があります。ザシキワラシはこの地方の精霊で名前の通り人家の座敷や蔵に住んでいると言われています。

その家の住人からは見えないそうですが、他人からは見えることもあり、可愛い童女の姿をしていることが多いそうです。ザシキワラシが住む家は栄え、居なくなるとその家は没落すると言われています。そのとき聞いた話もザシキワラシに去られた大金持ち一家が毒キノコを食べて全滅するという話でした。

遠野から盛岡へ通じる遠野街道をしばらく走ると、石垣が積まれた上に山城のような大邸宅が見えてきます。絵はその千葉家です。代々栄えてきた富農ですが、きっとこの家にはザシキワラシが住み続けてきたのでしょう。


銀河鉄道の夜

2011年05月14日 | 旅行記

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昨年来た時は、花巻温泉で前泊してから国道283号線を通って遠野へ向かいました。道は遠野に着く直前にJR釜石線の橋の下を潜ります。絵はその宮守川橋梁 通称めがね橋です。

国鉄の前身、岩手軽便鉄道時代のことですが宮沢賢治がここへ来たことがありました。賢治が手前の芝生に寝転んで通過する列車を見ていると,まるで列車が中空を飛ぶように見えたそうです。このイメ-ジを膨らませて名作「銀河鉄道の夜」ができました。今は夜になるとライトアップされて若者達のデイトスポットになっているとのことです。


民話のふるさと 遠野

2011年05月09日 | 旅行記

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日本の原風景のような遠野に魅了され2007年秋、2009年春、そして柳田國男の遠野物語出版100年目に当たる昨年秋と計3回訪れました。

絵は車で高清水高原へ登る途中から遠野盆地を眺めた風景です。中央を流れる川は北上川の支流猿ケ石川です。この川には野暮ったいコンクリ-トの代わりに流れに沿って木が植えられ護岸の役目を果たしています。。太古の昔、周りを山に囲まれた遠野は湖だったそうです。

これから何回かに分けて遠野で描いた絵をUPしていきたいと思っています。


二重橋

2011年05月02日 | 旅行記

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大震災後、初めて二重橋を描きに出かけました。皇居入口に架かる橋には鉄橋と石橋の二本の橋がありますが絵は手前にある石橋です。

立入り禁止のロ-プが張られていて皇宮警察官が侵入者を見張っているお堀端までいって描きました。ここは東京の観光名所になっている所です。いつもなら大勢の外人客が訪れるのですが、スケッチをしていた2時間の間に来たのはハトバスツア-の日本人客のみでした。