conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

大悲願寺と彼岸花

2010-09-30 20:39:00 | 日記
 如来仏の半眼にあり萩の庭

「大悲願寺」門前の彼岸花
photo by こんこんこん

大悲願寺観音堂「無畏閣」
photo by こんこんこん
多摩に住んでいながら、初めて訪れた名刹「大悲願寺」。前から行きたいという気持ちはあったのだけれど、ようやく機会を得て『郷土(歴史)研修会』のメンバーに加わって行ってきました。
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白萩の寺

2010-09-26 22:46:00 | 日記

photo by こんこんこん from OCNフォトフレンド


photo by こんこんこん from OCNフォトフレンド


photo by こんこんこん from OCNフォトフレンド


白萩の寺に埋もれる時を見る

伊達政宗にかかわる白萩の寺「大悲願寺」。
歴史の中で時とともに咲き誇る白い花は、清楚で可憐である。
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秋ほのか

2010-09-21 21:29:00 | 日記
猛暑のほてりも今日明日が峠で、それ以降は落ち着いた気温が続くようです。
現在室温30度のわが部屋だけど、南側の窓から乾いた風が吹き入り室温ほどの暑さを感じない。
窓を通して外気に当たっていると、ああ、まぎれもなく「秋」の季節が到来しているんだなぁ、と一人想いに耽っているのです。

今夏は野菜の収穫が少なく、かなり高値の出回りでしたが、狭小自作農園では苦瓜だけが豊作という特異現象に恵まれ、新規アイデア料理としてテーブルに供されました。
これも妻の領域ですが、私の弁当のおかずを考えるときに、どんな具でも見栄えと味のさじ加減をいい加減にしない、という自称「プロ」意識によって見事な作品を作り出しています。今夜の一品は佃煮風の「苦瓜山椒合い甘煮」でした。

残念なことに弁当を開いているときは、我一人が眺め口を動かしているだけで、他には誰もいないのが味気ない。
そんな夏ももう終わり、食欲の秋ということで精米20㎏を買ってきました。
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3羽のヒナ

2010-09-14 00:47:00 | 日記
『ねぇ、あなた、ちょっと来て』7階のラウンジで新聞を読んでいると、いつの間に来ていたのか、おばさんが声をかけてきた。
硝子戸をあけて屋上庭園に出ると、一株の小さな植え込みに向かってすたすた歩いて行く。もちろん私もおばさんについて行ったのだけれど、
『ほら、ここよ!』指差すところをみると、小鳥のヒナが3羽、斑に生えた産毛を寄せ合うようにして固まっている。

おばさんは『セキレイよ』と言う。「背黒セキレイ?」私は聞き返した。病院のまわりを頻繁に飛び交う、背黒セキレイを見ていたから即座にそう思ったのである。

その場近くに親鳥は見られなかったが、何処かで人間の不作法を見つめていたかも知れない。「ごめんよ…」
それから1週間後に植え込みを覗いてみると、巣らしい跡があるのみで3羽のヒナは見当たらない。

巣立って行ったのだ。病院のまわりを若鳥が舞っている。
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七夕のころ

2010-09-10 00:33:00 | 日記
あえて『闘病記』としないで『病棟記』にした振り返り日記も、タイトルが示すようにメリハリのない内容を載せてきましたが、コマ落としで早々に退院させてやりたくなりました。
病気を介して主治医や看護師さんとの意思疎通ができて、思いもよらなかった治療に恵まれたことは、一重に恩寵によるものと、虚心にして喜び感謝しています。
出会いがどのような形で表れるか・・・七面倒な理屈は抜きにして、因果作用の表われだろうとは思うから、『謙虚に』を心がけているつもり。

7月に入ると参院選の期日前投票が7日に行われた。病棟のエレベーターで7階の特設投票所に行き、監視員の前で投票を済ませた。希望者だけ、ということで意外と少ない人数でした。
七夕の夕食は特別メニューでもなかったが、『笹の葉と月』を印刷した一片の手作りのグリーティングカードを添えていた。食事はテレビを見ながら粛々と食べていたが、食べ終わって隣のおばさんが話しかけてくる。

手術した方の耳を押さえて、『あなた痛くない?私痛くって…先生の治療中が一番痛いのよ』
いかにも痛そうに言う。「いや、でもね、痛いくらいの方が感度いいってことだし…」「治療中の一過性の痛みだからその時だけ我慢して・・・」答えるほうは無責任に聞こえるが、その通りなのだからおばさんも納得してくれる。

続けておばさんに言った「痛いから体が硬直するでしょう。するといっそう痛く感じるものね」「全身を先生に預けて、だらりと肩の力を抜けばいいと思う、」
だけどおばさんも女だから、緊張するのは当たり前なんだけれど。
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図書館は避暑地

2010-09-02 22:10:00 | 日記
ごくごく最近のことながら、一つの楽しみを見つけた。図書館に通う楽しみを覚えたからである。と云うのも自室には興味で集めた本があって、わざわざ図書館に行かなくとも楽しみは得られるはずなのに、どうしたことか気持ちが外に向かってしまうのだ。すでに読んだもの、目次だけで素通りしたもの、と生半可な集積の装飾物になっている自室の本棚のまわりは、夏の重苦しい熱がしみ込んでとてもリラックスしてはいられない環境を作っている。

もちろんクーラーはあるのだけれど、どっかと腰をおろしていられない。気持ちがさきに逃げてしまうのである。文豪が家庭を顧みず愛人のもとへ走る心理とは、スケールにおいてもことの本質からしても話にならないほど差異があるのだけれど。

外にあるものに手を染めるという行為が、環境の移行による打開につながるという点では、いくらか似ている節もある。
実は図書館の中がとても静かで涼しいのである。それに大きな机がゆったりとした居心地で、他者に邪魔されないのがいい。

図書館では一番奥にある歴史のパートで、一段ごとに題名を追ってゆき、目のとまったところで本を引き出す。
こんな題名が目にとまった。

 『ヤマトタケるに秘められた古代史』崎元正教著 ケヤキ出版
 『遊女と天皇』大和岩雄著 白水社

古代史は謎だらけで、著者の視点しだいですごく躍動的と思われたのが『ヤマトタケ…』であり、『日本書記』の神武以来応神、推古天皇までの皇統譜の研究でした。
中でも『ヤマトタケる』のタケはタケ、内ノ宿禰であり、成務天皇も同人というところ
がおもしろい。
『遊女と…』は読み始めたばかりだが、おおらかな性に育まれた内裏の初夜が描かれたりして、思わず笑ってしまう。
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