千の言霊

一生ぬぐえない想いからたくさんの本をよみました 
そして いろんな言葉たちに出会いました 

魂と霊

2006-10-25 22:21:08 | Weblog
魂は決して 丸い おとなしい形ではない
常に動いているようなイメージではないでしょうか 玄侑
         心の力   村上和雄 玄侑宗久
      遺伝子を探求してきた科学者と 仏道に生きてきた禅僧との対話から

玄侑  魂(たましひ)は「たま」という音があるから 球体をイメージするのですが古い文献を見ると 
     魂のたまは「多麻」と書くんです 
     麻は「乱れる」という意味ですから たくさんあって乱れるということですね 
     最後の「ひ」は動き回るイメージです 
     だから 魂は決して 丸い おとな しい形ではない 常に動いているようなイメージではないでしょうか

村上  霊とはまた違うのでしょうね

玄侑  霊は外から憑いてしまうものですから困る だからといって 自分の霊のことを魂と云うのかと云うと 
     またちょっと違うような気がします 生きているときには自分の霊は想定しませんからね

村上  これはしかし難しすぎて あまり深入りしないほうがいい話題ですね

玄侑  はい 私もこれ以上深入りしないほうがいいとおもいます(笑)



この「心のちから」という本は科学者の村上さんと禅僧の玄侑さんの会話形式となっている 
時として 科学者の村上さんが科学ではわからない「サムシング・グレート」という言葉で話し 禅僧の玄侑さんが脳科学や医学でつっこんでくる
とてもおもしろい一冊である

村上さんが
命の科学をずっと突き詰めると 結局 「命とは何か」「自分とは何か」「なぜ生まれてきたのか」「人生の意味とは何か」といった問いにぶちあたります
これらの問題は科学の範囲外だと思うんです

というと

玄侑さんは
これからの科学は宗教の持つ全体性へのまなざしを持たなければなりませんし
宗教は部分に対する分析を科学に教わる必要がありますね

読んでいくと お二人の共通なところは
「生きることを楽しみましょう 笑っていきましょう」
ということではないだろうか

そういう風に生きたいものだ  
せっかくの生だもんね 

よわむしのいきかた

2006-10-16 17:17:57 | Weblog
よわむしのいきかた    神岡 学

ちっぽけで のろまで よわくって
いいことなんかなさそうだけど
他人にボクのことは
ボクにしかわからないし
ボクの満足はボクにしか
探せないんだ
ちっぽけなりの生き方で
のろまなりの生き方で
よわむしなりの生き方で
ボクはいくよ

      世の中は平等じゃなく
        不平等でもない
      自由でもないし
        不自由でもない
      ボクのうけとり方があるだけ

いやなことは 
   うんちにして 
        バイバイ

恥ずかしくっても
なさけなくても
苦しければ
にげればいい
とじこもればいい

感じる時間が
思う時間が
 必要なんだ


かわいい絵本です
いもむしのイラストにのせて 元気のでる言葉が並んでます
ずいぶん 力をもらいました
ちょっと 疲れたとき
繰り返しよんでいます