思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

ノイローゼ?

2017-04-30 19:17:05 | 日常
  視覚や聴覚で人に気がつくと、その人の視覚が浮かんでる。それがまた、駅前の人通りの多い往来になると、万華鏡のように浮かんでくる。ああ、明日はもう月曜なんだぞ?
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2017-04-30 11:06:26 | 
父に彼女を奪われる夢を見る。抱かれている現場に遭遇する。家を飛び出し、崖上で朱色の月を見る。どうにもならないので母に相談する。証拠の写真も見せる。帰宅。父至って冷静。彼女開き直る。セックスレスが原因。ムカつきながらも新しい女を探し始める。
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ざれごと

2017-04-30 02:05:40 | 日常
  ミサイルが落ちる夢を見た。なんだかんだ夢の僕は地下に逃げようとしていたから偉いもんだよ。とはいえ、一瞬で消えちまうんだろうな。ある意味では幸福な気もする。
  近頃、何となく社会の大きな変化に巻き込まれているような気がする。その変化は決して明るいものではないと思うね。僕らの世代は苦労するような気がするな。就職とか、生活とか、そんなことじゃないぜ?  アイデンティティーの確立、理想主義者が社会に屈していくような感覚とでも言えばいいか。不器用で真面目な人ほど、働けなくなるような気がするんだよな。それは僕のことを指しているわけじゃないぞ。僕は下手すりゃ働く前に死にかねないからな。
  何にしても、生きる目的を定めないことには、何も満たされないかもしれない。僕らは賢くなりすぎた。金の価値をよく分かっていると思うんだよ。でも、だからこそ、今、ロマン主義が必要だと思うね。主観的世界を認めてあげるんだ。客観なんて実は無いんだぜ。愛に生きて、愛に死ねよ。今時、そんなのは鼻で笑われるかもしれないが、そんなものしか、僕らを慰めてはくれないんじゃないか。蟷螂のように死にたいと願ったことがあるかい?  雌に食われてしまうんだな。それを哀れと思うか、幸せと思うか。僕は後者だね。そう簡単に食わせるつもりもないが、どうせ死ぬなら胸の中で眠りたいものだよ。
  結局、死に方というのは、生き方で決まるのかもしれないね。そんなことを伊集院光さんは言っていたような気がするけど、まあそんなことはどうでもいいか。
  昔は崇拝してたね。全く本当にさ。あの時の病的な気持ちは、さすがに取り戻したいとは思えないね。君たち、別れた相手のことってどう思う?  再び交流を持ちたいとは思わないし、今死んでるかどうかも別に知りたいとは思わないけどさ。少なくとも、自分のそばにいた時よりも幸福であってもらいたいよ。今は随分落ち着いたけど、以前は本当に酷かったからね。あの頃の負い目は多分残り続けるだろうな。
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アクセス数

2017-04-30 01:57:21 | 日常
  アクセス数というのが、ブログを書く側になると確認できるようになることが分かると思う。このブログはひっそりとやってるし、身内にしか教えていないから、何かの縁で流れてくる方々もいるだろうけど、基本的には閲覧数にしてもIPにしても50はいかない。
  それでたまに物凄く増えることがある。最近、K子にこのブログを教えたから、K子が一通り記事に目を通していたのかもしれないが、IP数も多いからやっぱり何人かは見てくれているのかもしれない。
  本当に少ない時は一桁だったりもする。僕自身、休日ほど更新しないか、皆さんは休日に読むのだろうしね。まとめて読んでくれる方々には頭が上がらないものだけど、一体読んだところで何になるんだろうかね?  身内としては誰が誰だか分かるから面白いのかもしれないな。
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公魚

2017-04-28 22:04:26 | 断片・詩・構想・屑
  公魚釣り、わかさぎ。結構前に描いた作品だ。「云」を使っているしね。確かS先生が面白かったと言っていたが、それは転調の仕方にあるらしい。この転調の仕方は今後も活かしたいところだ。
  もう少し書き直したものがあったような気もするけど、これはいつ書いたものだろう。元々は三四年前ぐらいで、二年ぐらい前に一度書き直して、さらに一度書き直していたような……この文体を読む限りは一度書き直したもので二度目ではないと思うな。ああ、思い出した。今、この作品に描かれていたものは、今年書いたものの素材となっていたな。大沼の公魚釣り、またいつか行きたいもんだね。


  目を覚ますと車内には誰も居ないので、禎一は車から出ていった。白樺や欅が湖を囲うように広がっていた。雲一つ見当たらない空が、湖に銀光をもたらしていた。禎一がそうした光景に見惚れながら上着を着替え終わると、弟の悌二が丁度群れが泳いでいるところだと叫んでいるので、禎一は足早に駆けていった。
  禎一は小屋からドリルを借りてくると、悌二が開けた穴より離れた処に突き刺して、えいえいと湖を削り始めた。しばらくすると気泡の音が鳴り、削り取った氷が浮かび上がってくるので、黙々とスコップで掻き出した。それが終わると小屋から釣具と簡易な椅子を貰ってきた。釣り糸を穴へ垂らして両腿で竿を挟んだまま動かなくなった。風が流れてくる度に、手は凍てつくような寒さに晒されていた。ふと思いついたような顔をして懐に手をやると、ウィスキーの瓶を取り出して、蓋に注いでは舌の上に垂らしていった。公魚は群れを成して動くので、一度群れを逃してしまうとしばらくは釣れないのである。しかし、次第に耳まで冷やされていって、やがて痛みを感ぜられるようになってしまった。禎一としては度数の高い酒で寒さを和らげようという算段であったので、手袋も耳当ても車の中に置いてきてしまった。彼は少しの思案の後に悌二の方に向かって、手袋と耳当てを持ってきてくれと叫んだ。
「嫌だね。自分で取ってくればいいだろ?」
「分かった。少しだけこれ飲ませてやるからさ」
  懐からウィスキーをちらつかせると、悌二は仕方がないといった風に車へと駆けていった。その間に禎一は三匹ほどの公魚を釣り上げているのだが、これを自慢してしまえば悌二は不貞腐れて雑務を頼まれてはくれないだろうと考えて、自慢してやりたい思いを押し殺した。悌二は予想通りに、禎一が何匹釣れたのかを気にしているような様子でいたので、禎一はさっぱり釣れないぞと車の方まで届くように叫んだ。それを聞いた禎二は満足したような様子で車内の耳当てと手袋を探していた。禎一はその間にもう一匹釣り上げていた。戻ってきて手袋と耳当てを禎一に手渡すと、悌二は瓶を懐にしまいこんで自分の穴場へ行ってしまった。
  禎一が度々釣れている一方で、悌二の竿は全くといっても良いほどに動かなかった。時折動いたかと思って釣り糸を持ち上げてみても、何も引っかかってはいなかった。悌二は酒に弱かった。そのせいか、風の揺れなのか、公魚が引っかかる揺れなのか、まるで判別ができなくなっていた。悌二の傍には父が穴を掘っていったので、父が釣りあげているならば悌二の竿にも引っかかっている筈だと考えた。父が釣った。悌二は釣れなかった。父はまた釣った。悌二はまた釣れなかった。父が十数匹も釣り上げた辺りから、竿の様子は静まり返っていって、またしばらく群れはどこか遠くへ行ってしまったらしかった。悌二は空になった瓶を放り投げて、湖の上に寝転がった。
「傍にいるからといって、必ず釣れるものではないぞ。」
  父は誇らしいような、意地悪いような語調で悌二に話しかけた。悌二は見返してやろうと思って、再び竿と睨み合いを続けていたが、公魚というのは気儘なもので人の意思通りにはやってこないものであった。
  それから数時間が経ち、赤くなった陽光が銀光を赤く輝かせるようになった。夕空から薄暮への順序を保ち、湖や樹々の影が先までよりも幾らでも伸びていった。父は頃合いと見て、小屋の方へと歩き出した。それを見た兄弟はそろそろ終わるのだろうと思った。父の呼ぶ声が聞こえてくると、道具を小屋に立て掛けてから中へ入っていった。電気ストーブのおかげで幾らか暖かい部屋になっていた。漁師に釣りあげた公魚を渡した。漁師は水分をよく切って、粉を塗して油の入った鉄鍋の中へ入れた。勢いのいい油の音に、そう云えば昼から何も食べていなかったことを思い出してか、彼らの腹は合唱のように鳴り続けた。天ぷらが皿に盛られ、その上から塩をふりかけると、彼らはその日一日を有意義に過ごしたと云うまやかしに犯されて、悦に浸るのであった。

  私は釣り上げられた公魚であった。

  一月の函館であった。私は薬物の過剰摂取をして、精神病棟に任意入院と云う形で過ごすことになった。父の車で大きな病院に連れていかれると、階段で五階まで登り、しばらく別の棟へと歩いた後、エレベーターを用いて八階へと向かった。エレベーターの扉が開くと、目の前には何錠もの鍵穴の付いた分厚い扉があった。看護師に持ち物の検査をされた後、分厚い扉が開いたので足を進めていった。まず私の身長や体重を計り、翌日からはMRI検査を受けて脳が正常か否かを調べられた。私はそれらの非日常的な出来事が夢うつつに思われて仕方がなかった。また深夜になれば病棟内にいる患者が叫び始めたり、普段から看護師へ叫び散らすような患者がいたり、その為なのか看護師たちは男ばかりで構成されていた。それもがたいの良いものばかりであった。
私の一日を紹介しよう。以前は陽が昇り始めるまで全く眠られなかったのだが、十一時頃にはすっかり眠られるようになり、朝の七時から八時に起きられるようになった。私の日々の楽しみは食事ぐらいしか無かったので、直ぐにでも朝餉を貰いにいった。早く起きすぎた時などは、空腹に耐えなければならなかった。ここの飯は美味くも不味くもなかった。そもそも味覚など鈍っていたのかもしれない。何にしても、口に何かを放り込めることが日々の至福であった。食べ終えて食器を片付けた後、私は看護師に髭剃りを借りにいった。借りるといっても、私の髭剃りである。私が自殺や他人に傷を負わせない為にも、こうした刃物が付いたものは看護師が管理することになっていた。その頃はまだ個室に泊まっていたので、私は自室の水面台で自分の髭を剃っていた。それが終わればしばらくは何もすることがなかった。十時から十一時を迎えると、齢五十程度の女の看護師が
「原さん。身体洗いましょう。」
  と云って、私をシャワー室に向かわせるよう促してきた。断った後の厄介を考えると、私は渋々従わざるを得なかった。シャワー室利用の名簿に名前を書いて、私の番が回ってくるのを待つのであった。それが終われば昼餉である。それも終わればいよいよ何もない。本も何もなかったので、寝るぐらいのことしかできなかった。そして起きた頃には夕餉の時間となっていて、その日最後の楽しみを味わうのであった。
時折、家族が私の様子を観察しに来ることがあった。看護師はまず私に面会希望者がいると云う節を伝えて、私に面会を同意するかどうかを尋ねてきた。私も特別断る理由はないので了承すると、聞き慣れた足音の後に彼らが部屋へ入っていった。父が入り、弟が入り、そして申し訳がなさそうに母が入ってきた。父は私に此処での生活を尋ねてきたり、弟は私に何でもないような世間話を聞かせてくれた。母はと云うと、私に怯えたように眼をあまり合わせよう父の傍に立っていた。私は落ち着かなかった。彼らと話すことが心地良いことだとは思えなかった。寧ろ、一人でいることがこんなにも素晴らしいことなのだと感ぜられてばかりいた。私は実家に居場所はないのだと気づいてしまった。母が部屋の中の湿気を流すといって、片腕も出せないような小さな窓を開けていた。
  彼らが帰ってから、横になって天井ばかりを見つめていた。次第に身体が冷えてきて窓を閉めようとしたのだが、私はこの窓が何故こんなにも小さいのかを考えてしまった。窓の向こうの湯の川は、停留所や家々の屋根を伝って、夕焼けに照らされた白光りの雪が広がっていた。
夕餉を終えて横になった私は、服している薬のせいか、何かを考えようとする度に何を考えていたのか忘れてしまうようになっていた。一語一語を頭に思い浮かべては、一語一語が頭から消えていくのであった。それが苦悩に対する処置になっていた。ふと私は自分が異端や異常の中に立っていることに気づいてしまって、なんとも云えない至福を感ぜられた。私は先の面会を後悔した。彼らに窓を触れている私を見せてやればよかった。





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