プロメテウスの政治経済コラム

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草の根平和交流 北海道猿払 強制連行朝鮮人遺骨発掘

2006-08-23 17:50:24 | 政治経済

「せめて骨だけでも家族に会わせてあげたい」。戦時中、軍用飛行場を造るために働かされ、死亡した朝鮮半島出身者の遺骨を発掘する日中韓の共同ワークショップが20日、北海道宗谷管内猿払村浅茅野の旧共同墓地で始まりました。日中韓の若者ら二百人を超える人たちが参加しました(「しんぶん赤旗」2006年8月21日)。

猿払と浜頓別にまたがる旧陸軍の浅茅野飛行場は、対旧ソ戦に備え1942年(昭和十七年)から44年まで工事が行われ、1400メートルと1200メートルの二本の滑走路が完成しました。工事の主力は強制連行された朝鮮人や囚人。動員された学生や住民も加わり、数千人が土運びや整地に従事しました。過酷な労働と虐待、伝染病で多くの朝鮮人が命を落としましたが、猿払村、浜頓別町が所蔵する「埋火葬認許証」では、八十九人の犠牲者が確認されています。 
現地実行委員会責任者の水口孝一さんは、「旧墓地を移転したときに、朝鮮人の人たちは置き去りになってしまった。身内の方々のことを考えると心苦しい。村の若い人たちからも協力しようと声があがり実行委員会ができました」と話します(「しんぶん赤旗」同上)。

地元には「滑走路に人柱として六、七人が埋められた」「けが人は工事現場に生き埋めされた」との目撃談が伝わっています。当時、軍の資材運搬で働いた猿払村浅茅野の農業鈴木正夫さん(82)は「麻袋みたいなものを着て、やせた朝鮮の人が働かされ、死者は荷車で運ばれていった」と話しています。「短期間でも地区の祖先と一緒に眠っていた人たち。何とか故郷に帰してあげたい」という水口さんの父もフィリピン海域で戦死し、遺骨が帰らなかっただけに実感がこもります(「北海道新聞」2006年8月13日)。

北海道大学大学院助教授・小田博志さんは、北海道新聞夕刊〈魚眼図〉(2006年7月26日)で「北海道から平和をつくる」と題して次のように述べています。
《平和を国まかせにしない。昨年、ベルリンのドイツ歴史博物館で「1945年-戦争とその帰結」という特別展を見た。そこにはドイツとかつての敵国との和解について、次のような説明があった。――戦後のはやい時期に、和解はもっぱら民間やキリスト教会のレベルで行われた。また、若い世代の国境を越えた出会いと交流が、敵対感情の解消を促した。どうやらドイツでは民衆による「下からの平和構築」が、政府の動きよりも先んじていたようなのだ。日本ではどうだろう。実はここ北海道にも、地道に平和の活動を続ける人たちがいる。殿平(とのひら)善彦氏(浄土真宗僧侶)らが深川市ではじめた「空知民衆史講座」はその一例だ。戦時中、北海道に強制連行された朝鮮人の多くが、炭鉱や工事現場での過酷な労働のために命を落とした。戦後も故郷の家族のもとに戻ることなく、現地で埋もれたままの遺骨もあるのだという。殿平氏らがそうした遺骨の発掘を朱鞠内(しゅまりない)ではじめたのは1980年のことだった。この活動はやがて国や民族の垣根を越えて広がり、韓国人、在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族も参加する交流の場が実現している》

「東アジアの平和な未来のための共同ワークショップ」には、遺骨発掘に加えて北大での講義、韓国と中国の研究者を交えた国際学術シンポジウム、韓国やアイヌのアーティストによるコンサートなどの文化交流プログラムも計画されているそうです。

日本には、中韓と対立を煽ることが愛国心と勘違いしている人もおるようですが、真の愛国心は国境の枠のなかにとどまるものではありません。



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