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徒然綴り・・・歌詞&ひとり言

【再】「天皇」について考える

2016年10月22日 19時02分40秒 | Weblog
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(前段)

「植物人間」と云われるような状態になって、
壊れた人形のようにベッドに日々寝ているだけで、

指一本自分で動かすことが出来ず、
うんともすんとも声も出せない人は、
生きていても無意味でしょうか。

社会的に1円分の労働もしないで、

国の保険に負担をかけて、

家族に経済的にも時間的にも負担をかけて、

病院の中のベッドをひとつ、
生きている限り占領することになる、その命。

その命は、
国にとって、
病院にとって、
家族にとって、

「お荷物」でしょうか。

ひとは、
お金をかけてまで
生きながらえさせる意味が無いと言うけれども、

言葉が喋れなくても、
指一本動かせなくても、

私の母は、なんでも判っていました。

病院の駐車場に
家族の運転する車が入って来た時や

孫たちがエレベーターに乗って、
その階へとやってくるその過程。

普通の人には何も聞こえない、そんな音や気配を感じ取ると、
心拍数を上げて、
機械に現れる波形と数値で、
付き添っていた私に、

もうすぐ賑やかな見舞客がやってくることを
知らせてくれるような人でした。

いつの間にか
母の生命を維持しないことが決まっていて
突然別れがやってきましたが、

私は母に生きていてもらいたかった。

ただ眠り続けるだけの母であっても、

子供にとっては、

「また会える母」なのです。

しかし生命維持装置を外したり、
治療を断念することになって、
亡骸が空へと旅立ってしまったならば、

もう、二度と、会えないのです・・・。

手をさすってあげることも、
髪をとかしてあげることも、もう、二度と出来ないのです。

「ただ、居てくれるだけでいい!」。

子供にとっては、それが正直な思いです。

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■「生前退位」


◆国民の精神文化と「摂政」

日本には、
「永いこと(長いもの)は、おめでたい」という
価値観が、いつの時代にも、ずっと在った。

「息が長い」ということは素晴らしいことで、
その言葉通りに「息の長い」謡曲、
息継ぎと息継ぎの間の時間をいかに長くするかを現したような
邦楽曲、民謡なども多く、

お神楽、お祭りなどの、
おめでたい神事の際に舞い踊るものが数日間続けられたりしたのも、
「長いことがおめでたい」からだ。

天皇にもまた、
長く在位していただくことは、
国民から見て

在位期間が長ければ長いほどおめでたい(国が安泰な)ことを
示していた。

天皇の崩御、
そして
ひとつの時代が終わりを迎えることは

国民にとって、
何重もの悲しみと不安になってしまうのだ。

国民の切実な「永遠なる願い」がそこに在って、

その時代・その時代の
「今上天皇がいてくれさえすれば安泰な世の中」のすがたは、

確かに、存在してきた。

もしも天皇が
公務を摂政に任されることになっても、

「自身で公務を果たされない天皇は天皇である資格がないと思う」

などという発想は、
日本国民の中に、恐らく皆無と言っていいだろう。

天皇の価値は、果たされた公務の数ではない。


そこに現実的な折り合いやツジツマを求めるような
天皇と国民の関係性ではナイ(と私は思う)。

だから
いつの時代の「今上天皇」も、
公務に忙殺されるのではなく、

国民の生活をも含めて日本の隅々までを
ゆったりと観察していだたけるような

時間的余裕の中で過ごしていただき、

「日本の天皇で良かったな~」と思っていただきたいものだなぁ~

(そう思ってもらえるような社会を作っているだろうかという
新しい観点で国民が
社会を見直すことが必要な時代になっているのではないか)


私は、個人的に思う。

(初めて、天皇が公務で忙しいという事実を知った時は、
「天皇を働かせるとはどーゆーことだ?!」
と思ったものである。)


◆天皇陛下の「お気持ち表明」

そのような流れからゆくと、

天皇陛下の「お気持ち表明」を、
自分で見たり読んだりしても、

だからと言ってすぐに
何かをイチ国民として判断する・・・には至らなかった。


国民生活への影響、
遺された家族への配慮、というお話を聞いて、

それについて納得出来なかった国民は、
多分イナイに違いない。

むしろ、
今上天皇が、
非常にモットモな改善を求めていらっしゃるのだなぁ~
というふうに、
関心したり、尊敬したりした国民は、沢山いるに違いない。


◆「天皇」の「定年制」

本日初めて私はこの言葉を知った。

色々とお考えになり、
責任ある公務を果たすには・・・、という観点から
さまざまな検討をされたことが伝わってくる思いだ。

と、同時に、
「定年制」というものが敷かれることになっても
やはり

「摂政が必要な状態が来た時にはどうするのか」
という問題については、
課題として残るような気がする。


また、
誠に言いにくいことだが、

恐らく、
身分や立場のある人達は言えないだろうから

あえて私が言うが、


「定年制」にしてしまうと、
「天皇」の意味が変ってしまう。


「定年制」にしてしまうと、
「天皇に即位する」ことが、

「代々何歳になったら家業を継ぐことになってます」
・・・みたいになってしまう。

このことは、
「天皇」という「位」の価値を、著しく下げてしまう。


そして、
「天皇」と国民との間に、
大きな溝が生まれてしまうような気がしてならない。


しかし、
時が経てば、
国民も「天皇の定年制」に慣れてしまうだろう。

その時には、
「職業としての天皇」として天皇を見つめることになるので、

当然、
そのスキマに、
ギロンを差し込んでくる勢力が居るのであって、

「女性天皇」と「女系天皇」をごちゃ混ぜにしての
政略結婚や、
遺伝子の別系統への移行、
外交的な策略・・・
などが吹き荒れて、

財政的な意味も含めて
「天皇制を問題視する流れ」が起こり、

「廃止論」が用意されるであろうことも、
想像に難くない。


また、
退く年齢が明確になってしまうのであれば、
それが内政・外交に、
「悪用されない訳がない」のである。


◆千代に八千代に

「君が代」は、

君が代(天皇よ、あなたの時代)が、
苔のむすまで、末永く、
どうぞ続きますように・・・

という心の歌である。


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■「瀬」