新しく所属した組織であっても、そのネーミングからして自分の関心に近いと思い込んで会議にでてみると、どうも勝手が違う事がある。方針を持って活動してゆくうちに、現実へ対して柔軟な対応をしてきた結果、組織名と内実がずれてきていたのだろう。ニューフェイスにとっては不可解だが、なにしろ苦労のプロセスを共有していないので、分からない顔をしているままでいる。
地名の変遷もそうだが、学校名の変化も、ある場所についてのイメージの揺らぎを起こさせる。名前が変わるだけではなく、グランドがあるので校舎としての用途は変わらないが、通う年齢層が大きく変わることもある。ここ市立札幌大通高校と札幌中央幼稚園の場所は、2003年以前は、大通小学校だった。さかのぼると、1954年までは札幌北高等学校だった。その前身が1948年に名前を変えた札幌女子高等学校。
1975年の地図、大通小学校が植物園の西側にある。校舎は北側にある今と逆の南側だった。だからここが通用門だ。
1950年の地図には、同じ場所が北高校になっている。
さらに1926年の地図に遡ると、高等女学校の名が見える。
第1高女卒の夫の母は、今我々の職場近くのここに通っていたのだ。今の北高あたりの北25条あたりの話をしても、けげんそうな顔をしていた彼女を想い出した。
我々の孫が大きくなった時、このあたりで仕事をしていたのよと言って信じて貰えるのだろうか?遠い明日を引き寄せて立ちつくした。