![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/2e/c87dacfeabc9c0b07414355c39402997.jpg)
17日の朝7時過ぎ我が家に帰宅したら、生け垣の金木犀は散ってしまってもう香りもしなくなっていました。
14日の夕方から16日夜まで愛媛県の西条市の「伊曾乃神社」例大祭に参加するため実家に帰省していました。
15日は0時を過ぎるとお宮出しのため、各氏子町内の80台に余るだんじり、御輿台(みこし)が動き始め、伊曾乃の杜に御神輿(ごしんよ)を出迎えるために集まり奉納します。
当初は一人で帰るつもりでしたが、長男が「玉津のおばぁちゃんと新居浜のおじぃちゃん、おばぁちゃんに会いたいし、祭りももう一度観てみたい」と言うので一緒に帰省しました。あと二つ目的は最近買った中古の車で走りたかったのと(一人で長距離は不安で)、私が無茶をしないための監視もあったようです(苦笑)
[祭りが観たい]が一番でないのはやはり此処で生まれ育った者でないので仕方がないのかもしれませんが、私にとってはちょっと寂しいですね。
石岡神社のログに書いたようにお宮出しはお参りだけして、参道を奉納に上がって来るだんじりを横目に、土砂降りの雨の中を旧イレブン跡の長男が待っている臨時駐車場まで後ろ髪を引かれる思いで戻りました。祭りに関しては息が合いません(寂し)
天気が良ければお宮出しを観て、七泰会や川人会のだんじり寄せや、御輿台とだんじりの練りあう場所を巡ったり岩岡さんのお宮入りを観て歩くつもりだったのですが、とりあえず実家の古い方の家で伯母の帰りを待つことにしました。
新しい方の家には従兄弟は勿論、嫁さんも子供達もお宮出しに出かけて居ないはずですから…西条人は老若男女皆挙ってだんじりの集まる場所に駆けつけるんですわ。
暫くして伯母が戻って来て「さぁさぁ新しい方の家へ行こ」と着くなり「カニじゃ、食べんかい!」と出された蟹は甲羅が大人の掌二つ分程もある「ワタリガニ」と言う茹で蟹で、西条祭りには欠かせないこの時期の祭り料理の一つです。しかし写真を撮り忘れたのは残念!
午後になっても雨は小康状態になったり、本降りになったり完全に上がる気配はなかったので、まず近藤泰山と言う彫り師が彫った七台のだんじりが集まる[七泰会]を観に行きました。
玉津だんじりもその中の一台で「玉津だんじりはよそのと彫りが違うなぁ」と子供心に思ってました。市塚はよく似ているし他にも有るなと思ったのが、やはりこの泰山屋台だったのかと近年「西条祭りホームページ」で知ったわけです。
その西条祭りHPの画像掲示板「楔」は写真を投稿できるので、いろいろな情報を画像付きで写真を持っている人がそのつど写真の欲しい人の要望に応えてあげています。
また「伊曾乃例大祭 西條祭り・西條」サイト(不二さんのサイト)では携帯電話からでも書き込みが出来る実況掲示板で、実況をしてくれ帰省出来ない人たちへ祭りの臨場感を配信してくれています。ほんとに便利な世の中になりましたね。
また西条祭りを研究している人も沢山居られてその文献なども沢山あるようです。
伊曾乃神社は成務天皇二十八年(158年)に創建、祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒魂・武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)が祀られ、昭和十五年には国幣中社に列格した由緒の有る神社です。また昭和57年には皇太子殿下浩宮様も御親拝されたそうです
祭りの発祥は定かではないのですが寛延3年(1750)と記されている文献もあり、江戸後期藩主松平候が江戸城中で仙台藩主伊達侯とお国自慢をされた際に贈ったとされる絵巻物が社宝として宝物館に納められています。
http://www.shikoku.ne.jp/isono/hyoshi/houmotsu/houmotsu-kan.html
15日に神様を還した御神與はお宮だし後、各氏子地区に渡御して神幸祭が執り行われます。そしてお旅所で一泊するので翌朝また各だんじり、御輿台がお迎えに行くのが16日のお旅所祭で再び堤燈に蝋燭の火を灯して集まり勇壮な練を展開、披露するのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/24/0d98658b357ba0a82b779ab2675ac0d7.jpg)
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御神輿 本町 お供だんじり
16日は15日の雨がうそのようあがり満月に近い月までも顔を見せていました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/65/6d0655bfe2b53cabec8ae388cb9aaa7a.jpg)
出発前の玉津三屋台
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下喜多川御輿台
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中西 御輿台 本年新調 都町、昨年新調 西新町、富士見町だんじり(不二さんの実家の地区のだんじり)
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上川原、都町 八丁そろそろ新調の話のある江戸さんの地区のだんじり
そして東の空が明るくなる頃だんじりは整然と並んで御殿前へ集結します。昔は藩主に挨拶とお披露目をするためだったのでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/04/2c4b4f96df13f1ba9cfbb0be67004059.jpg)
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伊曾乃の花形御輿台 中西、下喜多川、朔日市の御輿台 お堀端に集まっただんじり
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七泰会 新町 今年新調 都町 七泰会 玉津
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下喜多川御輿台 朔日市御輿台 中西御輿台
御輿台は伊曾乃祭礼の花形で4台あるのですが今年は喜多濱御輿台が奉納していなかったので寂しかったです。
そしてこの後16日は一日市内を巡行し自氏子地区を通る時はかき比べを披露します。
実家の近く玉津橋にも全屋台が集結し橋の上では玉津3屋台がかき比べをします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/4e/97469918cf35aafa541bf5c897535ca0.jpg)
玉津地三屋台のかき比べ三台同時に差し上げです 右端横黒はさんとうこうさんの地区のだんじりです
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神戸、大町地区のだんじり 神拝地区のだんじり
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玉津地区だんじり 西条地区のだんじり
この後また順次市内を巡行して、お旅所を経て加茂川東岸を目指します。そして市内お神楽場で神幸祭を終えた御神與が加茂川を渡って伊曾乃神社に戻るのですが、加茂川を渡ってしまうと祭りが終わってしまうので、渡らせるのを遅らせようと神戸地区のだんじりが川の中に入り、御神與とだんじりが川の中で練りあうのが「川入り」と言う伊曾乃祭りのクライマックスシーンです。そして御神與が加茂川を渡りきり、西岸にあるお神楽場で最後の神幸祭を終えると二日間の伊曾乃例大祭は幕を閉じます。
しかし、まだまだ名残惜しい氏子はこの後堤燈に火を入れ、各地域に別れて後夜祭と称するかき比べを行います。また14日の夜にも前夜祭と称して集まる地区もあり少しでもだんじりを触って居たいのが西条人です。
玉津の家で従兄弟たちと話しに夢中で遅くなり川入りを観に出かけたのは良いのですが、着いた時は既に御神與が川から上がった後でまさにあとの祭りになってしまいました(苦笑)川入りで会う約束していた友人とも会えずすみまっせんm(_ _)mしかし、懐かしい人と沢山出会えて良かったです。
そして、伯母や従兄弟夫妻、地区の方々にもお世話になるだけで、やりっぱなしで帰ってきたので申し訳なく思っています。皆さん有難うございました。
14日の夕方から16日夜まで愛媛県の西条市の「伊曾乃神社」例大祭に参加するため実家に帰省していました。
15日は0時を過ぎるとお宮出しのため、各氏子町内の80台に余るだんじり、御輿台(みこし)が動き始め、伊曾乃の杜に御神輿(ごしんよ)を出迎えるために集まり奉納します。
当初は一人で帰るつもりでしたが、長男が「玉津のおばぁちゃんと新居浜のおじぃちゃん、おばぁちゃんに会いたいし、祭りももう一度観てみたい」と言うので一緒に帰省しました。あと二つ目的は最近買った中古の車で走りたかったのと(一人で長距離は不安で)、私が無茶をしないための監視もあったようです(苦笑)
[祭りが観たい]が一番でないのはやはり此処で生まれ育った者でないので仕方がないのかもしれませんが、私にとってはちょっと寂しいですね。
石岡神社のログに書いたようにお宮出しはお参りだけして、参道を奉納に上がって来るだんじりを横目に、土砂降りの雨の中を旧イレブン跡の長男が待っている臨時駐車場まで後ろ髪を引かれる思いで戻りました。祭りに関しては息が合いません(寂し)
天気が良ければお宮出しを観て、七泰会や川人会のだんじり寄せや、御輿台とだんじりの練りあう場所を巡ったり岩岡さんのお宮入りを観て歩くつもりだったのですが、とりあえず実家の古い方の家で伯母の帰りを待つことにしました。
新しい方の家には従兄弟は勿論、嫁さんも子供達もお宮出しに出かけて居ないはずですから…西条人は老若男女皆挙ってだんじりの集まる場所に駆けつけるんですわ。
暫くして伯母が戻って来て「さぁさぁ新しい方の家へ行こ」と着くなり「カニじゃ、食べんかい!」と出された蟹は甲羅が大人の掌二つ分程もある「ワタリガニ」と言う茹で蟹で、西条祭りには欠かせないこの時期の祭り料理の一つです。しかし写真を撮り忘れたのは残念!
午後になっても雨は小康状態になったり、本降りになったり完全に上がる気配はなかったので、まず近藤泰山と言う彫り師が彫った七台のだんじりが集まる[七泰会]を観に行きました。
玉津だんじりもその中の一台で「玉津だんじりはよそのと彫りが違うなぁ」と子供心に思ってました。市塚はよく似ているし他にも有るなと思ったのが、やはりこの泰山屋台だったのかと近年「西条祭りホームページ」で知ったわけです。
その西条祭りHPの画像掲示板「楔」は写真を投稿できるので、いろいろな情報を画像付きで写真を持っている人がそのつど写真の欲しい人の要望に応えてあげています。
また「伊曾乃例大祭 西條祭り・西條」サイト(不二さんのサイト)では携帯電話からでも書き込みが出来る実況掲示板で、実況をしてくれ帰省出来ない人たちへ祭りの臨場感を配信してくれています。ほんとに便利な世の中になりましたね。
また西条祭りを研究している人も沢山居られてその文献なども沢山あるようです。
伊曾乃神社は成務天皇二十八年(158年)に創建、祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒魂・武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)が祀られ、昭和十五年には国幣中社に列格した由緒の有る神社です。また昭和57年には皇太子殿下浩宮様も御親拝されたそうです
祭りの発祥は定かではないのですが寛延3年(1750)と記されている文献もあり、江戸後期藩主松平候が江戸城中で仙台藩主伊達侯とお国自慢をされた際に贈ったとされる絵巻物が社宝として宝物館に納められています。
http://www.shikoku.ne.jp/isono/hyoshi/houmotsu/houmotsu-kan.html
15日に神様を還した御神與はお宮だし後、各氏子地区に渡御して神幸祭が執り行われます。そしてお旅所で一泊するので翌朝また各だんじり、御輿台がお迎えに行くのが16日のお旅所祭で再び堤燈に蝋燭の火を灯して集まり勇壮な練を展開、披露するのです。
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御神輿 本町 お供だんじり
16日は15日の雨がうそのようあがり満月に近い月までも顔を見せていました。
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出発前の玉津三屋台
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下喜多川御輿台
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中西 御輿台 本年新調 都町、昨年新調 西新町、富士見町だんじり(不二さんの実家の地区のだんじり)
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上川原、都町 八丁そろそろ新調の話のある江戸さんの地区のだんじり
そして東の空が明るくなる頃だんじりは整然と並んで御殿前へ集結します。昔は藩主に挨拶とお披露目をするためだったのでしょうね。
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伊曾乃の花形御輿台 中西、下喜多川、朔日市の御輿台 お堀端に集まっただんじり
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七泰会 新町 今年新調 都町 七泰会 玉津
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下喜多川御輿台 朔日市御輿台 中西御輿台
御輿台は伊曾乃祭礼の花形で4台あるのですが今年は喜多濱御輿台が奉納していなかったので寂しかったです。
そしてこの後16日は一日市内を巡行し自氏子地区を通る時はかき比べを披露します。
実家の近く玉津橋にも全屋台が集結し橋の上では玉津3屋台がかき比べをします。
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玉津地三屋台のかき比べ三台同時に差し上げです 右端横黒はさんとうこうさんの地区のだんじりです
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神戸、大町地区のだんじり 神拝地区のだんじり
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玉津地区だんじり 西条地区のだんじり
この後また順次市内を巡行して、お旅所を経て加茂川東岸を目指します。そして市内お神楽場で神幸祭を終えた御神與が加茂川を渡って伊曾乃神社に戻るのですが、加茂川を渡ってしまうと祭りが終わってしまうので、渡らせるのを遅らせようと神戸地区のだんじりが川の中に入り、御神與とだんじりが川の中で練りあうのが「川入り」と言う伊曾乃祭りのクライマックスシーンです。そして御神與が加茂川を渡りきり、西岸にあるお神楽場で最後の神幸祭を終えると二日間の伊曾乃例大祭は幕を閉じます。
しかし、まだまだ名残惜しい氏子はこの後堤燈に火を入れ、各地域に別れて後夜祭と称するかき比べを行います。また14日の夜にも前夜祭と称して集まる地区もあり少しでもだんじりを触って居たいのが西条人です。
玉津の家で従兄弟たちと話しに夢中で遅くなり川入りを観に出かけたのは良いのですが、着いた時は既に御神與が川から上がった後でまさにあとの祭りになってしまいました(苦笑)川入りで会う約束していた友人とも会えずすみまっせんm(_ _)mしかし、懐かしい人と沢山出会えて良かったです。
そして、伯母や従兄弟夫妻、地区の方々にもお世話になるだけで、やりっぱなしで帰ってきたので申し訳なく思っています。皆さん有難うございました。
ついに出ましたね~
写真の数、熱い思いの文章
期待してた通りでした
背中に「竹虎の刺繍」を付けた子どもを抱いたお母さんがそのあと喜多浜方面に歩いていってなかったですか?喜多濱の知人でした。
不二さん>有り難うございます。不二さんのホームページや掲示板でいろいろ教えて頂き、帰りたい気持ちが沸々と沸き起こりやっと帰ることが出来ました。
同じように他所に住みながら毎年欠かさず参加している不二さんには感服してます。
隅切葵さん>また近くにいらっしゃったんですね。そのご婦人には気づきませんでした。この辺りに鬼頭の友人が居たのでちょっと話していましたが…
カレンダーは今年はよかったですが、来年からだんだん悪くなります。けど、何とかごまかし、ひらきなおり、すかしたりしながら帰西したいと思います。
私は写真は苦手なので、このようなブログは本当にありがたいです。
ジュビロ磐田さん、不二さん、不二さんの掲示板の皆さんに触発され今までの我慢が爆発してしまいました
地元の幼馴染、友人達も現役で頑張ってますし、先輩方もまだまだお見えで私ももう少し参加出来るかなっと思いましたわ
さて、この度恥ずかしながら榮町上組HPを立ち上げました。不二さんのHPと比べればまだまだ未熟ではございますが、よろしければ覗いて下さいませ。よろしくお願いいたします。
http://www.geocities.jp/saketyoujp/index.htm
榮甼
寛永でなくて寛延です。また、記録は寛延3年の翌年とのことで、宝暦元年の記録のようです。
話は変わりますが、「ALWAYS 3丁目の夕日」
泣きました。一度1人で見て、その後の休日に家族3世代7人で見に行きました。反応は様々。
隅切葵さんも大変ご熱心な西条祭り研究家のようですね。またいろいろ教えて下さい。
「ALWAYS 三丁目の夕日」40代以上の人は涙もろくなっているせいも有るかもしれませんが泣けて来ますよね。一度見たら絶対続編を期待しますよ。