スペイン野球記2

地中海の風                 ~セミプロ野球(FCバルセロナ)の後半戦の記録~
  

●モロッコ記(9) ~パスポートを紛失~

2005年11月30日 | モロッコ記
                                 ▲マラケシュの駅長室にて

パスポートを紛失してしまいました!

ここで重大事件が発覚しました!!
ポケットに入れておいたハズのパスポートがないのです!
かばんも持ち物も全てのポケットも探しましたがやっぱりありません!
冷や汗が出ました。
パスポート紛失の事実を確信してしまったのです!!
どんなに色んな国を回って体験したとしてもパスポートを失くしてしまったら
全てがおしまいです。
そこで考えたのが、モロッコは日本と国交がある。
よって首都であるラバトに行けば、日本大使館か領事館はあるハズだろう…
と予測しました。待てよ。その前に色々来た順番で無くしたと思われる経路を
辿ってみよう!と思いました。
ハイヤー時代の研修で一度、千駄ヶ谷にあるモロッコ大使館に行ったことが
あるので、モロッコと日本は国交があるのは知ってましたが、
首都であるラバトには日本大使館があるのでそこまで戻るのか?
と思うと旅が中断してしまうことを悟りました。
「ヤ、ヤバイ!」とにかく思い当たる節を辿ってみることにしました。
一番濃厚なのが、寝台車のベッドで寝ている時におしりのポケットから
落ちた可能性だ。とりあえず、駅まで戻ってみることにしました。
マラケシュの駅に着くと来た時に乗った列車は案の定すでに出発していました。
ただし、マラケシュ行きだったので、おそらく昼だし、寝台車は切り離し
しただろうと思っていたのでさっそく駅長室に行き、駅員にいいました。
そして待つこと10分、なんとパスポートを持ってやって来たのです!
嬉しくて思わずマイケル・ジャクソン奇声を発してしまいました。
良かった良かった!駅長さんにお礼を言ってつかさず一緒に写真を撮りました。

     ~続く~

●モロッコ記(8) ~マラケシュへ~

2005年11月30日 | モロッコ記
▲おやすみバルサ…

8.マラケシュへ

朝目覚めてトイレに行くと辺り一面の風景が異国な光景そのものでした。
そうだ、旅行中なんだと改めて目覚める。
やはり船便もそうですが、夜行列車には情緒とロマンがある。
おっとっと!モロッコの時間とスペインには1時間の時差があることを
思い出す。モロッコはイギリス、ポルトガルと同じ
グリニッジ標準時を採用しているのでさっそく1時間遅らせました。
そして朝8時半にはマラケシュの駅に到着しました。

●モロッコ記(7)

2005年11月30日 | モロッコ記
▲タンジェ駅

7.夜行列車にて(タンジェ→マラケシュ)
約1時間半ほタンジェの広場から新駅までは2人で20DH。
タクシーでボラれないように相場を確認後にタクシー乗り場へと行く。
明らかに供給過多だ!これはいい。こっちがタクシーの運ちゃんを集めて
一番安いのに乗ろうか?とも思ったが意外と面倒くさい。
そこでボラなさそうな老人のドライバーを探すといました。
感じのよさそうなドライバーが…。さっそく駅まで送ってもらうことにしました。吹っかけてきた奴らは100DH や50DHと言ってきたが、このおじさんは20DH オッケーだ!さっそくタンジェの駅で夜行のチケットを買い、またメディーナ、ビーチ、街を散策して再び駅に到着。いよいよスリリングな街マラケシュへ出発です! 

●モロッコ記(6) ~タンジェの街~

2005年11月30日 | モロッコ記
6.タンジェの街

約1時間半ほどでモロッコのヨーロッパサイドの玄関、タンジェの街に
着きました。街をさっそく散策。
さっそくお腹が減ったのでマクドナルドへ行くことにしました。
皆さん、外国に来ていきなりマック?と侮ってはいけません。
ここタンジェのマックは特別(Especial)なのです!
なんとマック世界三大景色ベストスリー(私が勝手に名付けましたが…)
にランクインされるからです!! 
地中海のマリンブルーと空のブルー、
タンジェの港と遠くイベリア半島が見渡せる絶景は丘の上にある
このマックでは格別なのです。
しかもビッグマックセットなど頼みません。
頼むのはマックアラブという
現地限定でアラブ系のラム(羊肉)セット。
これがうまいんです。 
悪評判だったタンジェでしたが
欧州とはガラッと変わったこの異国情緒にもすぐに慣れ
いつの間にか楽しく、さっそく好きになっていました。
モロッコの来る前のイメージと来た後のイメージが大分変わりました。
モロッコはズバリ、アフリカではなくアラブの国で黒人はほとんど
見かけませんでした。
夜行列車(21:00発)でタンジェ→マラケシュへと向かいました。

●モロッコ記(5) ~モロッコへ~

2005年11月30日 | モロッコ記
▲インドの詐欺師達

5.インドとの比較
例えば、デリーの街など100m歩けば構われないことはない。
物売りのオンパレードはOK! “Hey!”“What do you want?”と
挑発的に攻撃のさらに追い討ちで5人来られて腕を捕まれ
ストーカーまじりに喧嘩モードで来られるのは本当にタチが悪い。
両腕を捕まれ無理やり変な事務所に連行され一晩軟禁状態に
させられたのは事実である。
おまけにニューデリーの空港で会う予定していた
親友ジェーもタクシーの運ちゃんに連行され半拉致状態。
というわけで私の中で「インド」という基準があるので
「インドよりはマシやろう!」の土台は相当根強いです。
「なめるなよ日本人!」そして、ようやくタンジェの
ターミナルに着くと「いました!いました!」
客引き、自称ツアーガイドが…。
「ボンジュー!」
「ハロー!」
「コンニチワ!」
「ニホンジン?」
マシンガン連射モードだ。
旅行者はまさに歩く金!バックしょった
旅行者=カモがねぎ背負った状態に映るのだろうか? 
幸い僕らはねぎ(リュック)は背負っていない。
手ぶらブラ!「ナメるなよ日本人!」と
反骨精神に思わず火が点きそうになりますが、
もう一人の自分が「抑えて抑えて!」と囁く。
取り合えず帰りの便の時間を確認して
なるべくすぐその場を立ち去ることにしました。
それでもウザい!
「Excuse me!」
「Where are you going?」
「I help you!」
「What do you want?」…
ともう攻撃モードだ。
こっちがそれに応戦すればデッドヒート確実で
ひたすら「No thank you!」
うーんやっぱしインド以来3年振りの久々の攻撃に合いました。
でも結果から言うと警戒レベル5は違う!
ベトナムと同じ2で大丈夫!
ということでさっそくレベル2に引き下げ決定です。
(このレベルを地球の歩き方に付けたるか?)とも思いました。
そんなこんなでそのまま€からDHへと両替し
自称ツアーガイド達はシカトで通り過ぎ
さっそくタンジェの町
メディーナ(迷路状の旧市街)を散策することにしました。

●モロッコ記(4) ~モロッコへ~

2005年11月28日 | モロッコ記
4. タンジェ(モロッコへ)

今回は見えました!
イベリア半島からアフリカ大陸が…。
船の甲板に出ると進行方向右がスペイン
左がモロッコ…と見渡しながら強い風を受けながらの航海です。
高速船だったこともあり、揺れがひどく、ほとんどの人が酔っていました。
こういう時、伊豆で乗った漁船の経験が効きます。
そう、「漁船よりはマシだろう!」のメホールケナダ精神です。
今回の旅の同伴者西沢君も少し酔ってしまったよう。
私もまさかこんなに揺れるとは思いませんでした。
竹 (独) 島ツアー(韓国サイド)もかなり揺れそうですが
今度機会があれば乗船してみたいです。
あれこれ、約1時間半ほどでモロッコのヨーロッパサイドの玄関
タンジェの街に到着しました。

モロッコのタンジェに着き、船の扉が開いたとたん
ポーターやガイド(政府(非)公認)がどっと群がってくる。
「ああアフリカに来たんだ…。」と実感する瞬間でもあります。
モロッコ&特にタンジェのあれこれ、前評判、悪評ぶりを
イヤと言う程知らされていたので
「来るなら来い!」「俺等騙されんゾー!」「ナメるなよ日本人!」
と相当の覚悟を決めてインドの時並みに気合を入れ
旅の個人警戒レベルを5(MAX)に引き上げ
さっそくモロッコの地に足を踏み入れました。

ちなみにこの最大値5は何を意味するか?というと
①「全く落ち着ける場所がない」
②「いざという時の逃げ場所が全くない」
③「全員が詐欺師」といった具合に
物売りの並のしつこさではなく腕を捕まれ
100mも自由に歩けないプレッシャー&精神的ダメージを
与えようとする場所です。
私が一人旅した中ではデリー・アグラベルト地帯の
インドがそれ(5)でした…。

●モロッコ記(3) ~ジブラルタル越え~

2005年11月27日 | スペイン野球記2
                            ▲ジブラルタル越えconバルサ

3. ジブラルタル越え
ジブラルタル(Gibraltar)の語源はアラビア語のジブエル・アル・タリクで
「タリクの岩」を意味しています。
ジブラルタル海峡を渡って8世紀にイベリア半島を征服した
ウマイヤ朝の将軍であった彼の名にちなんだ地名だそうです。
ほとんどが石灰岩で占められているので農耕などには
不向きの地なのです。そして、現在もスペインはジブラルタルを
自国領と主張し、領土問題となっているので
まさに竹島を髣髴させました。
対岸(アフリカ側)のスペイン領セウタの山とともに
ヘラクレスの柱と呼ばれる特徴的な岩山になっています。
また、大西洋と地中海をつなぐ要衝であるジブラルタル海峡を
望める良港であるため、軍事的に重要な意味合いを持っているのも
確かです。(セグロ、セグロ!)

ズバリ、欧州の大きい竹(独)島と勝手に呼ばさせて頂きます。
ここでは、英語 (公用語)、 英語の影響を受けたスペイン語方言である
ラニト語も話されています。
そして、あのジョン・レノンとオノ・ヨーコが結婚式を挙げたのも
ここジブラルタルだったのです(1969年3月20日)。

●モロッコ記(2) ~ジブラルタル海峡~

2005年11月27日 | モロッコ記
                            ▲ジブラルタルの岩山

2.ジブラルタル海峡

ジブラルタル(Gibraltar)は、イギリスの海外領土の一つで
イベリア半島の最南端に位置しています。 
領域は陸地側がスペインに接し、半島になっていて地中海に面しています。  
言語としては英語、スペイン語、ヘブライ語、アラビア語が広く用いられている
そうです。 
かつてスペインがユダヤ人を追放したことからジブラルタルには
独特のユダヤ人コミュニティが成立して、
モロッコなどからアラビア語を母語とする多くの商人や労働者が渡来し
居住しているようです。

●モロッコ記(1)

2005年11月27日 | モロッコ記
                               ▲機内の中でバルサ…

11月23日(火)

1. バルセロナ→マラガ→アルへシラス→タンジェ

機内といえばやはり普通クラシックが定番ですが
ちょっとイケイケなテクノ系音楽が流れているのは
スペインのローカルな航空会社だからでしょうか? 
私もイケイケモードにバルサのユニフォームで便乗。
日本だったら「変な人…」で片付けられてしまいますが
バルセロナ出発ということで最初は恥ずかしながらも
バルサ!バルサ!の歓迎モード。旅の景気付けもちょっとGetです!

朝6時45分、まだ暗がりの中、バルセロナを出発。
飛行機で飛ぶこと約1時間半
南スペインの町でピカソ生誕の地として有名な
「マラガ」に着きました。
ここの街は半年振りです。
前回は、海峡越えはできませんでしたが、
今回はスペインのイベリア半島を挟んで
ジブラルタル海峡の向かいにある国モロッコに渡ります。
飛行機でひと飛びはしません。
やはりアクセス&行くまでのプロセスも大切なので
マラガからモロッコへの玄関アルへシラスまで
バスで約1時間半、そしてアルへシラス→タンジェは
フェリーで行くことにしました。(高速船行き€30フェリー帰り€10)

●モロッコ記

2005年11月27日 | モロッコ記
                      ▲モロッコ

●モロッコについて

旅に行く前の計画もやはり旅の醍醐味の一つで、
野球で例えると:
「旅の計画=練習」 
「旅行中=試合」 
といった図式が成立します。
さらに旅は「人生の縮図」って言うと
ちょっと大げさに聞こえるかも知れませんが、
しなければ傷つかないし楽。
でもすればリスクも多くて楽しい分、
離れる時に切ない気持ちになることもあるのですが、
旅の出会いも、新たな自己発見の意味合いも兼ねるので、
しないよりは絶対にした方がいいし、
少しでも色んな世界を知りたいから、
いつもワクワク・ドキドキミステリー
一生旅人でいたいです。

さてさてモロッコの正式名称は:
モロッコ王国、通称モロッコは、アフリカの国で首都はラバトです。
今回は時間の関係で、タンジェ、マラケシュのフナ広場、
メディーナ、フェズのメディーナなどを訪れることにしました。
モロッコはアルジェリアと西サハラに接し
大西洋と地中海に面しています。
映画でも有名な町、カサブランカのある国です。

それぞれの都市を地図に照らして日本の緯度に例えてみますと
タンジェがほぼ東京と同じ(北緯36度)
フェズがほぼ和歌山、ロサンゼルスとだいたい同じ(北緯34度)
そしてマラケシュは宮崎(北緯32度)といったところです。
ちなみにバルセロナはだいたい青森(約41度)と同じで
アメリカでいうとちょうどSalt Lake City。
ヨーロッパ自体意外と緯度が高いというのが分かります。