紫島書庫(SIKIJIMA書庫)

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『火廼要慎(ひのようじん)』京都市右京の愛宕山に突撃。

2007年08月03日 | 近畿旅事変
久々の更新ですねぇ。
ここ最近は日本橋に京都に天王寺に教習所に飛びまくっていました。
近畿でそれなりに有名だと思うのですが京都の『愛宕山』に登山。
千日参りです。登り下りでお地蔵さんにご挨拶。
さりげなく、5,6年以上ぶりの愛宕山。しかも個人的に災難関の清滝ルート。
しかも、これまた久々の深夜登山。何故かって?
真夏の昼に標高1000m足らずの山を登ったら暑さで死んじゃいます。
水を持っていくだけで疲労が・・・。
修行僧ではないのでそれは勘弁してください。
それとも何ですか?山に滴った登山者の血と涙と汗で『火廼要慎(ひのようじん)』するの?
実際、下山した時にはTシャツがゾウキンでしたが(苦笑)

某タクで素人仲間と清滝まで進軍。
地名を疑えない水の音。暗くて滝は見えませんでしたが。
出店の前を失礼し、鳥居をくぐってスタート。深夜2,3時に登山開始。
某所で初対面の人が最短40~60分とか言っていたが、紫島は信用せず。
そんなことをするのは千早赤坂村ルートの金剛山を駆け上っていけるやつだけだ。
箱根駅伝に出ろ。っていうか、山の神になれるぞ。
ということで、素人陣にペースを合わせることに。
登山者さんたちと「おのぼりやす」「おくだりやす」「おきばりやす」の合唱を繰り返し、お地蔵さんにお参りして行進。
仲間で唯一のまともな軽装。まぁ、まともとはとても言いがたいのですがね。
途中、子供連れ、子どもを背負うお方が降りてくるのをみて、ちょっと青ざめました。
いや、結構な数でして紫島の血の気が・・・。
おくだりやす」とは言っておいたものの、内心「おっちゃん、間違ってもすべるなよ!」と叫んでいました。
何せ、上り下り通して16丁目~26丁目までが最大の難所だと紫島は思っていますので。
理由は愛宕山を登山すればわかるのですが、急な石段、段差が連続していてあそこで挫折する方は多いかと。
ほぼ10丁目ごと(全50丁目で一丁目ごとにお地蔵さんがあります)に休憩所があるのですが、他にも現在地を教えてくれる『○×/40』という看板が・・・。
でも、休憩している方が多いところに限って『○×/40』の看板が一ケタ台と追い討ちをかけています。
まぁ、40丁目らへんにある休憩所で日が昇るのがわかり始め、危機感を覚えてスピードアップ。
鳥居を抜けて、やや長い距離を歩いてなんとか境内へ。
さすがに標高が1000m近くあると市内と温度が約10℃低く、涼しかったのですぐ体温下がりました。

そして、ご来光。

写真撮影。オバ様たちがはしゃいでました。
樹木が邪魔で撮影しにくいのと、ランナーハイがさらに発破をかけて若返らすものだから困ったもんなんですね。
そういうことで300円払って自販機で500mlペットボトル購入。
1000mあがるだけで2倍か・・・。これも賽銭と思えば良いのです。
ガブガブ飲み干してさっそく本殿へ。
ここの階段があるのを忘れてはなりませんね。だから、一息ついたわけですが。
登って御神籤もせずに箱にお金を入れましたよ。そして、神頼み(笑)
そして一通り巡って古いお札をお払いしてもらって下へ。
一枚500円のお札を買いました。値上げしてない?
古い記憶だが、前は400円より安かったような。
ちなみに千日参りは1000日→4年のご利益があるとか。
下手すると8年近く火事には見舞われていないので「ありがとうございました」といって帰ってきましたよ。
でも、問題はこの後です。
愛宕山って日本史に登場した覚えがありませんが、火産霊命(カグツチ)も祭ってますし、和気清麻呂、役小角、後白河天皇、明智光秀と錚錚たるメンツが関係しているのですが、時代背景のせいか早々に帰してくれません。
清滝ルートは特にですね。最後の最後に恐怖の石段地獄。
よくみたら石垣もあるし・・・。足がガクガクして転落しそうになっている方が多数。
紫島は何はともあれ怪我もなく、無事に帰宅してきましたよ。
でも、清滝のバス停で携帯が圏外なのはどうなの?
いや、一応一本は立つときはあるんですが、点滅するのはどうよ。
『あくゆう』関係の曲を聴きながら投稿しました。


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