活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

アレッサンドロ・ヴァリニャーノ

2020-11-30 11:25:36 | Weblog

 ザビエルはご存じでも、ヴァリニャーノって?

そうゆう方が意外に多いのですが、ザビエルに遅れること30年、イエズス会の巡察師として島原半島の口之津に上陸したのが彼です。

今、口之津の浜辺に彼の胸像があります。 彼の生地、イタリアのキエーティ市から姉妹都市になっている南島原市に寄贈された貴重なものです。 ヴァリニャーノは地元では伊東ミゲルはじめ4人の「天正遣欧少年使節」のローマ派遣で知られています。

しかし、私はグーテンベルグの活版印刷術を導入して、金属活字を使った出版物を初めて日本にもたらしたいわば、日本の印刷の祖としてのヴァリニャーノを皆さんに知っていただきたいのです。 日本の印刷史のなかで活字印刷というと明治初期の本木昌造や平野富二の名前が挙げられますが、ヴァリニャーノを印刷史の神話にしてほしくないのです。

 たまたま、ヴァリニャーノが耶蘇で、キリシタン版が禁断の書で、印刷術が南蛮渡来の魔術扱いで徹底的に消滅させられたのが不幸でした。

それはそれとして、今、紙に印刷する情報処理はデジタル化で大幅に姿を消しつつあります。 さらにAIなどの進展でこれからますます形を変えようとしております。 活字印刷が文化遺産になってしまうかも知れません。 だからこそ、私は今から430年前に日本に上陸したグーテンベルグの印刷とヴァリニャーノの奮闘をたずねるべきかと考え、これからこのブログで彼.を追いかけることにします。

なお、この胸像の写真は加津佐の松藤幸利さんによるものです。 口之津の隣町、加津佐はヴァリニャーノがキリシタン版を印刷した最初の工房のあった土地、いわb日本の印刷の聖地です。 同町の教育委員会におられた松藤さんに20数年来、ご指導を頂いております。

 

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日本のアートディレクション展2018

2018-11-02 15:17:24 | 活版印刷のふるさと紀行

  展覧会の紹介をもうひとつ、現在、銀座グラフィックギャラリーで開催されている

『日本のアートディレクション展2018』についてです。略称をつかったADC展

でおなじみで、従来とおなじくリクルートのクリェーション・ギャラリーG8で東京

アートディレクターズクラブの一般作品が、このGGGで会員作品が同時に展示され

ております。

 その会員作品の展示されているGGGを見て、私はあらためてベテランとか熟達と

か、手練れといった言葉を連想いたしました。「さすが」という作品でいっぱいで、

明るく、充実した感じが横溢していました。とくに、永井一正さんの赤鉛筆1本で制作

したというLIFEシリーズの作品、松永 真さんのほのぼのとしたイラスト、浅葉克己

さんのシャープな切れ味に魅せられました。会期は11月22日まで。

 

 

 

 

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感動した二つの書物展

2018-11-01 14:47:40 | Weblog

 今年になって印刷技術が誕生したてのころの「本」についての著作を2冊読みました。

一つは青土社から出ているラウラ・レプリの『書物の夢、印刷の旅』で、もう一つは、

作品社から出ている『ヴェネツィアの出版人』でした。

 どちらにもルネッサン期のヴェネツィア出版人アルド・マヌツィオが出てきて小説風の

記述で訳文も優れていて夢中で読みました。

 

 たまたま、これは私にとってたまたまですが、9月に上野の森美術館でやっていた「世界

を変えた」書物展でコペルニクスやニュートン、ウィンナーダーウィンなど、まさに、世界

を変えた人たちの稀覯本をじっくり見ることができました。いずれも、金沢工業大学のコレ

クションからで、会場構成も展示デザインもグッドでした。

 

 そして次にみたのが、これは現在始まったばかりの東京の印刷博物館の「天文学と印刷」展

です。コペルニクス本人が死んだ年に出版されたそうですから、あるいは本人は目に出来なった

かも知れない地動説を唱えた『天球の回転』などが、マサカ手にはとれませんが、1543年の

稀覯本をしっかり拝むことができます。また、上の2著に登場するアルドの印刷したアリステレス

の著作集や自身天文学者だったレギオモンタヌスの『アルマゲスト』も見られました。もちろん、

天文学以外の興味ぶかい動物や植物、地図など展示が豊富です。来年、1月20までです。

 

 

 

 

 

 

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『本のエンドロール』を読む

2018-06-21 11:34:04 | 活版印刷のふるさと紀行

 講談社から出た『本のエンドロール』を見つけたのは書店の棚でした。最近はとかくAmazonの世話になることが多くなっていますが、「犬も歩けば」で,こうしためぐりあいはうれしいものです。

 まず、気になったのが書名のエンドロールでした。たしか、映画の終わりに監督や出演者や製作スタッフなどの名前がながながと流れるのがエンドロールだったはず、本のエンドロール?その私の疑問は本を手にしたら氷解しました。

 なんと、なんと,本文ページの最後、裏見返しの前のページに,この本を印刷した会社の印刷営業担当者から印刷機機長や組版のオペレーターまで全工程のスタッフが23人、製本会社のスタッフが担当別に10人、それに配本に当たった運送会社名まで全部で36人のお名前が見開きに羅列されているではありませんか。

 ところで、この安藤祐介さんの書き下ろしは豊澄印刷株式会社の営業マンが主人公、「印刷会社はメーカー」、「いや印刷会社はあくまで印刷会社」と意見を異にする二人の営業マンが助け合って印刷・製本会社の各部門の人たちの協力のもと1冊の本を仕上げるまでの苦労話です。

 こうした本づくりの舞台裏を描いた小説は私の知る限りありません。アナログからデジタルへ大変革の中で苦闘する出版界や印刷界という社会的背景といい、その中で揉まれる印刷営業マンの苦悩も読み取れますが、皆さんのご興味を削いではいけませんからここでは小説の中身には触れないでおきます。

 ひとつだけ私が気に入らなかったのは奥付です。本のエンドロールは奥付です。たとえば、カバーにも紙クロースの表紙にも印刷現場で働く人を配し、本扉の絵柄も印刷機を流れる刷本で、いかにも書名にふさわしい写真と装丁ですが、この写真家や装幀者の名前が目次裏に扱われています。さらにこの本の印刷用紙のデーターも同じページに小さく扱われております。彼らも著者本人もエンドロールに名を連ねるスタッフではないのでしょうか。

 エンドロールとして著者名から写真家名、装幀家名はもちろん、36人のスタッフ名、それに製紙会社などの用紙データも配した奥付だったらもっと喝采をおくるのですが。

 

 

 

 

 

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TDC2018に関連して

2018-04-11 10:52:26 | 活版印刷のふるさと紀行

 ギンザ・グラフィック・ギャラリーでTDC展を観ました。TDC東京タイプディレクターズクラブも設立されてから30年、まさに油がのりきって、作品分野は多岐、国際色豊か、中身の充実ぶりには思わず敬意を表したくなりました。

 とくに私のようなシルバー世代にはグランプリ作品のスイスのPrill Vieceli Cremersのブックデザインを引き合いに出すまでもなく150点近くの出品作の中にいろいろな古典的な印刷技法がみられるものを見つけると、無性に懐かしく、楽しくなるから困ったものです。

 たまたま今、印刷博物館で「進化するデジタル印刷」が、催されていますが、最近のようにデジタル一色になってしまった「印刷」は私の眼には悲しくてやりきれません。日本の場合、いいとなうと、いっせいにみんなが同方向をめざす傾向が強すぎる気がします。

 いまはどうか知りませんが、7~8年前、パリのサンジェルマン・デ・プレで新刊の活版印刷本を集めた書店に出くわして驚いたことがあります。フランスでもまだ、活版印刷で頑張っている印刷会社があるということで、いち早く活版部門を斬り捨てた日本の多くの印刷会社をうらめしく思いました。私の夢は活版印刷の本づくりを見せ、その本を展示して売ってくれるブースのある生きている印刷博物館です。

 

 

 

 

 

 

 

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オペレッタ「こうもり序曲」を聴きながら

2018-02-25 13:59:07 | 活版印刷のふるさと紀行

 昨日、紀尾井ホールのDNPフィルハーモニック・アンサンブルの定期演奏会に行きました。印刷会社の社員によるアマチュアコンサートが「ふれあい音楽会」と題して今回で36回目と聞くと「おぬし、なかなかやるなー」です。

 終演後のアンケートでヨハン・シュトラウス2世の「こうもり」と混声合唱つきの「美しく青きドナウ」のふたつに私は票を入れましたが、次回の演奏曲目希望は空欄で提出してしまいました。古楽器が必要になってしまうかもしれませんが、本当はグレゴリオ聖歌に代表される日本にはじめて入ってきたキリスト教がらみの曲の演奏や合唱を希望したかったのです。

 なぜでしょうかか。日本に初めてグーテンベルク方式の「活版印刷術」を持ち込んだ天正遣欧少年使節の一行と西洋音楽との数々のふれあいのエピソード、1605年に長崎で刊行されたキリスト教の典礼書『サカラメンタ提要』の二色刷り19曲の楽譜などなど、日本の印刷と西洋音楽との深いかかわりあいの史実から印刷会社のコンサートにふさわしいと思うからです。

 秀吉が何度も懇望したという「皇帝の歌」、これは「千々の悲しみ」ともいわれるが、クラヴォ(鍵盤楽器)、アルパ(ハープ)、ラウデ(リュート)ラベキーニャ(弦楽器)ヴィオラ・デ・アルコ(弦楽器)レアレレジョ(風琴)などの400年も前の音色、「はかりしれぬ悲しさよ―」ではじまる合唱をきいてみたい気がします。

 

 

 

 

 

 

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牛乳パック考証

2018-02-19 14:50:10 | 活版印刷のふるさと紀行

 ここでお目にかけるのは、再利用ボックスに投入寸前の我が家の愛飲後の牛乳パックです。

 戦中・戦後の物資窮乏時代を除いて、牛乳はいちばん身近で馴染みの深い飲みものです。我が家でも昔は毎朝、勝手口の横にある木のボックスに配達されている牛乳瓶を取り込むのは母の役目でした。

 みなさん、ご記憶にあると思いますが、瓶の口の紙の蓋をとるのはやっかいで、めんどうな作業でした。あの小さな牛乳瓶がほとんど姿を消して牛乳パックをスーパーで店頭買いするようになってもう30、40年は経つかと思われます。

 印刷会社の包装印刷部門で牛乳パックや日本酒パックなど紙容器の印刷がされるようになったのは1950年代の半ばころだったと記憶しています。インスタントラーメンや袋菓子、食パンなどグラビヤ印刷部門で新しい分野が次々にひろがった時期と重なっていました。

 印刷会社につとめていると変なクセがつきます。本を買うと奥付の印行名(印刷会社名)を最初に見ますし、珍しい雑誌や豪華なカタログなどに出会っても同じです。牛乳瓶も同じで、開け口部分の凹部に隠れているパックのメーカー名をつい、つい確認してしまいます。

 そのせいか私は家人になるべく見慣れないデザインの牛乳パックを買ってきてもらいます。「味じゃなくて、入れ物なんですか」と文句をいわれながら。そうこうしているうちにひとつ気付いたことがあります。商品名をいかにもその土地の牧場で産したふるさとトレトレ牛乳のようにつけているのに,製造所在地名を確認すると全く関係ない土地のケースがかなりあります。あれは産地偽証ではないかと。

 脱線しました。話を印刷に戻しますと、現在、食品包材などの包装印刷分野が日本でもアメリカでもいちばん堅実な伸びを示していることは注目に値いします。

 

 

 

 

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たかがノンブル、されどノンブル

2018-02-15 13:42:13 | 活版印刷のふるさと紀行

 写植からスタートしてデジタルフォントの領域で大活躍の㈱モリサワについては以前、同社のカレンダーのことを紹介しました。

 モリサワの大阪本社には文字と書物の歴史を見せてくれるショールームがありますが、こんど来館者に手渡しするがイドブック『文字の歴史館』が出されました。それがなかなか憎たらしいような出来なのです.私のように「印刷の歴史」について話す機会がある人間にとってヤラレタ感を催すくらい巧みな。編集です。

 アルファベット圏の文字、漢字圏の文字の歴史と印刷に大半を割き、写植からデジタルフォントへの流れをわかりやすく説明してくれている構成は文字の歴史にとどまらず印刷の歴史としても大変参考になりました。

 さて、話は少々回りくどくなりますが、今日、製本工芸作家の市田文子さんのフェースブックに、これまた先日ご紹介したばかりの学研の『大人の科学 活版印刷機』が登場しておりました。

 評判を聞きつけて今年の年賀状をこの大人の科学の活版印刷機でと思いついた彼女の話、それを読んで「私も印刷機の組み立てにチャレンジしました」というご友人の投稿。活版印刷機がこんなにモテるのは近頃、うれしい話です。

 そこで私にヒラメイタのが、この大人気の『大人の科学 活版印刷機』の企画・進行で活躍された学研の西村さんにモリサワの『文字の歴史館』を読んでもらおうという思い付きでした。「遅きに失したが、印刷の歴史の紹介に苦労されていたから」と。

 さてさて、ことの次第を西村さんにメールをするのに『文字の歴史館』のぺージ数を書き込もうとしたところ、ページの下にも上にもノンブルがないではありませんか。おやっと目を凝らしたら、ありました。パンフレットのページのサイド、小口のところに小見出しとともに赤丸に白抜き数字でノンブルが入っておりました。

 こうした処理はデザイン的、レイアウト的にはきれいですが、ページ数を素早く見るにはちょっと不便です。「ノンブルは製本所で丁合いをとるとき目印にもなるんだ」とかけ出しのころ教わったことをふと、思い出しました。パソコンがないころ、本の索引づくりにノンブルと格闘した思い出もあります、たかがノンブル、されどノンブル。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『新潮』の記念号のこと

2018-02-01 13:40:28 | 活版印刷のふるさと紀行

 

  印刷のデジタル化で質問をいただきました。たとえば、前回の雑誌の場合ですと、1990年代までは印刷会社に作家の原稿は原稿用紙に肉筆で書かれた形で出版社経由で入ってくるのが普通でした。印刷現場ではそれを読んで1字ずつ活字を拾う、あるいはオペレーターがタイピングするのでした。

だから、印刷会社には出帳校正室があって校了間際になると出版社の編集者や校閲担当者が詰めきりになってゲラ(校正刷)に赤字を入れ、即、その箇所を印刷現場で訂正するのです。その往復作業を何度か繰り返してようやくOK、印刷開始となるのです。

 それではデジタル化した今はどうかといいますと、作家はパソコンで原稿を書き、そののデータが出版社経由で印刷会社のコンピュータに送られ、それが印刷会社で指定どうりに紙面化されそれが出版社経由で作家のパソコンに送られます。作家はパソコンの画面上で校正します。つまり、原稿用紙もゲラ刷も登場しないままに雑誌作りが進むようになったのです。

 さて、前回は『文藝春秋』でしたが、『新潮』が永久保存版創刊110周年記念特大号が昨年夏に出たことにも触れないといけません。創刊の1904年、明治37年といえば日露戦争の渦中ですから確かに『新潮』こそ日本の雑誌の中で最高齢といえます。その明治37年5月から平成29年5月までの主要作品の掲載年表が「新潮100年史」の形で掲載されていましたが、作家の活躍を通して見る日本の文学史みたいで興味深いものでした。

 特に昭和10年から23年まで主要掲載作品に太宰 治が挙げられていました。そうか、私が『斜陽』に鮮烈な印象を受けたのが昭和22年の7月号だったか。してみると旧制中学の4年生、自分の読書史?にも重なりました。

 そういえば新潮社の出張校正室はありませんでした。印刷元の大日本印刷とあまりにも近く立ったからでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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文藝春秋創刊95周年の特別号に

2018-01-29 10:47:29 | 活版印刷のふるさと紀行

 最近の『週刊文春』には首を傾げますが、月刊の『文藝春秋』は中身はもちろん、サイズといい、厚さといい、付き合いの深い馴染みの店みたいな親しみを覚えます。私自身も95年とはいかないまでも、その半分に近い年月、なじみを重ねてきた一人です。

 新年特別号は大型企画と銘うって「文藝春秋を彩った95人」が目玉。前編が司馬遼太郎からはじまって山本七平まで34人で81ぺージ、後編が昭和天皇から篠沢秀夫まで35人で59ぺージ、これだと69人ですが、「文藝春秋と私」と題する立花 隆から柳田邦男まで43ページの特別寄稿26人があって95人になる勘定で1冊の中で150ぺージにも及ぶ大特集でした。大正12年の創刊から平成に至る95年間に文藝春秋誌上で活躍した各界の人たちが登場しているからのついつい読まされてしまいます。

 ただ、個人的に心ひそかに生じた不満はこの大型企画の中で担当編集者の話は出て来ても、印刷担当者や印刷について触れる場面はひとつも出てきません。

 雑誌ほど印刷担当者のカゲの力に負う印刷物はないと思われます。あまたおられる遅筆作家や評論家先生のために生じたロスタイムを必死で埋め、書店の棚に発行期日どうりに雑誌を並べるためにどれくらい印刷担当者が無理をしなくてはならないか。私は目の当たりにしています。大正・昭和の時代と現代、平成のデジタル印刷技術とは格段に違います。しかし、出版社と印刷会社の雑誌の仕上がりと時間との共闘には今も変わりはありません。印刷にも光を。

 

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