活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

信長の安土城、屏風絵の行方

2022-04-15 11:04:31 | 活版印刷のふるさと紀行

            

 安土城 ホームメートリサーチのpぺージより

 琵琶湖畔、いまの滋賀県近江八幡市にあった安土城は信長同様、薄命でした。映画やテレビ劇で「人間50年」を歌いながら死んでいった信長は演出過剰だとしても49歳と薄命でした。城の方は1576年(天正4)から1982年(天正10)までわずか6年の薄命でした。

 そのわずか6年の最後に近い1581年にヴァリニャーノは信長に招かれ、信長自らの案内で安土城内を案内され、狩野永徳が描いたという六曲一双の『安土城図屏風』を贈られる栄に浴したのです。ときの天皇が喉から手が出るほど欲しがったというこの屏風絵の図柄は霞の中に安土山をあしらい、安土城の威容、さらに琵琶湖と城下町の風物をあしらった絢爛豪華で優美きわまりない名作だったといいます。

 ヴァリニャーノはその屏風を法王に献上し、ヴァチカンの所蔵するところになったといいますが現在は所在不明になっています。つい最近も1860年ごろ徳川家茂が英国のビクトリア女王に贈ったという板谷広春が描いた富士山屏風が話題になっていましたが、ヒョッコリでてきてくれないものでしょうか。10年ほど前でしたか天正遣欧少年使節の一人マンショの人物画がイタリアで発見された例があるくらいですから夢ではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

工、

 

 

 

 

 

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ヴァリニャーノを追いかける

2022-04-03 13:25:39 | 活版印刷のふるさと紀行

 日本にグーテンベルクの活版印刷、正確にいうと鉛の活字を使って1字1字動かすことのできる印刷技法を持ち込んだのがアレッサンドロ・ヴァリニャーノでした。ダイナマイト・羅針盤と並んで世界三大発明の一つとされた活字を使う印刷が天正時代に日本に入ってきている、それがあまり知られていないというのが私がこの日本最初の活版印刷に取り組むようになったきっかけでした。

 それも、長崎で天正遣欧少年使節の従者として彼らに同道したドラードという日本名のない日本人の少年がヴァリニャーノによって抜擢され見事にその任をはたしたというのです。ドラードに興味を持った私はドラードを追いかけることにして、2001年に『活版印刷人ドラードの生涯』を印刷学会出版部から上梓いたしました。

 おかげさまで20年経った今日も読者に愛されていることはうれしい限りですが、20年間私がずっと温めていたのが、ドラードを日本最初の活版印刷人に起用し、日本に活版印刷をもたらすことを考えたヴァリニャーノなるイエズス会の巡察師がなぜ、どうして天正遣欧少年使節の派遣以外に「印刷」に取り組んだのかぜひ、解明したいということでした。

 口之津や加津佐にふたたび足を向け、マカオ・ポルトガル・イタリアなどの再訪をすることからはじめました。

                                    アレッサンドロ・ヴァリニャーノ

                                                                         

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