週末、NHKの映像の世紀、「第3集 それはマンハッタンから始まった」を見た。最近再放送をしていた番組を録画していて久しぶりに見た。この番組がリアルタイムで放送していた時も大変興味深く見させて頂いて、今回久しぶりと言うこともあり、ワクワクしながら見させて頂いた。
この番組の中で「デューク・エリントンさん」の話が出てきた。私は、デューク・エリントンさんのことを以前は全く知らなかったので、ずっと前にこの番組を見た時には全く気にもしていなかったのだが、今回は、特別にこの名前に反応した。
デューク・エリントンさんは、20世紀のジャズミュージックの中心的な存在で、1964年に来日した時に、新潟市来たことがある超有名ジャズミュージシャンである。ちょうど新潟地震が起こった数日後に来日されていたらしく、当時新潟市のアメリカ文化センターが地震の惨劇を目にし、来日中のデューク・エリントンさんに連絡を取り、チャリティーコンサートが実現したという歴史があるらしい。
私は、デューク・エリントンさんのことも、新潟地震にまつわるエピソードも全く知らなかったのだが、当時アメリカ文化センターに勤められていて、デュークさんに直接電話をかけた館長秘書の方と今年の春直接お会いさせて頂いて、いろいろなお話を聞かせて頂いたことが、私がデュークさんを知るきっかけだった。
一昨年の終わりから去年の始まりにかけて国際交流やボランティアについての概念的なことについて悩んでいた。私は、歴史のある団体のルーツを辿ったり、背景を参照しながら手掛かりになることがあるのではないかと考えいろいろ調べていた。そんな時に思いついたのが、歴史ある団体の基盤を創った方に直接話を伺うことだった。そしていろいろな方を頼らせて頂いてたどり着いたのがその当時アメリカ文化センターで働いていてデュークさんに当時電話をかけて新潟市にデュークさんが来るきっかけを創った方だった。
何も知らない無知な私、そして突然連絡を取らせて頂いたにも関わらず、快くご自宅に招待して下さって、私だけでは知る由もなかった素晴らしいお話の数々を長い時間取って下さり、丁寧に教えて下さった。
お話を聞いている中で私は、そもそも国際交流やボランティアについての考え方が誤っていることがわかった。私が考えていた国際交流やボランティアは、全て何かの機会を探し出し、そこで何かをさせて頂くというミクロの視点に基づくものばかりだった。
しかし、その方のお話を聞いて、ミクロの話も大切だが大きなトレンドを創造するようなマクロの視点も大切なことを感じることが出来た。私も常々大きなトレンドを創出するようなアクションに対する憧れがあったが、実際にどうすればよいかわからなかったが、その時、その概要が理解できた。
その方が紛れも無く新潟市の国際交流の礎を築いた方だった。私がデューク・エリントンさんを知るきっかけとなったのは、そんな私にとって幸運な出会いがきっかけだった。
その方が現在も現役で取り組まれている活動も、その方の大ファンになったので一度見学させて頂いた。その方は、今も美しく輝いておられた。きっとデューク・エリントンさんと電話した時と同じ目の輝きを私は感じたのだと思う。
この番組の中で「デューク・エリントンさん」の話が出てきた。私は、デューク・エリントンさんのことを以前は全く知らなかったので、ずっと前にこの番組を見た時には全く気にもしていなかったのだが、今回は、特別にこの名前に反応した。
デューク・エリントンさんは、20世紀のジャズミュージックの中心的な存在で、1964年に来日した時に、新潟市来たことがある超有名ジャズミュージシャンである。ちょうど新潟地震が起こった数日後に来日されていたらしく、当時新潟市のアメリカ文化センターが地震の惨劇を目にし、来日中のデューク・エリントンさんに連絡を取り、チャリティーコンサートが実現したという歴史があるらしい。
私は、デューク・エリントンさんのことも、新潟地震にまつわるエピソードも全く知らなかったのだが、当時アメリカ文化センターに勤められていて、デュークさんに直接電話をかけた館長秘書の方と今年の春直接お会いさせて頂いて、いろいろなお話を聞かせて頂いたことが、私がデュークさんを知るきっかけだった。
一昨年の終わりから去年の始まりにかけて国際交流やボランティアについての概念的なことについて悩んでいた。私は、歴史のある団体のルーツを辿ったり、背景を参照しながら手掛かりになることがあるのではないかと考えいろいろ調べていた。そんな時に思いついたのが、歴史ある団体の基盤を創った方に直接話を伺うことだった。そしていろいろな方を頼らせて頂いてたどり着いたのがその当時アメリカ文化センターで働いていてデュークさんに当時電話をかけて新潟市にデュークさんが来るきっかけを創った方だった。
何も知らない無知な私、そして突然連絡を取らせて頂いたにも関わらず、快くご自宅に招待して下さって、私だけでは知る由もなかった素晴らしいお話の数々を長い時間取って下さり、丁寧に教えて下さった。
お話を聞いている中で私は、そもそも国際交流やボランティアについての考え方が誤っていることがわかった。私が考えていた国際交流やボランティアは、全て何かの機会を探し出し、そこで何かをさせて頂くというミクロの視点に基づくものばかりだった。
しかし、その方のお話を聞いて、ミクロの話も大切だが大きなトレンドを創造するようなマクロの視点も大切なことを感じることが出来た。私も常々大きなトレンドを創出するようなアクションに対する憧れがあったが、実際にどうすればよいかわからなかったが、その時、その概要が理解できた。
その方が紛れも無く新潟市の国際交流の礎を築いた方だった。私がデューク・エリントンさんを知るきっかけとなったのは、そんな私にとって幸運な出会いがきっかけだった。
その方が現在も現役で取り組まれている活動も、その方の大ファンになったので一度見学させて頂いた。その方は、今も美しく輝いておられた。きっとデューク・エリントンさんと電話した時と同じ目の輝きを私は感じたのだと思う。
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