那須温泉で民宿しながら猫の里親奮闘中💦

那須温泉の日常や裏方の紹介や奮闘記・・・ん。。。猫の里親奮闘中に変化?

温泉小話 2話【那須温泉史から】

2007年03月29日 18時44分17秒 | 温泉
那須温泉が文献や信仰の上から盛んになるのは江戸期に入ってからである。
大名の参勤交代が定着すると、江戸詰めの大名がしばしば湯治に出かけたという記録がある。
正保2年(1265年)南部藩主南部重直が「湯治願い」を幕府に出した記録に
「殿様 重直公 今九時那須御湯治御暇被候 御奉書 阿部対馬守殿ヨリ 参候」
とある。阿部対馬守とは、時の老中阿部重次(武蔵国岩槻5万9千石余)である。
南部重直は陸奥南部藩10万石の第三代当主で、南部家第28代目にあたる。
このように大名などの支配層から下は農民、商人、職人などの庶民を問わず、講などの信仰の見地と生活の安定化が進み、温泉地での湯治が全国的に行われるようになると、各藩の領内での経済活動も活発化となり、かつての小屋掛け程度の浴場が改修され、その周辺に温泉宿ができるなど、温泉地が整備されてくる。秩序を守るために浴中に守るべき掟が定められ、反面漢方を中心とする医療技術の元で、温泉効能が宣伝され、湯治が一般化されてきた。
温泉を江戸へ運ぶ「御汲湯」は1600年頃から始まり、特に「将軍御汲湯」が盛んになったのは、8代将軍 徳川吉宗 の時で、毎年冬季を中心に合計3634個の湯樽が運ばれたという。温泉一樽の値段は船賃を含めて銀五匁であったという。
自家風呂のない一般庶民には縁のない話であるが、江戸在府中の大名が塩原や那須の湯を江戸まで運ばせていた記録が残っている。