桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2014・2・27

2014年02月28日 | Weblog

突然の告白です。今日でこの「待ち待ち日記」を最終回にすることを決心しました。こんな日がいつか来るとは思っていましたけど、そして去年の暮れにも一度やめようと思ったことがあったけど、何とか3500回まで、いやひょっとすると4000回は行けるかもしれないと欲張ってもいたけど、3390回でダウンです。KOです。人を非難中傷攻撃するのは得意でも、防御には滅法弱いボクサーの私は、親戚の一部からいい年して若い女の子に夢中になっていたり、性的なことをあからさまに書いたりするのは血がつながっている身内として見るに耐えないからこの日記をやめてくれないかと以前から言われていたこともあったし、最近ではこの日記で私が誰それと会って酒を飲んだとか誰それに相談を持ちかけたと書くと、私への非難ではなく、どうしてそんな女(男)がいいんだ?とその相手への非難中傷がメールで寄せられたりして、ちょっと鬱陶しくなっていたのです。でも、新しいお店のオープンも近づいていることだし、ここは我慢して宣伝に勤めなくてはと思ってもみたのですが、ふと気づいてみれば今度やる店は客席がカウンター三席、三人座れるテーブル席一つだけの、ごくごくこじんまりとした店で、おまけに最寄り駅は日比谷線の広尾駅ですが、そこから下手すると15分は歩かなくてはいけない「都心の秘境」の、且つビルの四階にあり、通りがかりの人は勿論、今までのお客さんだって出向くのに二の足を踏むに違いない、いかにもお客さんに来てほしくないと言わんばかりの店で、それ故完全予約制のイチゲンお断りの店で料金も高いとなると、もうお客さんを待って待って待ち続けるという「待ち待ち日記」は成立しなくなってしまったのです。正直いうと、自己顕示欲が人一倍強い私はこの日記がなくなってしまうことが残念で淋しくてたまりません。でも、何事にも潮時があり、いつか終りが来るです。今がそのとき。本当に長い間私の戯れ文におつきあいくださいまして有り難うございました。また違った形でお目にかかれるのを楽しみにしております。桃井章。


2014・2・26

2014年02月27日 | Weblog

去年「パラソル」に出演して貰った女優のTさんから久し振りに電話があって相談があると云うので歯医者さんに出かけたついでに茅場町のカフェで会う。広島で若手演出家のHさんの芝居に出演していたとかでかなりの充実感に溢れていて話を聞いているだけで羨ましくなって来る。こんなパワーを持った彼女と俺はまた芝居を出来るのだろうかと不安になる。そんな気持を抱いたまま何本もコレドシアターに出演していた女優のKさんが出ている芝居を見に行く。、芝居の出来の良しあし、感動の有無を云々する以前の問題として、収容人数100人と云う狭い劇場で二時間近い芝居をやるのって犯罪的じゃないだろうか?というのが「××△△△△」と云う芝居を見た直後の偽らざる感想だ。まず換気が悪いのか二時間近くもそんな狭い場所にいたら呼吸困難になってきて、劇場にいく前に珈琲を二杯飲み医者から処方されたカフェインまで飲んで臨んだのに、頭がぼんやりしてきて途中で意識を失いかけた。お尻だって固い椅子だから二時間も座り続けは辛い。いや、それよりなによりそんな狭い劇場なのに、出演者が11人もいるってどうなのよ?狭い舞台に同時に11人も並んでしまったら、台詞を喋らない時は棒立ちになっている俳優もいるし、ちょっと辛すぎる。と云うか、11人も出演者がいるから、そして全員にそれなりの見せ場を作ろうとするからこんな長い舞台になるんじゃないか?何故出演者をそんなに大勢出すんだ?答えは分かっている。出演者にチケットを売って貰う為だ。例えば今日のホールだって六日十ステージ(×100人)=1000人を動員するためには出演者が11人もいたって足りないだろうよ。だったら喫茶店でもいいし、地下室でもいいから狭い空間でやればいいのに。客の動員をする為に出演者を増やし上演時間が長くなるなんて、観客が一番の被害者じゃないか?とクドクド愚痴ってみても仕方ないことは分かっている。俺はキャパ100人程度の劇場でやる芝居で出演者が5人以上いる場合は出向かない主義でいたのに、長い間コレドシアターに出演してきた女優のKさんが主演だと聞いてチラシも見ないで出かけた俺が間違っていた。終演後、コレドのお客さんだった広告会社勤務のSさんと法律事務所勤務のNさんと近所の居酒屋へ。芝居の悪口を肴に割り勘で飲む。


2014・2・25

2014年02月26日 | Weblog

今日「たけしのTVタックル」を宛て名書きをしながらぼんやり見ていたら、今国会で生活保護法の改正法案が通過したことを取り上げていて、以前から三親等以内の親族はお互いに扶養義務があると民法上では努力目標みたいに言われてきたけど,今度の改正案は具体的に生活保護の申請だす前に三等親以内の親族で扶養できる人がいたら(強制的にではないと断っているが)その人に見て貰えと云っているl中身なのだ。それを自分の問題として捉えると背筋が凍る。例えば俺が病気をして働けなくなり無一文になって生活保護を申請してもウチの弟妹の経済状態を調べたら(税務署に調べる権限が出来たとか)絶対申請は受け付けて貰えない。弟妹さんたちは裕福でいるんだから面倒を見て貰いなさいと云う訳だ。それって、今から弟妹たちに媚びを売っておかないと間に合わない。云うことは全てうんうんと聞いて弟妹たちに口答えせす大人しいお兄さんでいなくては将来そんなことになった時に俺の面倒を見ようなんて断るに決まっている。だとすると何処にこのお鉢が廻っていくかと云うと、俺は戸籍上息子が二人に娘が一人いるから、そっちに問い合わせがいくだろうけど、勝手やって自分たちを捨てて行った馬鹿親の面倒なんか誰がみたいものか?ましてや彼らの息子や娘(俺の孫)なんか俺の名前だった忘れてしまっているかも知れない。向こうもそうだろうけど、こっちもそうだ。多分その頃は人生の終りが近づいているだろうし、最後の最後になって、肉親から罵倒されたり、嫌味を言われたり、俺の人生を唾棄されたりするのは御免被りたい。だとしたら病気になっても病院へ行かないこと覚悟を今から持つ必要がある。薬を貰うのはいいけど、入院生活は絶対駄目。手術なんかもっての外だ。そんなことをしたら病院としては社会保険事務所を通じて親族に連絡されてしまう。何の治療も受けずに緩やかな死を選ぼう。出来たらモルヒネみたいな鎮痛剤が欲しいけと、、それは無理だろうから今のうちから今からボレタレン(座薬)を一杯ため込んでおこう。


2014・2・24

2014年02月25日 | Weblog

母の部屋はオフィス仕様で魚をやけないので、俺の部屋で出かける寸前に焼いて持っていく。今日も美味しそうな鰺の干物が買っておいたので焼き上がるや否や部屋を飛び出して今日は徒歩十分+JR一駅+都バスの合わせて25分で到着する。少し位冷えても電子レンジでチンするより美味しいと思ってしまうのは俺が電子レンジ音痴だからか?他にしめじの明太子胡麻油和えとカイワレ大根、味噌汁は大根の千切りにスジ青海苔ご飯。食後、内装工事中の新しい店で、Kビールの担当者と生ビールのサーバーの設置方法を打ち合わせなどを済ませてから50分ブラブラ歩いて帰る。もう春めいている。こんな気持よかったら新しい店には行きも帰りも歩いて通ってみるか?帰宅後、一休みしてから案内状の宛て名書き。しばらくして何気なくつけておいたバナナマン司会の「YOUは何しに日本へ?」(テレビ東京)と云う番組に見入ってしまう。成田空港で多分やらせなしで日本に来た外人に「YOUは何しに日本へ?」とインタビューしていって、その中で面白そうな外人の後負いをしていくだけのゆるーい作りなんだけど、その中の一組、デンマークから高校を卒業したばかりの二人の青年が何の目的もなく、何の計画もなく、フラッと日本にやってきて、ガイドブックをパラパラと捲って開いた頁をいい加減に指した処に(西郷隆盛の銅像や靖国神社など)出かけたりするのだけど、あらゆることに興味を持っていく自由な行動ぶりが羨ましくてたまらなかった。ポルトガル好きの俺だけど、いくらなんでもポルトガルへ行ってあんなに自由には動けないだろう。畜生、若さか?若いからか?50才も若いとこんなことも出来るのか?いや、ちょっと待てよ。俺はこの年になっても彼らと同じ様に人生を過ごしているのかも知れないから羨ましがることはないか?。


2014・2・23

2014年02月24日 | Weblog

今日は数日前に亡くなった叔母の葬式が午後から鎌倉であるので、厳粛な気持にならざるえないのに、得てしてこういう時に限って俺はトンマをやってしまう。まず最初に着替えようとして礼服用のワイシャツをクリーニングに出していたことに気づき、開店時間を待って慌てて取りにいく。そして部屋に帰って身繕いをして大崎駅から湘南新宿ラインに乗ろうとしてそのままSuicaで改札口を通り抜ければいいものを販売機でグリーン兼を買ってしまう。だったらそのままグリーン車に乗ればいいのにちょうどきた電車に慌てて飛び乗ると空いていた普通車の座席に座って本を読みだして、一連の自分の行動ののアホさに気づいたのは横浜を過ぎた頃だから自分で自分に呆れ返る。鎌倉駅に着いた時に式にはまだ一時間も余裕があったので小学校のクラスメイトのKさんの店に立ち寄って軽く食事をしてから鎌倉教会でいとなまれた葬儀に参列する。叔母は兄(俺の父)の最初の子供だったせいか他の兄弟より俺を可愛がってくれた。そのこともあってか、教会で行われる葬儀に参列すると、牧師や神父の説教や賛美歌が疎ましく聞こえたりするのだけど、今日に限っては敬虔なクリスチャンであった叔母が神に本当に召されることを祈った。式が終わってから火葬場に同行し、叔母の骨を拾う。職員が観光案内みたいに骨の説明をするのにむかつく。市内に戻って軽い会食をして東京に戻る。品川駅のフードセンターで稲荷寿司と中華惣菜を買って母の処へ。食事をする前に礼服を着たまま犬を散歩させる。食事だけなら俺は会食したばかりだったし無理して出向く必要はなかったのだけど、今日は日曜日で犬を散歩させてくれる人か休みだったので、主目的は犬の散歩。礼服を着たままで夜の街を三十分。うんこも拾うかなりの矛盾。10時頃帰宅。鎌倉の会食でお酒を飲んで且つ母とも献杯をしたので少し酔っている処へXからかなり苛立つ電話。切った途端に苛立ちが沸点に達して、その鬱憤を誰かにぶつけたく事情を知っているZさんに電話。結局電話では治まり切らず11時過ぎなのに新橋まて出かけて行って3時過ぎまで喋りまくる。かなり女の子チックな66才男子。叔母のこともあって情緒不安定なのか?

 


2014・2・22

2014年02月22日 | Weblog

自分に自信がないからか、やたらと年下の小説家や評論家の作品が体の中に染み込んで来る。去年の秋から虜になっている小説家の中村文則は30才も年下だし、昨日は27才年下の劇作家兼演出家の三浦大輔の舞台に全神経が収束させられた。そして今日は評論家の佐藤優。俺より一廻り以上も年下の論客である彼についてはこれまでにもこの日記で「知の巨人」ぶりを称賛してきたけど、今日読み出した「日米開戦の真実・大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」には頭をハンマーで殴られたようなショックを受けた。、母との老老ランチ(すき焼き丼にじゃがいもとミニトマトのサラダ)を終えて、デザイナーのKさんと今度の店の案内状を印刷に出す前の最終打ち合わせをする為に池袋に向かう途中の電車の中で読んでいたら池袋についてもやめられなくなって、幸い約束の時間までに余裕があったのでそのまま山手線を一周してしまった。無知って怖い。無学って辛い。あの大川周明がこんなに凄い人だったとは!今日の今日まで大川周明と云うと、あの極東軍事裁判で前の席にいる東条英樹の頭を殴った精神的に問題のある右翼学者と云う認識しか持っていなかったのに、これほどまでに知的な思慮深い人だったとは!こう云う本を読むと、女の人を追い求めて時間を徒に浪費してきた自分の人生が哀しくなって来る。駄目だ。こう云う後悔をするのが人生に一番禁物なのだと分かっているのに後悔の泥沼にズブズブと沈んで行ってしまう。どうしたらいいんだ?俺は色々なことを知らないまま、若しくは事実を間違って認識したまま死んでしまうのか?と一応焦ってはみるけど、母の処に歩いていく間にポルトガル語で「友達どうしの二組の夫婦は麻布十番にあるレストランの入り口で12時半に待ち合わせると約束しました」と云う文章を暗記できたのに喝采し、今日見た2011年制作のWOWOWドラマ「遠い日のゆくえ」(脚本・福島敏朗)にまだ無名時代の剛力彩芽が出演しているのを発見して喜んだり、夕食にソース焼きそばを二人前頬張って気持悪くなっているんだから、多分俺の人生はこのままでだ。


2014・2・21

2014年02月22日 | Weblog

従兄弟のSさんから叔母のMさんが亡くなったと云う知らせが入る。享年88才。この数年は闘病生活をしていたし、年齢も年齢だし近い内にこんな日が来ることは覚悟していたけど、俺が脚本家時代はオンエァ作品がある度に電話してきて誉めてくれた電話の向こうの叔母の顔が脳裏に浮かぶ。そんな落ち込んだ気持とは裏腹に、親戚が亡くなったりすると、雑事に追われる。他の親戚への連絡や、葬儀に出られない人の代理に香典の用意、それもまた香典の額がいくらなのかそれぞれの立場で違っていたりして、煩わしい。おまけに先日参列した葬式の時に礼装様のワイシャツとネクタイがなかったことに気づいて慌てたので、今日の内に買っておこうと洋品店に入ると、礼装様のワイシャツは三枚買うと一枚分をおまけしますと云う。そんなにいらないけどと思いつつ汚れたら困るので二枚は買おうと思っていたので三枚買ってしまって何か騙された気になったのだけどいいのだろうか?そして気づいてみたら髪の毛がボーボーに伸びていることに気づいて、年配の真面目なクリッシャンが集う告別式にこの頭では不味いだろうと思って広尾にある行きつけの美容院Pに電話したら今日六時ならOKだったのでホッとしたけど、後三時間どうやって過ごすか悩んだ末に広尾にいたのに五反田の部屋に戻って、録画してあった「緊急取調室」(井上由美子脚本)を見て時間を潰してまた広尾に戻る。これもまた何だか矛盾した行動だ。叔母の死は俺を矛盾した行動に誘うのか?髪を切って貰っている間に食事を誘ってきた女友達のHさんと銀座の蕎麦屋で待ち合わせ。日本酒を飲みながら今日も女子トークするつもりだったのだけど、いつもよりさすがに弾んでいなかった気がする。


2014・2・20

2014年02月21日 | Weblog

凄い舞台を見た。登場人物は夫婦二人(+少しだけ青年)だけ。舞台には二人が座るDKのテーブルの椅子、そしてテレビだけ。小道具は二人の携帯とコンビニで買ってきた玄関の電球だけ。照明もフラットだし、効果音や音楽も殆どない。そして、これが一番凄いのだけど、ストーリーは夫婦喧嘩だけ。それなのにオーフニングで夫が携帯で妻に電話するシーンからひきつけられ、一時間四十分を飽きることなく見てしまった三浦大輔作演出の「失望のむこうがわ」(出演・平田満、井上加奈子、平原テツ)。正直に告白すると、この演出家の舞台はこれまで世間が凄い凄いと云うけど、肌に合わなかった。でも、今回の舞台は俺の肌と密着しすぎる位合ってしまって、終わって席を立つのが勿体なく、出来たらもう一度見たくなってしまった程だった。でも、このアル★カンパニーの公演は日曜日までの席が全席完売で、今日も追加公演なのに平田さんの事務所にごり押しして取って貰った位だからそれが無理だと云うことは分かっている。こうなったら再演を切に望むしかない。そんな演劇的興奮を抱えたまま一緒に見た俳優の浜田晃さんと近くの居酒屋Mで飲む。浜田さんには去年の11月、コレドラストステージの「パラソル」に出ていただいて、その後打ち上げでランチして以来だ。今日の芝居に刺激を受けた二人は当然次の舞台の話になる。「デンティスト~ネズミの歯ととっかえろ~」の構想を浜田さんに話す。芝居をしたい、いい芝居を作りたいと云う思いはお互いいくつになっても尽きない。いや、尽きてはいけない。でも、問題はコレドと云う劇場を失った今、小さい劇場を借りるにしても一人芝居とか二人芝居では動員が難しいことだ。だからって動員の為だけに大勢キャストを集めるのは邪道だし、芝居に対する冒涜だと思ってしまう。だったらどうするか?頭が痛い。浜田さんと別れてこれまた劇場で会った俳優事務所Lの女社長Nさんの待つバーへ。デスクのAちゃんと三人で久し振りにお喋り。みんなこの日記で俺の身の上を心配してくれている。感謝。


2014・2・19

2014年02月20日 | Weblog

先日、××共済の入院保険を解約したのに続いて、今日は毎月2500円弱を掛け捨てしてきた傷害保険を解約した。これで毎月二万円の節約になる。後残るはがん保険だけ。毎月二万円弱。どうしよう?解約してもいいんだけど、交通事故よりガンになる可能性の方が大きい気がするし、なったら保険金が二百万円おりるとなると、解約するのを躊躇う。大体この保険に入ったのは、ガンと診断されたら200万円を手にして治療なんかせずにポルトガルへ行って死んでしまおうと云う企みがあったからだし、ここまでかけ続けたのだし、もう少し粘ってがんにならないと損だ、なんて馬鹿なことを考えつつ、だったらポルトガル語をもっと習得しなくては駄目だと耳からテキストのテープを聞きながら50分歩いて母の処へ。今日の老老ランチはルーを使わずに作った野菜カレーを冷たいままサラダ菜に乗っけて一口サイズにしたものと牛スジとじゃがいもの煮込みに畳鰯ととろろ昆布のすまし汁。今日も母は元気。俺と同じ量の食事を取る。これじゃどっちが先に死ぬかわからない。帰宅してから録画してあった「ペタルダンス」(石川寛監督)を見る。オーフニングかなり引きつけられる。そのまま集中して見ていればどうだったか分からないけと、途中で電話が入ったりして集中力が途切れる。これだから部屋で見る映画は映画を見た内に入らないし、それでつまらないと断定しては駄目だと思う。この映画、もう一度携帯の電源を伐ってから見直すつもり。、その後新しい店の案内状の宛て名書き。オリンピック中継みながら今日は五十人分。またまだ先は長い。「マツコ&有吉の怒り新党」見ながらボウモアのロック。当人には何の罪もないと思うけど、Mちゃん、Mちゃんとマスコミが騒ぎすぎて鬱陶しいので女子フィギャーは見ない。


2014・2・18

2014年02月19日 | Weblog

都内と大阪で何軒ものイタリアンバールを展開しているFの経営者のY子さんが、俺の新しい店のことを心配してくれているので、六本木の店Dで会う。どうしてそんな大きな飲食店チェーンの経営者が俺のことを心配してくれているかと云うと、二人のひいお祖父さんが従兄弟同士、つまりひいひいお祖父さんは兄弟だったと云う、遠い親戚だからだ。古い戸籍がないので断定は出来ないけど、二人のひいひいお祖父さんが長野県佐久市で生れたのは今から200年近くも昔の江戸時代の天保年間か文久年間。それなのに現在、その子孫である二人が東京のど真ん中の六本木で会っているロマン。二人は店の経営の話をそっちのけで三時間弱の間、血の糸をたぐり続けた。春になったら二人の先祖が眠る佐久に一緒に行こうと約束して彼女と別れて、8時に女性デザイナーのSさんのマンションで催されているワインパーティに出向く。と云っても俺を含めて男女七人のホームパーティで、俺は今度の店に置く白ワインの候補を二本持参して参加者の反応を確かめようとしたのだけど、初めて出会った人たちのお喋りに夢中になった末に他の方々が持ち寄った美味いワインを飲みすぎて、体調に変化が起きたので11時前にお暇する。彼女のマンションから俺のマンションに帰る途中、ふとこんなホームパーティに参加したのは何十年ぶりだなと思う。更には独り暮らしの女性の部屋に入ったのも(他に人がいたけど)何十年ぶりだったろうと思ったりする。天保年間からの時の流れには比べようがないけど、この何十年間かの歳月が俺を何時の間にかホームパーティや独り暮らしの女性の部屋とは無縁の存在にしていったと思い知る寒風荒む夜。