デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

エリザベス女王の気品をメロディーにのせた「女王組曲」

2022-09-25 07:56:16 | Weblog


 1933年にデューク・エリントンは初めてイギリスに演奏旅行する。27年にバーニー・ビガードとハリー・カーネイ、28年にジョニー・ホッジスが入団してバンドカラーが際立った時代だ。この時ジャズレコードのコレクターだった皇太子のパーティに招かれた。「王冠を賭けた恋」で知られる後のウィンザー公である。9月8日に逝去したエリザベス女王の伯父にあたる。

 その後39年、48年にはレイ・ナンスとシンガーのケイ・デイヴィスを連れて渡欧するが、当時イギリスでは外国人の音楽家による公演は禁止されていたので、英国内で正式な演奏会は開かれていない。58年にようやくイギリスのテッド・ヒース楽団と交換演奏旅行という形で、ヨークシャーの芸術祭でステージに立った。そしてエリザベス女王に謁見する。長く対談したと記録されているので、おそらく音楽にも造形が深い女王とジャズの魅力を語り合ったのだろう。女王32歳、エリントン59歳だった。

 帰国後、エリントンはその感激を曲にする。「The Queen's Suite 女王組曲」だ。何と自費で録音し、プレスしたのはたったの2枚。1枚は手元に置き、1枚は女王に献上した。さすがエリントンである。この組曲が素晴らしい内容なので、関係者は一般に販売してはどうかと持ちかけるがエリントンは首を縦に振らなかった。これぞ男のロマン。ようやく陽の目を見たのはエリントン死後のことだ。果たして発売していいものか?疑問符が残るが素晴らしい音楽は多くの人が聴くべきよ、と女王が仰ったのかも知れない。
 
 19日に執り行われたエリザベス女王の国葬は各国の元首、首脳らを中心に約2000人が参列した。動員された警官は1万人以上というから万全の警備だ。沿道には数十万人が集まり、弔問の行列は約16キロに及んだ。生中継の視聴者数は41億人以上という。さて27日に予定されている我が国の国葬は何億人が見るのだろうか。おっと桁を間違えた。
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2 コメント

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矜持に敬意を (内間天馬)
2022-09-27 20:25:38
なんと!自費で二枚をプレス、そして一枚は女王へ。こんな矜持に敬意を表したいですね。女王組曲や極東組曲を聴くと、対象への敬意を表したエリントン氏の矜持が窺えます。ネクタイのウィンザーノットで知られるウィンザー公がレコードコレクターだったとは! dukeさんの知識の豊富さにも敬意を表します。ちなみにウィンザーノットが似合うのは、本家本元のウィンザー公だけだと僕は思ってますが…。昔、女王が田舎で休暇を過ごしている時、自分で車を運転して村の雑貨屋へ買い物に行く映像を見たことがあります。雑貨屋のおかみさん、びっくりしてました。エリントンさんも、女王との対談で、気さくな彼女に打ち解けたんじゃないでしょうか。以下、私事です…2010年7月14日、僕の住むスコットランドの地元ダンフリースを訪れた女王の歓迎会に我が女房が招待され女王と親しく歓談しました。女房が「女王陛下」と呼びかけると、なんと「エリザベスと呼んでください」ですって!
ウィンザーノット (duke)
2022-09-28 06:38:05
内間天馬さん、コメントありがとうございます。

エリントンが一般販売を拒否したのはエリザベス女王との会話を大事にしたからでしょうね。男のロマンです。エリントンは多くの組曲を書いていますが、そのスケールの大きさに驚きますし、人に対しても国に対しても最大の敬意をはらっているのが分かります。

現代スーツを確立したのがダンディなウィンザー公ともいわれていますが、ウィンザーノットについては回想録「家族のアルバム」でこの俗説を否定しているそうです。私はこの回想録を読んでいませんので、何とも言えませんが結び方の名称の由来は謎です。

奥様が女王とお会いしたとは凄いですね。素敵な話です。

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