宮崎駿氏が携わったものは、監督をした作品のみならず、ジブリよりずっと以前の作品(〝ホルスの大冒険〟や〝長靴をはいた猫〟)から数多く見ています。どれも大好きです。
が、そのご子息の宮崎吾郎初監督作品「ゲド戦記」には、ほとんど期待も興味も持っていませんでした。当初は…。
ところが、公開からだいぶ経ちますが、耳に入って来るのは酷評ばかり。
あまりにけなされてるので、逆に、いったいどれほど酷いのかこの目で確かめたくなり、とうとう観てしまいました。
結論から言ってしまうと、「やっぱり、観なくても良かったかな」という感想になってしまいます。
ジブリ作品ではじめて、途中、ウトウトしてしまいました。
私は原作を読んでいません。
観る前に読んでおいたほうが理解し易いという話も耳にしますが、私の考えでは、基本的に、映画化する以上はそれ単独で理解できないものは完成作品として認める気になれません。
この作品、不明確なところが多すぎます。
まず、主人公アレンがなぜ父を殺したかがよく判らない。
アレンには影が付きまとい、他の登場人物にはその現象が起こらない、その特異性の説明が無い。
「まことの名」とは何なのか、どれほどの重要性があるのか、まったく語られていない。
具体的に、世界がどういう風におかしくなって来ているのか、示されていない。
それらがことごとく曖昧なままのため、主人公アレンがどこへ(何に)向かおうとしているのかが皆目判らない。
これらの疑問はどれも、この物語の世界観が言葉で僅かに説明されるだけで、実感を伴わないまま物語を進めてしまい、そして終わらせてしまったことに因るのだと思います。
もちろん、ある程度は観客側の想像力に委ねるところがあって良いですが、これだけ不明確な部分が多い(程度を超えてしまっている)と捉えようが無いです。実感が持てないのです。
そんな中で私が最も想像力を働かせてしまったのは、アレンが父を殺したことと、吾郎氏が父・駿氏の影響を断ち切ろうとする姿とが重なるのかな? ということ。
しかしそれならば、田中裕子さんや菅原文太さんのような、父の作品で実績のある人を安易に使うべきではなかったし、表現においても、随所に父の手法を確信犯的に真似ているとしか思えないところがありました。
結局、父の影響から脱却しようとしているように見せて、肝心なところでは父のやり方にまるまる頼ってしまっています。
これはズルイですよ。
この甘さが、作品全体に透けて見えてしまっています。
肝心なところで、自分が監督をしているという責任から逃げているようにも見えます。
私は、作品の出来についてはあまり責める気はありませんが、監督のこういった姿勢には、どうしても共感することが出来ませんでした。
一応、
テルーの「命を大切にしない奴なんて大嫌いだ」というセリフや、
大賢人ハイタカの「この世に永遠に生き続けるものなどありはしない。自分がいつか死ぬ事を知っていると言う事は、我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだ」というセリフがテーマになっている筈ですが、それがストーリーとして展開していません。
セリフのみに依存している気がします。
アーシュラ・K. ル・グウィンの原作がもとであるにせよ、映画化にあたり、作り手が自分の作品として表現する以上は、テーマもしっかりと自分のものにしなくてはいけないと思うのですが、そこが中途半端な気がしました。
けっきょく私には、カッコ良くて耳障りの良いセリフ以外、手応えのあるものが何ら伝わって来ませんでした。
エンドロールに〝原案・宮崎駿「シュナの旅」〟とありました。
この原案はよく知ってます。大好きな作品です。原案はとっても素敵な作品なのに、この映画に生かされてないですね。
「シュナの旅」は、徳間書店・アニメージュ文庫の一冊。
この映画で溜まったストレスを解消するのにぴったりの1冊だと思いますよ。
これは超お勧めです!
が、そのご子息の宮崎吾郎初監督作品「ゲド戦記」には、ほとんど期待も興味も持っていませんでした。当初は…。
ところが、公開からだいぶ経ちますが、耳に入って来るのは酷評ばかり。
あまりにけなされてるので、逆に、いったいどれほど酷いのかこの目で確かめたくなり、とうとう観てしまいました。
結論から言ってしまうと、「やっぱり、観なくても良かったかな」という感想になってしまいます。
ジブリ作品ではじめて、途中、ウトウトしてしまいました。
私は原作を読んでいません。
観る前に読んでおいたほうが理解し易いという話も耳にしますが、私の考えでは、基本的に、映画化する以上はそれ単独で理解できないものは完成作品として認める気になれません。
この作品、不明確なところが多すぎます。
まず、主人公アレンがなぜ父を殺したかがよく判らない。
アレンには影が付きまとい、他の登場人物にはその現象が起こらない、その特異性の説明が無い。
「まことの名」とは何なのか、どれほどの重要性があるのか、まったく語られていない。
具体的に、世界がどういう風におかしくなって来ているのか、示されていない。
それらがことごとく曖昧なままのため、主人公アレンがどこへ(何に)向かおうとしているのかが皆目判らない。
これらの疑問はどれも、この物語の世界観が言葉で僅かに説明されるだけで、実感を伴わないまま物語を進めてしまい、そして終わらせてしまったことに因るのだと思います。
もちろん、ある程度は観客側の想像力に委ねるところがあって良いですが、これだけ不明確な部分が多い(程度を超えてしまっている)と捉えようが無いです。実感が持てないのです。
そんな中で私が最も想像力を働かせてしまったのは、アレンが父を殺したことと、吾郎氏が父・駿氏の影響を断ち切ろうとする姿とが重なるのかな? ということ。
しかしそれならば、田中裕子さんや菅原文太さんのような、父の作品で実績のある人を安易に使うべきではなかったし、表現においても、随所に父の手法を確信犯的に真似ているとしか思えないところがありました。
結局、父の影響から脱却しようとしているように見せて、肝心なところでは父のやり方にまるまる頼ってしまっています。
これはズルイですよ。
この甘さが、作品全体に透けて見えてしまっています。
肝心なところで、自分が監督をしているという責任から逃げているようにも見えます。
私は、作品の出来についてはあまり責める気はありませんが、監督のこういった姿勢には、どうしても共感することが出来ませんでした。
一応、
テルーの「命を大切にしない奴なんて大嫌いだ」というセリフや、
大賢人ハイタカの「この世に永遠に生き続けるものなどありはしない。自分がいつか死ぬ事を知っていると言う事は、我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだ」というセリフがテーマになっている筈ですが、それがストーリーとして展開していません。
セリフのみに依存している気がします。
アーシュラ・K. ル・グウィンの原作がもとであるにせよ、映画化にあたり、作り手が自分の作品として表現する以上は、テーマもしっかりと自分のものにしなくてはいけないと思うのですが、そこが中途半端な気がしました。
けっきょく私には、カッコ良くて耳障りの良いセリフ以外、手応えのあるものが何ら伝わって来ませんでした。
エンドロールに〝原案・宮崎駿「シュナの旅」〟とありました。
この原案はよく知ってます。大好きな作品です。原案はとっても素敵な作品なのに、この映画に生かされてないですね。
「シュナの旅」は、徳間書店・アニメージュ文庫の一冊。
この映画で溜まったストレスを解消するのにぴったりの1冊だと思いますよ。
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これは超お勧めです!
・・・ですよね。(^-^;
一言でこの映画を語るなら「違うな」ということに尽きます。
なにもかもが違う。
ジブリの画を観ているのに、まるで別物を観てるかのようでした。
あいたたた。
どこまでも平面的で奥行きのない映画でした。
この映画の「大ヒット御礼」のCMを観る度、
「これ以上被害者を増やさないで」と思ってしまいます。
そう言いながらも、もちろん次回作に期待はしていますが。(笑)
もっと、宮崎・父作品と違う画風だったら、別の見かたも出来たのかな?
いずれにせよ、TVCMは行き過ぎてますね。
ジブリ最大の不幸の一つは、日テレと手を組んでしまった事だと思います。
過度のCM依存しているうちは、永久に正しい評価を知ることが出来ないと思います。
同時期に公開の他の作品とおなじ宣伝の仕方だったら、とっくに打ち切りになっていてもおかしくない映画だと思います。
私はこの映画を面白いと感じました。昔の駿監督の作品に似てるところが好きでした。
でもおっしゃられるとおり、アレンが父を刺した(どうやら殺してはないそうですよ)理由とか、「まことの名」の真意とかが説明不足でしたね。私はそこがあまり気にならなかったので楽しめたのだと思います。
どんな映画にも一度気になると入っていけなくなる所がありますが、今回に関しては私は気にならなかったのが幸いだと思いました。
そうですか。
私は逆に、駿監督の作品には初期からあった〝伝えたい想い〟が、この作品からは感じられず、親子でも全然違うんだなと感じました。
>説明不足でしたね。私はそこがあまり気にならなかったので楽しめたのだと思います。
話の軸の部分ですから、そこが曖昧では、私には受け入れようがありませんでした。
でもこれは、あくまでも私の感じ方です。
にゃむばななさんがこの作品を楽しめたというのは、ちょっと羨ましくもあります。
さすがジブリ、興行的には成功なんですね。でも、世間の評価が低いと言うことは、息子監督にとっても良かったと思います。
現場修行から、やり直してください。
続編作ったとしても、たぶん観に行く人は少ないでしょう。
吾郎監督も鈴木プロデューサーも、この〝失敗〟から多くを学んで欲しいですね。