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私はどこから来てどこへ行くのか・・・光の世界を追いかけて

景勝の土塁跡と伊達政宗屋敷跡

2009年12月31日 | 天地人

伏見稲荷の次は、景勝と兼続が作った伏見城の総構の土塁跡へ。

桃山町丹下の 栄(榮)春寺 と、桃山正宗町の 海宝(寶)寺 に跡があると聞いています。(伏見区役所HP)

栄春寺さんに行くつもりが、迷って海宝寺さんの正面駐車場に突入!

海宝寺さんは、 普茶料理 で有名なところなので、お客さんかとお寺の方が門まで出てこられました。(トップの写真)

正直に、新潟から兼続の史跡を訪ねてきている旨を伝えると、土塁は住宅地になってしまったと教えてくれました。(残念!)

が、お寺は伊達政宗の上屋敷跡なので、ゆかりの品々を見ていくように誘ってくださいました。(ラッキー!)


正宗公お手植えのモッコク。↑
樹齢400年以上と言われ、木が弱っているため包帯を巻いて治療中。
脇に仙台市から寄贈された二代目のモッコクがあり、屋敷跡の説明板も仙台市のものでした。

もう舞い上がったのが、正宗公のお位牌を見せていただけたこと!
サプライズ・ラッキーです!

高さ60cmは軽くある大きさ!
竹に雀紋と裏に死没の年号が入っています。

写真撮影も許していただき、持たせてもいただきました。
けっこう重いんですね、木なのに。(義父の位牌と比べたりして・・)

しかし、なぜここに位牌があるのか聞き忘れました。
海宝寺さんは300年ほど前に建てられていて、正宗はその70年以上前に亡くなっています。
またお位牌は、仙台市のお寺にもあるんです。
住職さんのお話では、今でも18代当主との行き来があるそうですから、深いご縁があるのでしょうね~。


今度は方丈(住職の居間)にあげていただき、見せていただいたのが、豊臣秀吉遺愛の手水鉢。(↑写真)
秀吉が鷹狩りに行って腰掛けた石を、記念に利休に持ち帰らせ、伏見城の白書院の手水として使ったもの。


何気なくつっきたのが「若沖筆投げの間」。(↑写真)
江戸時代の絵師、 伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう) が、この部屋の襖絵「群鶏図障壁画」を最後に、絵を描かなくなったので、そう呼ばれています。

件の襖絵は、京都国立博物館にあり、文化庁が運営する 文化遺産オンライン で見ることができます。(「群鶏図障壁画」にリンクしています)

その後、住職さんが来られて、お茶を振る舞っていただきながら、若沖の話やお寺の歴史などを、うかがうことができました。
信じられないほどラッキーな一時でした!


さて、本題の景勝の土塁は、栄春寺さんで発見!
裏手の墓地にひっそりと、でもしっかりとした石組みが残っていました。
やっと探せたよ・・・殿、兼ちゃん!

今回もいい旅で、この年を締めくくることができました!

皆様も、どうぞ佳いお年を!


皇己のセッションルーム Angel's smail です。


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