活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

宮沢賢治が本郷通りにいた

2013-09-25 14:43:09 | 活版印刷のふるさと紀行
 今日はおもしろいことがありました。
 東大前の本郷通りを行きつけの古本屋さんから本郷三丁目に向かって歩いていました。その前に眼科医で治療のために瞳孔を開いた後なのでまぶしいので道路の白線などが目に入るのを避けて上を向いて歩いておりました。

 そのときです。ひらがなの「とびどぐもたないでくなさい 山ねこ軒」という楕円の木製看板が目に飛び込んできました。一瞬、とびどぐ=飛び道具かなどと頭の中で翻訳してみて、これは、いつか、どこかで見たぞと思ったのです。

 もう通り過ぎていましたが、思わず引き返してしていました。店の正面ガラスに
       RESTAURANT
西洋料理店
       WILDCAT HOUSE
山猫軒
とありました。

そうか、やっぱり宮沢賢治だ。『注文の多い料理店』だ。

 とっぜん、 小学校のころ読んだ宮沢賢治の作品に出てきた山猫が甦ってきました。

 申し訳ないのですがいつも前を通っているのに山猫軒は知りませんでした。思い切って店内に入ってみました。天井にワインの瓶がぶらさがっていて、壁に古い柱時計とモジリアニ、ねこの置物も何点かあり黄色のやや薄暗い電灯照明のインテリアはなかなかのもの。ナスのスパゲッティとコーヒーでスリーコインでお釣りがきました。味も雰囲気も気に入りました。ご店主によると板橋か移ってきて15年とか。

 ただ、「とびどぐもたないで」は「注文の多い料理店」にはなかったような気がします。ひょっとしたら、『どんぐりと山猫』だったかもしれません。鉄砲打ちのふたりの紳士が森の中で見つけた料理店でこわい思いをするあの物語は『風の又三郎』」よりむずかしくてこわかった記憶があります。しかし、思いがけない昔の記憶との出会いでした。

 

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長崎の教会群こそ早く

2013-09-22 11:32:05 | 活版印刷のふるさと紀行
 最近、私がいちばん残念に思ったニュースは「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」がユネスコに推薦する候補から漏れたことです。なんでも内閣官房の有識者会議が推した「明治日本の産業革命遺産」の方が選ばれてしまったようです。

 私は日本の活版印刷の遺産でもあり聖地でもある長崎に通、い詰めるようになって20年近くたちますが、その間、長崎や熊本の教会をいくつも訪ねております。
キリシタン版が加津佐や天草や長崎で印刷されたころの教会堂はキリシタン弾圧で
ほとんど壊滅させられておりますから、現存の教会群は時代的にはそれより後の時代のものですが、訪ね歩くとこころを揺り動かされます。

 ひっそりと海辺の入り江にたたずむ教会や周辺の風景もさることながら、印刷を取り上げられた信者たちが粗末な紙に稚拙な墨文字で写し取った祈りのことば、あるいは教会の裏手につんであった拷問石、畳敷きの祈りの場、隠れキリシタンの祈りの日々を伝える遺産のかずかずは、訪れる人の心に語りかけ、訴え続けてくれます。なんとか、はやく世界遺産にくわわってほしいものです。それにしても、現政府の意向は 産業革命遺産がモノづくりにつながるところから、、こころよりも優先するところにあるのでしょうか。残念です。
 
 

















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中小印刷業の将来について

2013-09-20 14:07:10 | 活版印刷のふるさと紀行
 印刷図書館倶楽部の定例会の日、今日はPIA(Printing Industries of America)
から出されたレポートをテキストにしての勉強会でした。

 そのテキストの中身が中小印刷業は生き残り、成長できるでしょうか?はたして彼らに未来はあるのでしょうか?というのですから、アメリカの印刷業の話ではあっても興味シンシン、みなさん真面目に討論しました。

 イメージだけでいえば、アメリカの印刷業のほうが規模が大きいように思いますが、どうしてどうして日本の中小印刷業と規模でも売り上げでもほとんど変わりません。
レポートのなかでアメリカの印刷産業の三分の二は10人以下で、典型的な事業所は年商330万ドル、従業員は20人とありますが、ひょっとしたら、日本の方が上かも。

 とにかく「印刷はアメリカで最大の小さな製造業」だといっておりますが、これは日本でも通用するはずです。ならば、PIAのレポートから何を学ぶかですが、ことWebなどITとの絡みでは日本の印刷業よりも4~5年は先を歩いている彼らがどう考えどう行動しようかとしていることは私たちが日本の印刷の未来について考えるのにも参考になるはずです。

 そうはいってもここであまり、長々とお伝えしても退屈でしょうから、結論を紹介しましょう。
Small is Beautiful、中小印刷業は大規模企業と競争できる実現可能な未来を持っているというのです。レポートではそのための鍵をいくつか具体的に示めしているのですが、これも一般の方にはやや縁遠いでしょうから割愛することにして、あらゆるビジネスに向くことを拾いあげますと
 ①自社の顧客をより知ること ②特化した分野で付帯サービスを多様化すること
③高値受注を奨励する法主制度を履行することなどなどでした。

 そして定例会の話題はTOKYOに決まった「オリンピックと印刷受注」という日本の問題に移りました。
 やはり、私は上記①と②、営業活動がカギを握ると思うのですが。
勉強が荷が重かったのでしょうか、夜中に目が醒めてしまいました。はからずも「中秋の名月」の日でした。
 私のボケボケ写真の月の下のあたりが、2020オリンピックの選手村になるあたりでしょうか。
 


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勝どきで「太陽のマルシェ」

2013-09-14 16:24:56 | 活版印刷のふるさと紀行

 『東京カレンダー×BAY SIDE AREA』というフリーペーパーの創刊号を手にしました。

 勝どき橋のたもとに、今日から日本最大級のマルシェがスタートするということをうたっていましたから残暑の中をのぞきに行ってきました。 近年建った高層マンションの下の児童公園を目いっぱい会場にした明るいテント村はマルシェというより南仏の海水浴場を連想しました。

 開場して2時間後でしたが、かなりの人出でした。圧倒的に女性客が多い感じだったのは、果物や無農薬の野菜などの店が多いせいでしょうか。

 あのヨーロッパのマルシェのような生活感はありませんでした。残念ながら生きている鶏やウサギの足をしばって吊り下げてあったり、魚や貝が板の上に無造作に並んでいるようなマルシェではありませんでした。

 わが買い物はというと、先週稲刈りをして、昨日精米したばかりという千葉の「新米」、一升売りで600円。無農薬のにんにく、さつまいも、そしてゴマとにんにくのドレッシング、甲州ワインは横目で見ただけでガマン、ガマン。

 それにしても太陽のマルシェのネーミングはどこから来たのでしょう。東京ベイエリアの一角このあたりが決定したばかりの2020年の東京オリンピックではいちばん日の当たる地区に違いないのですが。

 

 

 

 

 

 

 

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西暦と元号の表記

2013-09-08 16:23:17 | 活版印刷のふるさと紀行

 朝早くからオリンピックの開催が日本にきまって2020年の大合唱です。それは大変結構ですが、私なんか、こんなにモノゴトが西暦だけで通用するのはめずらしいなと思ってしまいます。

 といいますのは、私のように古い時代のことを書くことが多いと、ついつい西暦と元号を併記するのが習い性となっております。元号というよりも邦暦といった方がいいでしょうか。たとえば、日本で最初にグーテンベルク方式で金属活字を使う印刷がされたのは、1591年(天正19)みたいにです。歴史小説などでは元号が主でときに西暦が入っていることもありますが、作家によってそれぞれのお考えをお持ちのことからでしょう。

 元号は平安時代ぐらいから天皇の即位とともに新しくなるのが普通になったようですが、それでも地震のような災害が起きたからとか、黒船が来たからとかいうような特異な社会現象で変更されることがあったようですから一概にはいえません。明治天皇のひとつ前、孝明天皇のときのように弘化・嘉永・安政・万延・文久・元治と7回も変更になっている例さえあります。

 2020年ごろはどうなっているかわかりませんが、いまの世の中では西暦・元号併用がまだま幅をきかせていますし、ちょっと奇異なのは「運転免許証」がいい例で、官公庁ではまだ平成25年などと使われ、西暦はお目にかかれません。ならば、区役所はと思って「健康保険証」を改めて見ましたら、これも元号表記オンリー。さすがにパスポートは西暦表記ですが。

 ついでにといってはなんですが、400年以上も前に日本人コンスタンチノ・ドラードが印刷した『マルチノの演説』に「ご降誕以来1587年6月4日…」とあります。キリシタンだからといえばそれまでですが、それから日本で印刷されたキリシタン版にはご降誕以来として発行年が西暦表記されております。

 私はこれからも執筆上は西暦・和暦表記は続けます。そのほうが読者も時代把握が容易のような気がするからです。昭和人間のせいでしょうか。それより、2020年、オリンピックの年、運免許証や健康保険証に西暦表記はされているでしょうか。若い人の頭の中ではたして西暦と元号が同居しているかどうか知りたく思います。

 

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