今年初めに亡くなった天才チェス棋士、ボビー・フィッシャー氏は、国際政治に翻弄された人である。04年に出国しようとしたところを成田空港で身柄を拘束されたのは記憶に新しい。表面的には入国管理法違反の疑いだが、事実上、アメリカへの反逆罪のようだ。チェスは将棋と違い、取った相手の駒を使わないため、双方とも駒がなくなり引き分けが多いゲームといわれる。反逆精神を持つフィッシャー氏は攻撃的な戦法でファンを魅了した。
「Rosie Solves the Swingin' Riddle!」は、チェスボードのクイーン、ロージーことローズマリー・クルーニーと、キング、ネルソン・リドルが共演したアルバムだ。リドルはシナトラやナット・コールのアレンジを数多く手がけた音の魔術師で、シナトラの「スイング・イージー」は伴奏指揮の手本ともいえる素晴らしいものであった。ここでもそのジャズ・センス溢れる手腕を遺憾なく発揮しており、1曲毎に丁寧に施された編曲は碁盤の目を慎重に移動する駒のように考え抜かれている。女性歌手が引き立つ巧みなアレンジに応えるロージーもまた見事なもので、チェスの完璧で理想的なチェックメイトの形を見るようだ。
ロージーは、江利チエミがカバーした「カモナ・マイ・ハウス」をオリジナル・ヒットさせたこと一世を風靡したポピューラー歌手なのだが、センスが良くジャズを歌っても際立つスイング感を持っている。そのジャズ・ヴォーカリストとしての実力はエリントンと共演した「ブルー・ローズ」で聴けるが、伸びる声と堂々とした歌いっぷりは、少しばかり名が売れた歌手がちょいとお遊びでジャズを歌う、といった安易な企画とは一線を画したものだ。ビング・クロスビーと共演した映画「ホワイト・クリスマス」では、女優としても立派な演技力をみせていたが、その血は甥のジョージ・クルーニーに受け継がれている。歌でも映画でも次の作品が待ち遠しいのが一流というものである。
フィッシャー氏は、米国政府の棄権勧告を無視して、国連の制裁下にあったユーゴスラビアで対局に臨み、対戦する相手がたとえ国であっても物怖じすることはなかった。ロージーもまた、リドルをはじめエリントン、ペレス・プラードという下手な歌手なら押し潰されそうになるビッグネームをバックにしても引けを取らない。威風堂々たるキングとクイーンをみるようだ。
「Rosie Solves the Swingin' Riddle!」は、チェスボードのクイーン、ロージーことローズマリー・クルーニーと、キング、ネルソン・リドルが共演したアルバムだ。リドルはシナトラやナット・コールのアレンジを数多く手がけた音の魔術師で、シナトラの「スイング・イージー」は伴奏指揮の手本ともいえる素晴らしいものであった。ここでもそのジャズ・センス溢れる手腕を遺憾なく発揮しており、1曲毎に丁寧に施された編曲は碁盤の目を慎重に移動する駒のように考え抜かれている。女性歌手が引き立つ巧みなアレンジに応えるロージーもまた見事なもので、チェスの完璧で理想的なチェックメイトの形を見るようだ。
ロージーは、江利チエミがカバーした「カモナ・マイ・ハウス」をオリジナル・ヒットさせたこと一世を風靡したポピューラー歌手なのだが、センスが良くジャズを歌っても際立つスイング感を持っている。そのジャズ・ヴォーカリストとしての実力はエリントンと共演した「ブルー・ローズ」で聴けるが、伸びる声と堂々とした歌いっぷりは、少しばかり名が売れた歌手がちょいとお遊びでジャズを歌う、といった安易な企画とは一線を画したものだ。ビング・クロスビーと共演した映画「ホワイト・クリスマス」では、女優としても立派な演技力をみせていたが、その血は甥のジョージ・クルーニーに受け継がれている。歌でも映画でも次の作品が待ち遠しいのが一流というものである。
フィッシャー氏は、米国政府の棄権勧告を無視して、国連の制裁下にあったユーゴスラビアで対局に臨み、対戦する相手がたとえ国であっても物怖じすることはなかった。ロージーもまた、リドルをはじめエリントン、ペレス・プラードという下手な歌手なら押し潰されそうになるビッグネームをバックにしても引けを取らない。威風堂々たるキングとクイーンをみるようだ。
ロージーはカムバック後、コンコードに多くの作品を残しております。新旧問わずお気に入りのアルバムをお寄せください。
管理人 Rosemary Clooney Best 3
Blue Rose w. Duke Ellington (CBS)
Rosie Solves the Swingin' Riddle! (RCA)
Sings Ballads (Concord Jazz)
ロージーも好きですが、ジョージ・クルーニーも好きでして、オーシャンズ・シリーズは全部観ております。最もセクシーな男性に選出されたこともあるクルーニーです。クルーニー・ファンのコメントもお待ちしております。
Dukeさんが挙げたBlue Roseは、エリントン楽団がバックを入れてあとにロージーが歌を入れた(*)、言わばカラオケ盤であることは最近ではかなり知られるようになりましたが、エリントン楽団が自分の専属シンガー以外と初めてつくったヴォーカル・アルバムがこのロージー盤だということはまだそれほど周知の事実になってはいないようです。
(*)歌が下手だから何度でもやり直せるカラオケ録音にしたのではなく、ロージーが妊娠していてロスから動けなかったので、エリントン楽団が東海岸で伴奏を入れて、そのテープをビリー・ストレートホーンがロスまで持っていって録音したのです。
ストレーホーンはキーやテンポなどアレンジの打ち合わせでも事前にロージーの所に出向いており、このアルバムのためにアメリカ大陸を2往復したことになります。
なお、ロージーによれば、ストレーホーンは大変に料理が上手で、ビヴァリーヒルズの自宅で豪勢な料理を作ってくれたとか。
もうひとつ、ロージーが自伝で告白していることを。Rosie Solves The Swingin' RiddleとLoveを吹き込んだ当時(1960年代前半)、リドルとロージーは恋仲にありましたが、ともに結婚しており、しかもリドルには7人、ロージーには5人の子供があり、とても離婚に踏み切れる状態ではなかったようです。
二人の情熱の結晶が爛熟した愛のバラードを聴かせるLoveですが、二人のことで悩み抜いたロージーは1960年代中頃からキャリアを中断させ、一時精神病院に入院してしまいます。
1970年代に入ってロージーの復活に手を貸したのが、ビング・クロスビーとコンコード・レコードのカール・E・ジェファーソン社長でした。
Loveとビングが亡くなった翌年に発表されたRosie Sings Bingにはそんな背景もあります。
若い頃もいいけど、カムバック後は、歌唱に幅ができたように感じます。
ポップスも歌っていますが、ジャズシンガーと言って良いのではないかと思います。原曲の味を生かして歌っていますね。
晩年は、かなり貫禄がつきましたね。
しかし、歌は深みが出ていいですね。
http://www.youtube.com/watch?v=exmVlbAQAg4
http://www.youtube.com/watch?v=MFJLbPXA83U
2枚しか持っていなくて、ベスト3は挙げられませんが、手持ちのものは、この2枚です。
The Buddy Cole and Nelson Riddle Sessions
Clap Hands Here Comes Rosey
Everything's Coming Up Rosieが、聴きたいなあ、と思っていましたが、
Rosie Solves the Swingin' Riddle! も聴きたくなりました。
Blue Rose の詳しい背景のご紹介ありがとうございます。カラオケ録音は知っておりますが、とてもそうは思えないような一体感があります。事前に打ち合わせをしたとはいえ、ストレーホーンのアレンジは微に入り細を穿ち、ロージーを研究したのでしょうね。「ブルー・ローズ」をロージーのために書き下ろしたエリントンも相当の熱の入れようです。美女には熱心なお二人です。(笑)
リドルとロージーの関係は初めて知りました。遙洋子さんの著書に「美女の不幸」というのがありますが、ロージーの精神病院入院はそれを物語るようです。
ジェファーソン社長は、アーネスティン・アンダーソンもカムバックさせておりますが、ロージーへの肩入れぶりは多くのコンコードのアルバムから伝わってきますね。
おっしゃるようにカムバック後は、歌唱に幅ができ、ジャズシンガーと言っても過言ではないでしょう。昨今美女ブームで、あらゆる美女系のアルバムが再発されておりますが、なかにはスイング感もないのに無理やりジャズというのもあります。やはり歌唱力があってこそ聴くに耐えるアルバムになるわけです。それを満たしてくれるのがロージーでしょうね。
Rosie Solves the Swingin' Riddle! はお薦めです。今流行りのヨーガ式ダイエットです。(笑)
You Tube のご紹介ありがとうございます。じっくり見ると、目の辺りはジョージ・クルーニーによく似ておりますね。 思わず「カモナ・マイ・ハウス」を一緒に歌ってしまいました。(笑)
デューク・エリントンへのトリビュート・アルバムを企画したジェファーソンにシンガーのひとりとしてロージーを紹介したのは、ドラマーのジェイク・ハナでした。
ロージーは、コンコードのこともジェファーソンのこともよく知らず、レコーディングに臨んだわけですが、無事セッションが終わると、ジェファーソンから「うちで年に1枚ずつアルバムを作りませんか。内容はお任せします。」というオファーを受けました。
突然の申し出にロージーはびっくり。マイナー・レーベルに対する不安はあったものの、ジェファーソンも自分に賭けようとしていることを意気に感じて、即座にOK。契約書はその場での握手だけだったようです。
その時のアルバムがA Trubute To Dukeで、Blue Roseで歌ったI'm Checkin' Out - Goom Byeを再録音しています。
こうして、Everything's Coming Up Rosieに始まる、ロージーのコンコード時代が幕を開けました。
1977年のことです。
縁を取り持ったのはエリントンでしたか。そしてトリビュート・アルバムにシンガーのひとりとしてロージーを紹介したジェイク・ハナといい、本物を知っていたのでしょう。A Trubute To Duke は一流による一流のアルバムですね。よくにたかをさんのきり絵のようなジャケが素晴らしい1枚です。
大手を渡り歩いてきたロージーが、握手だけで契約したのは、ジェファーソンの人柄だったのでしょうか。コンコードはマイナー・レーベルとはいえ、1,2を争うジャズ・レーベルですね。
ヴォーカルが苦手のKAMIです。(笑)
私があげる事ができるのは「シングス・バラッズ」だけなのです。(泣)
と言う訳で今週は、皆様のコメントをアルバム選びの参考にさせて頂こうと思っております。
ベスト3は、これで決まりと言いたいところですが、実は「シングスバラード」と同じくコンコード盤の「ウイズ・ラブ」しかちゃんと聴いていないので、ベスト3を語る資格は有りません。今回も、諸先輩のコメントをしっかりと勉強させていただきます。
「シングス・バラッズ」は私も挙げた1枚です。「酒とバラの日々」は、お互い理想ですね。(笑)
続々と名盤が挙げられることと思いますので、是非参考にしてください。