旅の淡彩スケッチ便り

水絵描きと申します。旅と絵を描くことが好きです。国内外を旅行した思い出とともに旅先で描いた絵を載せています。

山本有三記念館

2008年07月31日 | 旅行記

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先週の日曜日、東京三鷹にある山本有三記念館へスケッチに出かけました。

駅から玉川上水沿いに歩いて12分。(風の散歩道という洒落た名前が付いていました)武蔵野の面影が残る緑に囲まれて、大正ロマンの香る洋館が建っていました。「路傍の石」で有名な作家山本有三が11年間住んだ家です。

途中から雷がゴロゴロ鳴りだしヒヤヒヤしていましたが、描き上げたとたんに大粒の雨。あやうく絵が台無しになるところでした。


角館スケッチ旅行

2008年07月24日 | 旅行記

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「3日間新幹線乗り放題12、000円」というJR東日本の大人の休日切符で角館に一泊のスケッチ旅行をしてきました。

11時過ぎ、角館駅到着。駅前のホテル フォルクロ-レ(朝食付き一泊5、880円。安くてきれいでお勧めです。)に荷物を置いた後、スケッチブックを持って駅から徒歩15分の所にある武家屋敷に出かけました。

豪雪地帯だけあって道幅は広く取っています。お昼はうどん専門店に入って名物「稲庭うどん」を食べましたが、女主人の話ではドカ雪が降るときは一晩で1Mも積もるそうです。

絵は何軒かある武家屋敷のひとつ「河原田家」です。今も何代目か後の方がお住まいになっています。札幌から来た修学旅行生の一団にひやかされながら描きました。

切符の通用期間の残り1日は家人が日帰り旅行に使いましたので今回の旅行費用はおみやげに買ったさくらんぼを入れても2万円弱ですみました。


学習院大キャンパス

2008年07月17日 | 旅行記

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フランスから帰ってしばらくしてから、クラブツ-リズムのスケッチツア-「学習院大を描く」に参加しました。

目白駅前からキャンパスが広がります。広さは20万平方メ-トル。豊島区内で唯一の自然林が残るところだそうです。絵は構内の史料館です。

やや色味の少ない絵になりました。秋の紅葉の季節なら白い史料館がもう少し映えるところです。


ラ ヴィラ コラン

2008年07月10日 | 旅行記

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絵は娘宅から歩いて数分の所にある La Villa Collinです。市内を散歩中に偶然見つけました。

緩やかな丘を登った奥に木々に囲まれひっそりと建っていました。傷みが激しいのか一部修理中でしたが古色蒼然とした中にどことなく気品を感じさせる建物です。詳細はわかりませんが、この地方を治めた貴族の館なのでしょうか。

帰国してから写真をもとにスケッチしましたが、描いていると旅の思い出がよみがえり2度旅行を楽しんだ気分になります。


ブ-ジヴァル その2

2008年07月07日 | 旅行記

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上はシスレ-が描いたセ-ヌ川の絵です。下はほとんど同じ所から私が撮った写真です。

ブ-ジヴァルはセ-ヌ川の船遊びの拠点となったところで、パリの人達がレクリエ-ションのためよく訪れたようです。ここはまたシスレ-の他、モネ、コロ-、ルノア-ル等印象派が創作活動」をしていた所でもあります。

時代を遡れば、ここはヴェルサイユ宮殿への水の供給基地となったところで、ルイ14世の命により大がかりな取水設備が設けられていたようです。電気のない時代にどうやって揚水して遠く離れたヴェルサイユまで運んだのか興味のあるところです。

 


ブ-ジヴァル その1

2008年07月05日 | 旅行記

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   (画面上で左クリックすると絵が大きくなります)

帰国する日の朝、娘婿の車でブ-ジヴァルに立ち寄りました。私の好きな印象派画家のシスレ-がここで何枚かの絵を残しています。

セ-ヌ川沿いに小さな公園があり、そこにはシスレ-がイ-ゼルを立てて絵を描いた,正にその場所に10号ほどの彼の絵が4カ所に掲げられていました。そのうちのひとつが上の「サンジェルマン 街道」です。下は私が同じ場所を撮った写真です。画面前方がパリ方向です。

絵では未舗装の田舎道で馬車?が中央に見えますが、今は片道2車線の自動車道路になっています。僅か100年ちょっとの間に建物も建て替えられたのか少し異なっています。


サンジェルマン アンレ- 城

2008年07月01日 | 旅行記

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もう1枚描こうと近くのシャト-へ。  描こうとしたら私と同年配の男性から声をかけられました。 見慣れない東洋人がスケッチをしているのがよほど興味を惹くのかよく声をかけられます。

「どこから来たんだい」・・・・・「孫に会いに日本から来ました。」                 描き上げたばかりのアンリ4世の館の絵を見せると 「絵描きさんかね?」 「絵を売るのかね?」  と聞いてきました。

「とんでもない。趣味で描いています。」  と応えると、 「それはそうと、最近中国で大きな地震があったそうじゃないか。日本でも神戸であったそうだね。」 と言われました。 津波(thunami)という言葉がフランス語化しているほど地震には関心があるようです。

「大勢の人が亡くなりました。」と答えると 「狭いところに多くの人が住んでいるから被害が大きくなるんじゃないの。」 ・・・・・  「そうかもしれません。」          と答えてから逆に質問してやれと思って尋ねました。「(この街はアパルトマンが多いパリとは異なり一戸建ての家が多いですが)一軒あたりの平均敷地面積はどのくらいですか。」・・・・・ 「500平方メ-トルくらいかなあ。」・・・・・  「フランスには地震がありますか。」 ・・・・・ 「ないねえ。 昔、スペインに近いあたりであったと聞いているけど。」

あとで整理してみるといかにも流暢に話しているようですが、実際は時々相手の言っていることがわからなくなりしどろもどろ。 英語を交えてなんとか会話できました。

「ところで椅子持っているのかい。」  カバンを開いて小さな折りたたみ椅子を見せると「ボン クラ-ジ (がんばって)」 と言い残して去っていきました。

この日は彼の他、スケッチに来たという女性(聞いてみると娘宅のすぐ近くに住んでいました)やビ-ルを飲んで顔を真っ赤にした学生など3人に声をかけられました。

描き上げてちょうどお昼になり、トイレ休憩を兼ねてカフェに入りました。シャルトル同様、ここにも公衆トイレはありませんでした。