地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場





1ヶ月ほど前、職場近くの帰路でバスと並ぶ。このあたりで見るバスの終着は久居駅東口がほとんであろうが、カッコ書きで”ハチ公口”と補佐されている。渋谷にある犬だけの像は有名だが、博士の出身地;久居の近鉄駅口には上野英三郎博士(明治44年東大教授=農業土木~大正14年)とハチ公が一緒する像が建てられている。今日の写真には載せることできないが、帽子が博士の頭から無くなったり・戻ったり との噺は記憶がある。近場の偉人、ちゅうより有名人のお一人ですな。下のネタにより、銅像は5年ほど前の建造ですか

***************以下、中日新聞のニュース?のコピペ*************************
2016/09/16

 三重交通(津市)は、近鉄久居駅東口のバス停に「ハチ公口」の副題を付けた。忠犬ハチ公の飼い主として知られ、近代農業土木学の第一人者の上野英三郎博士(1872〜1925年)は津市久居元町の出身だ。ハチと博士の感動物語にあやかり、久居の活性化への期待も乗せたバスが発着している。

 上野博士は、用排水路の整備などの近代農業土木学を体系化し、東京帝国大(現東京大)の教授として後進を指導。1924年に秋田犬のハチを自宅で飼い始め、ハチは博士の送り迎えのため東京・渋谷駅に通った。
 翌年に博士が急逝した後もハチは10年近く同駅に通い続け、その様子が新聞で報道されると、全国に「忠犬ハチ公」の名が広まった。ハチの死の前年の34年には渋谷駅にハチの銅像ができ、今も渋谷のシンボルとなっている。ハチと博士の物語は感動を呼び、87年には仲代達矢さん主演の映画「ハチ公物語」にもなった。

 4年前には、博士を顕彰しようと、地元有志らが近鉄久居駅の東出口前にハチと博士の銅像を建てた。地元の盛り上がりを受け、三重交通は4月、ダイヤ改正に合わせて久居駅東口のバス停に「ハチ公口」の副題を追加。平日は津市の久居〜香良洲方面をつなぐバスが約18往復し、停留所のほかバスの行き先表示にも副題を付けている。同社の担当者は「副題が付くことで地域の人に親しみを持ってもらえたら」と話す。





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