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【霊告月記】第十九回 村上春樹は『騎士団長殺し』第三部を書くだろうか?

2017年05月01日 10時00分00秒 | 霊告月記16~20

【霊告月記】第十九回 村上春樹は『騎士団長殺し』第三部を書くだろうか?


今月の霊告月記は『騎士団長殺し』についての連続ツイートを掲載します。


2017年04月10日(月) 


村上春樹の新作『騎士団長殺し』を読み始めたところだ。いままでの作品にくらべて格段におもしろい。文章もより平明で奥行きが深くなっている。もちろん村上節も健在だ。例えば、こんなふうに⇒

例文:「人には聞かなくていた方がいいこともあるのだろう。しかし人は永遠にそれを聞かないままでいることはできない。時が来れば、たとえしっかり両方の耳を塞いでいたところで、音は空気を震わせて人の心に食い込んでくる。それを防ぐことはできない。もしそれが嫌なら真空の世界に行くしかない」。

ふと思った。まだ全体を読み終えてない段階で言うのは何なのだが、もしかしたら、この引用文には『騎士団長殺し』という作品を解くカギが秘められている。その直感の根拠を述べるなら、作家はこの断章を通して我々にある決断を迫っている、そういう響きが感じられる。作家が読者に宣戦布告をしている。


2017年04月11日(火) 


『騎士団長殺し』より引用→「ぼくが馬鹿げたことをしなくても、現実というのはそれ自体でじゅうぶんたがをはずしているみたいに見える。だから自分一人くらいはできるだけまともに振る舞っていたいと思うんだよ」←『不思議の国のアリス』の中での主人公アリスの発言としても通用する。春樹=アリス?

更に引用⇒「実際に私のまわりを取り囲んでいるのは、たがのはずれまくった現実なのだ。私までたがをはずしたら、それこそ収拾がつかなくなってしまう」←森友学園問題でゆれる日本。このたがのはずれまくった日本で、アリスのように生きることは可能か? そう村上春樹は問いかけているように思える。

小説は現実よりも面白い。そして小説は事実よりも貴重である。そのことを証明したのが村上春樹の『騎士団長殺し』という作品である。籠池前理事長、聞いてる?

2017年04月12日(水) 


『騎士団長殺し』を読了。完璧な作品だ。騎士団長をして、村上春樹のこの小説を語らしむれば、おそらくこうなる。⇒

騎士団長「彼は自ら血を流し、肉を削るようにしてこの小説を書いたんだ。おそらく一生に一度しか書けない種類の小説だ。これは彼が自分自身のために、そしてまたもうこの世界にはいない人々のために書いた小説であり、言うなれば鎮魂のための小説なんだ。流されてきた多くの血を浄めるための小説だ」

ただしこれは騎士団長が下すであろう『騎士団長殺し』という作品に対する評価であって、私の評価ではあらない。私自身の評価は現時点で保留する。時間を味方につけるまでは。


2017年04月15日(土) 

村上春樹は『騎士団長殺し』第三部を書くだろうか? 実は第三部への伏線はしっかり張られている。試練の旅に出た主人公は川の渡し場で顔のない男に会う。舟に乗る条件として男は代価を要求した。主人公は顔のない男の似顔絵を提案するが紙がないことを理由に却下。代わりに少女のお守りを譲渡した。

顔のない男は言う「いつかおまえにわたしの肖像を描いてもらうかもしれない。もしそれができたなら、ペンギンの人形はそのときに返してあげよう」と。第二部で物語は完結したかに見える。第一部プロローグに出てくるのがこの顔のない男なのである。男は似顔絵を要求する。続編への伏線は貼られていた!


伏線が貼られているからといって実際に第三部が書かれるかどうかは作家の意志の自由に属するもんだいである。第三部を書くかそれとも新作に挑むか。それは偶然性と必然性と状況の推移次第でどちらに転ぶ可能性もある。村上春樹が第三部を書かず、続編は読者の自由な空想に委ねる可能性も大いにあるのだ。

  ※参考※⇒ 【創作】『カラマーゾフの兄弟』続編


】 霊告 【 かごめかごめ  籠(『騎士団長殺し』)の中の鳥(第三部)は  いついつ出やる  夜明けの晩(2017/2/25)に  鶴と亀が滑った(第一部と第二部発刊)  後ろの正面だあれ?


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