黒駒 寺社参拝記

畿内を中心とした寺社参拝記です。主に西国三十三所や聖徳太子霊場を巡礼中です。

鹿苑寺 金閣舎利殿

2010-03-30 17:24:25 | 京都の寺社・御所・離宮
修学院離宮を参観した日は朝から北山の鹿苑寺に行ってきました。ここを訪れるのは今回で
3回目。1回目は子供の頃、昭和の大修理の前で写真で見ると今ほどまばゆい金閣では
なかった時。2回目は10年ほど前、そして今回3回目。開門の9時前にも関わらず
観光客や修学旅行が門前に溜まっていたので、一番前に並んで一番に入山しました。
だから最初の一目は誰もいない状態。やはり目の前に金閣が現われると感動しますね。


あとに続いて入ってきた関東方面からの中学生の団体も一様に「うわー、やべェコレ!」
「マジすげェ!」(以上、男子)「きゃー!マジすごくない?」(女子)と驚いておりました。
京都人としてはちょっと嬉しい・・・(とは言っても僕もたった3回目だけど) 外国人観光客も
「WAO!」みたいなこと叫んで一心不乱に写真を撮っておりました。






元は公家の西園寺家の山荘。西園寺山荘の池は金閣の裏手にある。


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修学院離宮 上御茶屋

2010-03-28 16:58:50 | 歴史
離宮参観の順路は下御茶屋から中御茶屋へと進み、最後は上御茶屋になります。
上御茶屋への入り口は「御成門」霊元院行幸のために造られた門です。


最上部にある隣雲亭から。奥に見える借景となる山々は岩倉・鞍馬・貴船。秋は一面紅葉になる。


隣雲亭の庇の下の「一二三石」(ひふみ石) さりげない意匠が後水尾院のセンスの非凡なところ。


隣雲亭からみえる池は浴龍池。池には三つの島が浮かび橋が架かります。ひときわ目につくのが「千歳橋」 
創建当初のものではなくて江戸後期の文政7年に山荘修理の際、京都所司代の内藤紀伊守から献上された橋。
山荘の風情には合わない大名好みの橋である・・・と不評の声もあったそうです。




上御茶屋を最後に修学院離宮の参観は終わりです。一巡して思うのは、京都には多くの
寺社仏閣の庭園がありますが、この離宮の庭園は規模といい風情といい京都一すばらしい
のではないかと思います。冬なので木々も葉をつけていないのですが、それでも充分です。
これが青葉の季節となり紅葉ともなればさらに美しさはあがると思うので、是非秋にも
参観したいです。全行程約3km、約70分の参観コースでした。

付記:修学院山荘へは後水尾院が70回以上、霊元法皇が毎年秋冬、光格上皇が毎年行幸
    されたと記録にある。

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修学院離宮 中御茶屋 旧林丘寺門跡・朱宮御所

2010-03-27 12:01:30 | 歴史
離宮を上空から航空写真で見るとこのようになります。


3つの御茶屋は現在は松並木道で結ばれていますが、これは明治になってから整備された
もので、元は田んぼのあぜ道だったそうです。後水尾院をはじめ、この山荘に行幸された
上皇・法皇はいずれもあぜ道を歩いて山荘内を巡られたそうです。


林丘寺門跡の記事でも書きましたが中御茶屋は元は朱宮御所、林丘寺門跡で明治になって
から離宮に組み入れられました。楽只軒(手前)と客殿(奥の高い建物)はいずれも旧朱宮御所です。


楽只軒の前庭にある苑池は創建当時の古図にも描かれている。


客殿は東福門院(後水尾院中宮、将軍秀忠娘)の女院御所の奥対面所を移築した。一の間の飾り棚は
霞棚と呼ばれて桂離宮の棚と醍醐寺の棚とならんで天下三棚と称されている。


客殿内の杉戸に描かれた祇園祭の「岩戸山」と「放下鉾」の図


客殿の欄干は網を干した形をあらわしているので「網干の欄干」と呼ばれる。


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修学院離宮 下御茶屋

2010-03-26 17:27:10 | 歴史
参観者は離宮の表総門でまず参観証をみせて門内に入り、受付で参観証を渡して代わりに
簡単な説明が書いてあるパンフレットを受け取ります。そして受付所の隣に待合所が
あって参観開始まで待ちます。待合所には売店があって御所や離宮の絵葉書や本、
ハンカチやカレンダーなどのいろいろな御所離宮グッズを販売しています。

参観10分前ぐらいになれば待合室内で修学院離宮の紹介ビデオが流されます。
いよいよですね。大きな荷物は無料ロッカーに入れてガイドさんの後について行きます。
参観者は1回につき上限50人ぐらいだそうで、僕の行った時は20人ほどでした。
1日に4回参観はありますが、紅葉がすばらしい秋には予約開始から即日で満員に
なるそうです。写真撮影は自由ですが、ガイドさんから勝手に離れての自由行動は
できません。まずは下御茶屋からです。

下御茶屋への入り口の御幸門。創建当初のものではなく後世につくられた門です。


下御茶屋の寿月観とその玄関にあたる御輿寄。後水尾院の御座所ですが、現在残るのは
江戸中期の文政年間に元のまま再建された建物です。ただし扁額は院のご宸筆です。




修学院離宮に残る建物は広い敷地に5棟だけです。庭園を楽しむ離宮です。ゆっくり鑑賞できないのは残念ですが。


離宮内にはいろんな形の灯篭が残ります。


寿月観の前庭にある白糸の滝


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修学院離宮 表総門

2010-03-25 19:01:40 | 歴史
京都には離宮が2つあります。元は八条宮家の別業である桂離宮と後水尾院造営の山荘、
修学院離宮です。どちらも前日以前に申し込めば誰でも無料で説明付70分コースの
参観ができます。一般に開かれた離宮です。

少しこの離宮について説明をいたします。まずは修学院という地名ですが、平安初期に
この地に建立されたお寺の名前です。南北朝期に廃絶して寺はなくなりましたが、
寺名が地名として残りました。

後水尾院はとりわけ比叡山に対する思いが深かったらしく、修学院の山荘にさきがけて
洛北の長谷、岩倉、幡枝などに比叡山を視野におさめる山荘の造営を手がけています。
修学院の地に山荘の造営を始めたのは後水尾院が御年60才の頃です。

この地には先に後水尾院の第一皇女である梅宮の円照寺があり、ここに行幸した院が
眺望や立地条件を気に入り、京都を離れたかった梅宮の意向とも一致して円照寺を
奈良に移転させて本格的に山荘の造営を行なうことになりました。造営にあたり
後水尾院は自ら粘土を練って模型をつくり設計を行なったそうです。

修学院離宮は下御茶屋・中御茶屋・上御茶屋と大きく3ゾーンに分かれています。
それぞれの御茶屋の間には田畑があります。これは造営当時からで山荘の敷地は当地の
百姓に開放されて四季の農耕の風景も山荘に取り込んだとされています。現在では
景観保護のために田畑を宮内庁が買い上げて、元の地主さんに実際に耕作してもらって
いるそうです。

下御茶屋から中御茶屋あたりの田畑。この道の先に林丘寺門跡があります。




冬は寂しい風景ですが、春の田植えから秋の稲刈りまでは離宮の一風景となります。


下を見下ろすとけっこう高いのがわかります。離宮の最も上の上御茶屋は海抜149mで
京都タワー(131m)より高いです。


修学院離宮の表総門。参観者の入り口です。まわりは大変静かな住宅と田畑で囲まれています。


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