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コメント転載

2005年09月13日 20時06分02秒 | 教育・学習法
↓ は、「たゆたえど沈まず」というブログの「体罰についての私見」という記事。http://plus-ultra.cocolog-nifty.com/ultra/2005/08/post_8480.html#c3937323
のコメント欄に書いた文章ですーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
遅ればせながら、新ブログ開設おめでとうございます。

>暴力は癖になる。
>特に正当化された暴力は癖になる。

そうだと思います。

>コントロールして暴力を振るうことが出来るな>んて、暴力を振るいながら一方で「おまえの
>ためを思っている」なんて、私には生涯到達
>できない神の境地だろう。

教師その他教育者とか指導者を神扱いするのは危険ですね。やめたほうがいい。

>深く反省した。相手を傷つけたことにでは
>なく、そうしたおおごとを招いてしまったことを

いい視点だと思います。というのは、肉体的にも精神的にも相手の痛みなど、実際には分かりようもないので。「相手の身になれ」をバカ正直に実行すると、際限なく相手のプライバシーや内心を聞き出さねばならなくなる。すると、相手に不要な負担をかけ、肉体的にも精神的にも困難を増やすことになる。
社会的に、暴力を振るうと信用がなくなる、軽蔑される、法に触れる…という点を強調したほうがいい。でなければ、うまくかわせなかったとして被害者が不当な責めを負う。加害者も、
永遠に苦しむことになるか、上っ面だけの謝罪・反省におわってしまう。

>ここだけの話、あれくらい鈍感でないと教師
>は務まらないのだろう。(中略)彼らは教師に
>向いていないがゆえに、教師に向いている。

鋭い指摘です。こういう神経していないと、教員にはならないし、なれない。なったとしても、しばらくすれば転職してしまう。

>私は教育を根本的に信頼していないのかも
>知れない。

本当にそうだと思います。教育には、教えるものが神の視点にたってしまう危うさがつきまといます。相手が子どもや未熟者だからといって、教えることにかこつけて相手を殴ったり、閉じこめたり、恥辱を与えたりする。内申書裁判の原告だった保坂展人さんは、学園闘争に参加したために、当時の中学校から出席妨害・監禁・暴行を受けています。文明批評家のイリイチは、近代になって画一的な発展などとともに神聖視されるにいたった教育を、神の意思にそむくものとして批判しています。わたしも、教育は、できればないほうがいいくらいに考えています。もし受けるとしても、処世術上の必要悪でしょう。

名前: ぱれいしあ | September 13, 2005 08:04 PM