僕は無駄なことを真剣に取り組む人々に美しさを感じる。例えば、アイヌ民族の祭りでは子熊を育てた上で殺し、その精霊を捧げるとかなんとかするのだが、実際、神に祈るという行為に時給がない以上、生きていく上では無駄な行為だ。だが、その無駄の中に不思議な美がある。現実は、お金を稼がないことには生活ができないのだ。
  そうなると、そういった無駄な行為というのは、保護されている子供のようにも見えるだろうし、若しくは自己鍛錬の世界に見えるだろう。多分、僕は後者の見方をしているのだろう。それは恐らく『自主制作』というものに似ているかもしれない。
  無駄なこと。しかし、その無駄なことに注がれる生命の輝きは、何か神秘めいたような不思議な美しさがある。
  そうなると、そういった無駄な行為というのは、保護されている子供のようにも見えるだろうし、若しくは自己鍛錬の世界に見えるだろう。多分、僕は後者の見方をしているのだろう。それは恐らく『自主制作』というものに似ているかもしれない。
  無駄なこと。しかし、その無駄なことに注がれる生命の輝きは、何か神秘めいたような不思議な美しさがある。
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