桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2011・5・30

2011年05月31日 | Weblog
連絡がとれなくて行方を探していた×××△△△●●●氏から約一ヶ月ぶりに連絡があった。でも、あったことはあったのだけど、ご丁寧にもPCと携帯二つにメールで、更に店宛にファクスにも「警告!!」というタイトルで、俺のこのブログでの文章は犯罪行為に当たるので5/31の24時までにブログを削除した上で謝罪しなければ法的処置をとるとの内容だった。法的処置ですか?まぁ、このことについては色々書くことはあるけど、とりあえずは呆れて、困ったの一言。俺のポルトガルへの憧れもこれで終わることになるのか?このままこの件について書いていると、どこまで文章が続くか分からないので、ここでピリオド。でも、この件で頭が一杯の俺としては、他のことをここに書く気持ちの余裕はないので、一杯書きたいことがあるのに、こんな短い文章で今日の日記はエンドマーク。

2011・5・29

2011年05月30日 | Weblog
雨はいい。お昼過ぎに六本木で用が済んで、今日の芝居のマチネ公演の開場までに1時間ほど時間があったので、通りに面したカフェで珈琲を飲みながら雨の乃木坂の街をぼんやり見ていると、心の中に溜め込んだ怒りとか不快さを一時的にでも洗い流してくれる。心の洗浄を終えて2時に店へ。Dーsmokeの公演「青いビー玉」のマチネ公演の飲食サービスをしてから空席があったので片隅で見させてもらう。昔の演劇仲間に声の出演をして貰っての高橋真三樹氏の一人芝居。過ぎ去った過去への思いが伝わって来る。終演後、声の出演をした旧知の文学座のベテラン女優Sさんと十年ぶり位に話す。俺とSさんの間には共通の知り合いが大勢いて話が尽きず、5時半には店を終わる予定が7時近くまで。7時に西麻布の焼鳥屋で出資者の一人Nさんと待ち合わせ。今後の店の経営について相談に乗ってもらう。とにかくやばいのだ。震災も含めて今年に入ってから店の経営はとんでもなく悪い方向に事態が進んでいる。このまま指をくわえたまま事態が治まるのを待つか?でも、待っていると事態は治まるのか?だったら強行手段に打って出るか?日本酒に酔って頭の中はグルグル回る。焼鳥屋を出て近所のスタンディングバーへ。でも、ここも路上にイスが二つ出ていたので坐って雨を眺めながら相談の続き。でも、雨を見ていると、そんなことはどうでもいいような気になってしまう。勿論、どうでもよくはないのだけけど、今日はいいと思うことにする。雨をこのままずっと眺めていたいと柄にもなくセンチメンタル。


2011・5・28

2011年05月29日 | Weblog
今日中にやらなくちゃいけないことがあるのに、土曜日の昼はスタッフのO君が文学座の授業があるのでダメなので、今日のイベントのマチネ公演の飲食サービス要員として2時前に店へいく。でも、お客さんは20人弱。それに時間が時間だけにフードはオーダーがなく手持ち無沙汰でいたら、2時半になってO君が登場。今日の芝居を見る為に急いで来たのだという。だったら昨日の内に言っておいてくれたら、前半30分、おまけに観客が20人弱ならMひとりでも出来たのだし、俺がわざわざ五反田から来ることはなかったのにと何処にもぶつけられない怒りを飲みこんで、乃木坂在留60分で再び五反田にUターンする。部屋でとっくに期限が過ぎている、ある雑誌に出すウチのスペースの広告の版下原案を大急ぎで作って、編集者にファクス。ポルトガルのワイン業者に問い合わせていた案件の回答が昨日メールで届いていたので、慣れない英語で返事を書く。63になって、英語で仕事するなんて想像もしてなかった。3時間部屋で仕事して8時前に再び店へ。ソワレ公演が終わったばかりだったが、夜もお客さんは20数名だったので、芝居の後とは思えない程静まり返っている。カウンターのお客さんは近所の制作会社のMさんたち、ウチで時々公演をするM君、昨日に引き筒いて格安旅行会社経営のKさん、そして11時過ぎにN証券のFちゃん、Aさん、Yさん、それにFちゃんの大学時代からの友達のEちゃん。でも、今月でFちゃんの肩書から「N証券」がとれて(つまり退職して)、来月にはニューヨークに行ってしまう。折角仲良くなれたのに残念だが、これもFちゃんのステップアップだと思って、乃木坂のおじさんは万歳三唱で送っておげよう。

2011・5・27

2011年05月28日 | Weblog
4/21に急逝した脚本家の高田純を偲ぶ会の通知が届く。高田とはロマンポルノでのデビューが全く同じ日(同時上映)だったが、その後俺はしがないテレビ作家になって、彼は熊代辰巳監督作品を執筆するなど一流脚本家になった為、あまり交流はなかったけど、俺が店を開いてから時々顔をみせるようになって、昔話をしたりしていたもんだから、何とか偲ぶ会にも出席したいと思っていた。でも、こういう偲ぶ会が開かれるのは店の営業時間と被っていて、殆どの場合出席できない。昼間の場合もイベントがあったりすると無理だ。案の定、通知を見てみると会が開かれるのは6/25の土曜日で、その日は3時と7時に開演するイベントがあって、やっぱり無理かと諦めかけた時、開始時間が四時と書いてあるのに気づく。3時にマチネ公演が始まってすぐ新宿の会場に駆けつけて、7時開演(6時開場)のソワレ公演までにちょうど戻ってこれるのだ。まるで俺の予定にあわせてタイムスケジュールが組まれているみたいで、偲ぶ会だというのに嬉しくなってしまって、すぐ出席の返事をだす。ごめん、高田。でもさ、最近いやなことばかり続くもんだから、こんなことでも嬉しくなってしまうんだよ。何かすっきりしない。何か腑に落ちない。何か変。お前さ、俺をこんな気持ちにさせるなんて、かなり頭が悪くないか?と毒づきだくなることばかり起きる。お前さ、こんなことして将来どうなるか分かっているんだろうな?と脅かしたくなることばかり起きる。お金と時間にルーズな人間ばかり俺の廻りに増殖する。自分のミスを非難されると謝ることをしないで自己正当化ばかりする人間が多すぎる。こんなことばかりあると、誰にも真似できない面白い人生を送ってきたつもりだけど、厭世観に襲われてしまう梅雨入り。

2011・5・26

2011年05月27日 | Weblog
昨日と違って朝起きた時から胃袋が鳴っていたので、昨日食べ損ねた170グラムのステーキを食べることにする。でも、ただ焼くだけじゃ物足りなくて、焼き上がる寸前にバター代わりにクリームチーズ(ブルサン)をたっぷり乗せ、ニンニク醤油味のソースをかけて食べてみることにする。美味。安いチルドビーフが極上の味となった。付け合わせは茹でたアスパラにカブときゅうりの明太子ソース和え。それとコンソメスープだけ。ステーキを食べる時は他におかずはいらない。午後、元M省のキャリア官僚で、現在は映画評論家のT氏からTEL。先日俺が誘った「監督失格」の試写会に出席するとの返事だったが、何故俺がそんなに熱心に誘うのか聞かれて、ネタバレしない範囲で「監督失格」という映画について喋る。そこまでは桃井章の一日として何の問題もなかった。でも、その後またミスをやらかす。今日は何もないし、やることが山積みになっているし、店には遅く出ればいいやと思っていたのだけど、ふと5時半に約束があることを思い出して慌ててバスに飛び乗る。10分遅刻で店へ。でも、店にはO君以外誰もいない。どうしたんだろ?と相手に電話しようとして、約束は金曜日なのに今日が木曜日だと気づく。またやってしまった。今日は二重のミスだ。最初は約束があったことをすっかり忘れていて、でもそれが日にち違いだったのだ。もうどんどん自分に自信がなくなっていく。とにかく一旦店を出て、どうしようか迷う。部屋に戻ってもまたすぐUターンしなくちゃいけないし、外でお茶を飲んでいるのも能がない。その時、ふと連絡がとれなくなっているアントニオの自宅兼会社に行ってみようと思い立った。住所は東蒲田とある。本屋で大田区の地図を見てみると、JRの蒲田駅ではなく、羽田空港に近い京浜急行の京浜蒲田駅が最寄り駅みたいだ。こんな雨模様の、くすんだ天候の夕方に蒲田の街は似合う。多摩川が東京湾に流れ込む辺りにその街はあって、捜し当てたアントニオの自宅兼会社は奥さんのK子さんの実家なのだろうか、路地を入った長屋風の家で、ポルトガル語の表札が全く似合わない場所にあった。家に灯はついてない。インタフォンを鳴らしてみる。誰も出てこない。隣の家の人に聞いてみる。最近はあまり見かけないというが、自転車がない処をみるとまだこの家に住んでいて何処かに出かけているんじゃないかという。仕方なく「連絡くれ」とメモした名刺をポストに入れて立ち去る。路地から出た通りは小さな飲食店が並んでいる。その先には町工場が散在している。ちょっと足を延ばせば六郷川(多摩川)。反対方向に歩けば羽田空港。リスボンから東京にきて、あの陽気なアントニオがこういう街に住んでいたのかと思うと、ある感慨にとらわれた。それにしても参った。とにかく連絡をくれ、アントニオ。もうそろそろこっちも限界だ。来週になったらポルトガル大使館やポルトガル文化センターを巻き込んだ騒ぎになってしまうぞ、アントニオ。

2011・5・25

2011年05月26日 | Weblog
夕べ帰って明太子パスタを食べてからスルメを焼いて日本酒を飲んだのがいけなかったのか、今朝起きたら胃が思い。本当は170グラムのステーキを食べる予定にしていたのだけど、それはちょっと無理と判断して、厚揚げ、ぶりの塩焼き、もやしとキャベツとソーセージの牡蠣ソース炒め、キムチ、スクランブルエッグ、クレソンの味噌汁などを作って食べる。その後、食事の後片づけ、洗濯、風呂とこなすと2時。一時間で給料計算なと経理事務と日記をやってから、今日はポルトガル語講座があるので宿題をやる。三桁四桁の数字はともかく五桁、六桁、七桁の数字を言い表すのに一苦労。バスで六本木に出て銀行と郵便局に寄ってから5時に茅場町のT歯科クリニックへ。6時半に再び六本木にUターンして麻布十番にあるポルトガル文化センターへ。最初は遠慮していたけどだんだんと図々しくなってきた俺は、「先週は何をしてましたか?」とポルトガル語で聞かれて「ずっとポルトガル語の勉強をしてました」と答え、「ポルトガル語を勉強して今はどんなの気持ちですか?」と聞かれ、「ポルトガルが好きで始めたのに、ポルトガル語が難しくて、だんだんとポルトガルが嫌いになっています。でも、まだ勉強はずっと続けます」とブロークンで答えて、ポルトガル人のM先生に「Muint ben(よくできました)」と誉められる。授業終了後、一緒に勉強しているファド歌手のKさんを店に誘って、ライブスペースを見てもらう。Kさんも気に入ってくれたみたいだし、近い内にライブができるといいんだけど。Por falar em Portugal……(ポルトガルといえば……)アントニオだ。どこに行ったんだ?アントニオ?

2011・5・24

2011年05月25日 | Weblog
夕方から下北沢に出来たアトリエ乾電池に行く。劇団乾電池の稽古場の地下に出来た劇場で柄本明のひとり芝居「煙草の害について」(チェーホフ)をみる。元々は20分程度の台本を70分近くに延ばしたことの無理はあった気がするが、柄本明が自分の劇場で他人の評価なんか気にせずに好き勝手な芝居をやっていることがステキだ。これからももっともっと好き勝手な芝居をやってほしい。7時半過ぎに店へ。照明技師のIさん、Yさん、Kさん、Sさん、女性CMプロデューサーのrさんが既に来店。しばらくして映画監督兼教育評論家のhさんとT大医学部教授秘書のtサン、プロデューサーのKさんなどが来店してくれて何とかなく飲み屋の佇まいになる。途中アントニオに今日もまた電話してみる。今日もまた携帯も会社の電話も繋がらない。でも、ファクスが通じるということはまだ日本にいるということか?俺の電話に出ない、出たくない、出ることが出来ない事情があるのか?どこに行った?アントニオ?何があったんだ?アントニオ?誰かアントニオを知らないか?……なんてふざけている場合でなくて、そろそろコレドの名物になりつつあったタラのコロッケもストックがなくなりつつあるし、オリーブオイルもジュースも後僅かになってしまった。去年の内はポルトガルワインのコレトは自分が二月中には輸入できると言っていたのに、それが三月になり、四月になり、もう五月になったのに全然入荷できる様子はない。ポルトガルの料理カタプラーナに使う鍋を去年発注した筈なのに、まだ届いてない。どうした?アントニオ?こんなことじゃ日本じゃポルトガル人が信用をなくして商売が出来なくなるぞ。母国の名誉の為にも何とかしろ、アントニオ!

2011・5・23

2011年05月24日 | Weblog
食事を終えたらMが出かけてしまったので、風呂上がりにボンヤリとテレビを見ていたら人気刑事ドラマ「A」の再放送が流れだした。「A」が始まる以前に放送していたS主演の刑事ドラマ「H」の子供の頃からの大ファンだったMは、「A」がヒットした為に「H」の続編が作られなくなったと思い込んでいる為、「A」と主演のMに対する憎悪は信じがたいものがあって、「A」の番宣が流れただけでチャンネルを変えてしまう位だから、当然本編は見たことがないし、Mがいない時に再放送を見るのも妻を裏切るようで今日まで控えてきたのだけど、何だか今日は見てもいいような気がしてスイッチを切らずにいた。今日はスペシャルバージョンだったこともあってゲストも多彩、ドラマの内容も深くてさすがだと思った。こんなことならMに義理だてしないでもっと早くから見ておくんだったと後悔しながら、先日見て感動した「監督失格」を元B庁のキャリア官僚で、今は映画評論家のT氏に試写会へきて見てくれと依頼の手紙を書いたり、「かっこうワルツ」のお金の清算をしたりしていたら、Mから電話があって店に先日柄にもなく文部大臣賞を貰ってしまった有名個性派俳優のEさんと元グループサウンドTのメンバーで今やEさんと同じく個性派性格俳優として有名なKさんがきていると連絡があったので店に飛んで行く。Mは「A」を見てないので知らないのだろうが、Kさんは「A」の中でも主人公の味方なんだか敵なんだか分からないキャリアの上司としてレギュラー出演していて、「A」を初めて見た日にKさんが店にきてくれたのも何かの縁としか思えなかったからだ。二人は先日亡くなった俳優長門裕之さんのお通夜の帰り。そういえば俺は26歳の時に書いた最初の一般映画「A」からN主演の人気ドラマ「I80キロ」や二本の刑事ドラマシなど長門さんが出演した作品に何本も脚本家として関わっていたのに気づく。だからと言ってお通夜お葬式に行く関係ではなかったので、二人の傍でご冥福を祈っていたが、同世代(一才ずつしか違わない)の二人と話している内、だんだんと映画の話になって、三人で盛り上がる。Eさんの口から前出のT氏の名前がでたもんだから成り行きで「監督失格」の話になり、Kさんが出演している7月公開の「大鹿村騒動記」の話になったりする。映画の話をしていると、彼らは有名で俺は無名という垣根は取っ払われて、熱くなってしまう。雨の夜、「A」と長門さんがくれた贈り物。

2011・5・22

2011年05月23日 | Weblog
昨日寝たのが朝5時過ぎなのにトイレと喉の乾きで8時前には起きて目が覚めてしまったので朝刊を読んでいたら目が閉じてしまって気づいた時には11時過ぎ。今日は2時開演1時開場のイベントがあるので12時までに店へ行くつもりにだったら慌てて風呂に入っていたら、主宰者からもうすぐ開場なのに誰もいないけど大丈夫ですか?との電話がある。大丈夫、12時半までにはいけるからと答えたら、何を言っているんですか?今日は昨日より一時間早く開演ですから12時にはお客さんが入ってきますと言われ、パニックになる。まただ。日にちとか時間の思い違いが最近多すぎる。加齢が原因なのか?それとも?とにかく急ぐ。髪の毛を乾かしている時間はなく、濡れた髪のままでタクシーに飛び乗る。運悪く東京に詳しくない運転手で、飯倉から六本木交差点を通ってと言ったのに高輪から白金西麻布経由で行かれたもんだから苛立って「寝れた髪で乗ったからバカにいているのか」と怒鳴る。八つ当たりだ。それでも何とか12時10分過ぎには着いて、早い時間にはお客さんがいなかったこともあって何とかセーフ。開演してから何も食べてなかったことに気づいて、タコ入りペペロンチーノを作って食べる。それからソワレ公演が終わって10時過ぎに皆が引き上げるまでの間、疲れてしまって表に出る気分じゃなく、カウンターでポルトガル語の勉強。それに飽きると「3・11クライイス」(佐藤優著)を読み、疲れるとウタタネの八時間。途中天丼を食べたけど、食べた気にならず、部屋に帰って今朝水揚げされたばかりだと言う鰹をサクで買ってきたので、生ニンニクと生姜を一杯すって、万能ネギと茗荷とシソの葉を刻み、大根おろしもかけ、ポン酢で食う。となると当然日本酒。お客さんのTさんからいただいた新潟の生原酒が冷蔵庫に冷えていたのを思い出し、いただく。最高の幸せ。でも、脳裏には時間を思い違いしたことがチラチラ浮かんで、ちょっと不幸せ。酔ったついでに連絡がとれなくなってしまったポルトガル人のアントニオに電話してみる。携帯もイエ電とも今日もダメ。酔った桃井は電話が繋がってないのに「でてこい!アントニオ!」と怒鳴る。

2011・5・21

2011年05月22日 | Weblog
さわらの照り焼き、ポテトサラダとソーセージ、大根の千切りの梅干し和えをワンプレートにして、卵入り納豆と若布の味噌汁で食事してから12時に店へ。1時開場のソワレ公演の準備にかかる。2時に開演してからMは7時から始まるお客さんの京女優Kさんの結婚式に参列する為に出かけてしまったので、途中の休憩や終わった後にでたドリンクとフードのオーダーを一人で捌くのに厨房の中とカウンターを行ったりきたりしてアタフタする。4時過ぎ仕入れと食事(ラーメン)をする為に店を出るが、1時間ほどでUターン。6時にO君が来るまでの間に店内とトイレ掃除、引き上げられてきた40ヶばかりのグラスの洗い物。この時点でかなりバテている。6時半にソワレが開場して再び40人近くの観客のドリンクサービスをしていたら、そこに制作会社Tユニオンのベテラン演出家Kさんを初めとする放送人の会の面々12人が一挙して来店。開演直前に押しかけた観客のドリンクサービスと合わさって店の中はパニック状態になる。その後も某制作会社の経理責任者IさんとOさん、近所に住む化粧品会社のHさん、同じく近所のAさん、イチゲンのカップル、いつも妖しい魅力を振りまく歯科医のSちゃんなどでカウンターとテーブル席は満杯。放送人の会の面々が引き上げてホッと一息ついていたらそここにKさんの結婚式帰りのNさんとSさん、美人OLのJ子ちゃんと女性自主映画監督のHさん、昨日に引き続いて大阪の運送会社の女性社長Yさんなどが来店、更に今や中堅映画監督として着々とした地位を築きつつあるOさんが今年開校した日本映画大学の生徒たちと来店してくれたので、再びカウンターは満杯状態。NさんやJ子ちゃんたちは来店してくれたのにMはどこに行ったのか気にしている余裕もなく、なれないカウンターの中でお酒を作り続ける。漸く1時過ぎにお客さんはO監督たち、J子ちゃん、Sさん、Yさんだけになったのでカウンターに坐って飲みだす。Oさんの話が面白く、映画好きのJ子ちゃんたちも楽しそうだったので、ついつい3時過ぎまで。一人で後片付けして家に帰ったのは4時半。何も食べる余裕はなく、当然の如くバタンキュー。長い一日だった。