自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

田口さんのこと。

2017年03月04日 05時10分25秒 | おしごと日記
私はコミュニケーションが下手なので、
電話をしたり、実際に会って話をするのが苦手だ。
その反動か、毎日いろんな人のことを思い出しては、
心の中で会話をしていたりする。


全国を飛び回っている狂言師に、
あのとき私がずいぶんヒドイことを言ったのを
謝ってみたり。
北海道で永六輔さんと旅したとき、
いろいろ教えて貰ったことを思い出したり。
大学時代の演劇仲間で、卒業後に消息を絶ってしまったG君は
同じ空の下にいるのだろうかと考えてみたり。


昨日は、私の映像の師匠である
田口さんのことを思い出していた。


田口和博さん。
信念の人で、自分が書いた企画以外の仕事は決してしなかった。
なのでいつも仕事は少なく、会うたびに
「俺はもうクビだから、あとは林、よろしくね」
と冗談を言われた。
私の番組を気に入ってくれて、
とくに自転車探検部は欠かさず見てくれて、
「最後まで見ちゃった…」と感想を言いに来てくれた。


田口さんの有名な作品は、
「原爆の夏 遠い日の少年」という番組。
第二次大戦時、米軍の従軍カメラマンが撮影した1枚の写真をめぐって
話は展開する。
原爆の焼け野原にひとり直立する少年。
少年は唇をぐっと噛みしめ、目を見開くように前を見つめて立っている。
背中には、弟の遺骸。

それを撮影した従軍カメラマンのジョー・オダネル氏によれば、
少年が見つめていたのは火葬場の炎だった。

その少年の凛々しい顔が忘れられないジョー氏は、
60年ぶりに来日し、その少年の消息をさがして旅をする。
…という番組。
これはいろんな賞を受賞し、不遇だった田口さんの人生を変えた。
大きな賞を受賞すると企画は通りやすくなるようで、
田口さんは忙しくなった。
でも、仕事が増えたら増えたで
「こんなに仕事なんてしたくないんだ。あとは林、よろしくね」
とまた、冗談を言われた。



私は生粋のドキュメンタリストの田口さんのロケに
ADとして行ってみたかった。
田口さんがどうやって、相手の心の奥のほうにあるダイアモンドのような言葉を聞き出してくるのか、
知りたかった。
でも、AD時代の私は「ボンクラ」と呼ばれるほどの超劣等生で、
編集アシスタント以外の仕事には付かせてもらえなかった。
田口さんの真似をして、自分の企画だけで仕事するようになったら、
今度はそれで忙しすぎて、田口さんと仕事をする機会を失った。


そうこうしているうち、田口さんは亡くなってしまった。



亡くなる直前、田口さんが私のところへ来て、
「ゴルバチョフのインタビューが撮れそうなんだ。林、やろうよ」
と誘ってくれた。
しかしそれは実現しないまま、いなくなってしまった。



「ワンカット30秒以上見られるぐらいの力ある映像でなければ、使ってはいけない」
「インタビューってのは、その人が話す気になるまで何度でも通って、心を開くことだよ」


昨日は、田口さんから教わった言葉から、田口さんのロケを想像していた。
私は想像の中で人と話すことに慣れてるので、
田口さんとはいつでも会うことができる。
会ったあとは、必ず寂しくなるのだけれど。