自然回帰マーチャンダイジング

-地域-自然-デザイン-商品-生活-を繋ぐ遊び場・仕事場から

喜久醉という酒

2008-02-21 21:22:37 | Weblog

 掛川からクルマで東へ20分。ここは、藤枝市青島にある蔵元「青島酒造」である。酒造り最盛期のこの時期に、専務で杜氏の青島孝さんに無理を言って、ライフスタイルデザインカレッジのNippon学のプログラムをこの蔵元で開催した。

 ニューヨークで仕事をしていた青島さんは、家業を継ぐことを決意して藤枝に帰り、自らが杜氏となって喜久醉をリセットしてきた。晩秋から初春にかけては頭を剃り、肉も口にしないという別世界にいる青島さんが、めったに見せない麹室の扉まで開け、紹介してくれた。

 見事なまでにストイックなライフスタイルから生まれた、プリミティブな日本酒。多くのひとに味わってみて欲しい。本格的な春になったら、カレッジのファイナルイベントにこの酒で乾杯だ。

杉板外壁のまち

2008-02-15 14:53:59 | Weblog

 間人(たいざ)の民家は、その多くに杉板が外壁として使われていた。海に向かう路地に入って見渡すと、見事に全ての民家が杉板で囲われ、その向こうに海が微かに見えていたりする。

 峰山という駅に降り立つ前から、車窓から見える里山と民家の佇まいが気になっていた。京丹後市商工会の松井さんと、駅からクルマで会場へ向かう。その間じゅう、道路脇の民家とその連なり方に眼を奪われっぱなしだった。杉板を多用した民家や蔵は、瓦屋根が反っくり返るでもなく、非常にベーシックな佇まいを見せていた。ハウスメーカーの家が全く無いわけではないが、ごく僅かだ。

 里山は、トンネルを抜けると、海べりのまち「間人」へ出た。海に近い家の多くがコンクリートに固められている昨今、これほどまでに木造の家が残っているのは希少だろう。宿の若い男性は「ちりめんを織っていたからですよ」と言った。聞けば、ちりめんを織るからコンクリートの空間ではなく“呼吸する家”でなくてはならないのだ、と。これもひとつの“機能美”なのだ。

京丹後に見た風情

2008-02-14 21:43:16 | Weblog

 大寒波に見舞われた日本海側。タイミングを選んだように、京都の日本海側のまちを訪れた。ここは、京丹後市間人。間人と書いて「たいざ」と読む。聖徳太子の母、穴穂部間人(あなほべのはしうど)皇后が戦乱を避け、この地に御座所を設け滞在したのだそうだ。この漁師町は、建築の外壁に杉板を多用していることで、独特の風情を醸し出していた。海辺のまちながら、その一歩手前には、山が高すぎず低すぎずの里山空間があり、これまた味わいのある風景が連続している。

 このまちの観光協会青年部の方々と約3時間にわたるミーティングを行った。気持ちの良い人たちばかりで、自分たちのまちをなんとかしたいという意思が、スッと伝わって来た。あと二回ほど、この間人へ通うことになった。今回の滞在は僅かだったが、高低差のある路地や建築に魅了されてしまった。この写真だけではその魅力は伝わらないので、2回に分けて紹介して行くことにする。

モコモコに登ってみた

2008-02-09 18:14:49 | Weblog

 山とも丘とも違う自然の造形物“モコモコ”。この象徴的地形の中に暮らす地域の人たちと、約10個のモコモコに登ってきた。登るたび、風景は違って見えた。

 口々に「この歳になって、あえてこのモコモコに登るとは思わなかった」というものの、この一見酔狂な提案に対して、皆さん面白がってくれたようだ。

 自然がつくった地形がアートそのものでもある。その造形に登り、佇む人が居てこそ絵になる風景となる。モコモコに登る自分の姿は見ることができないが、モコモコのふもとから他のメンバーが登るのを眺めてみると、“人”が大切なアクセントになっていることがわかる。

 ここは、てっぺんがらくだのコブのように二つに分かれていたモコモコだ。コブの間から、モコモコの向こうにある風景がチラリと見えてくる。モコモコは曼荼羅のようにこの地域に点在し、風景の中に溶け込んでいる。これこそ、地域固有の資源であり、魅力である。

 モコモコ巡りのツーリズムを仕掛けよう。てっぺんに、小っちゃな造形作品も期間限定で置いてみるのはどうだろう。そう考えていたら、誰かが「何もなくて充分!」と声をあげた。

川に行く

2008-02-07 20:43:34 | Weblog

 2月の声を聞くと、ソワソワしてくる。すでに愛知県や岐阜県の一部の川は解禁になった。静岡県は3/1だ。

 3月初旬の初釣行には、仲間から狩野川への誘いが届いている。3月末には、毎年恒例となった小口修平さんとの釣行予定が入った。ライフスタイルデザインカレッジのメンバーたちとは4月の笹間川のイブニングに行かねばならない。春の時期に九州の川にも行ってみたい。宮崎の五ヶ瀬川。阿蘇近辺の川にも・・・。

 5月の声を聞いたら、遠山川への初詣では欠かせないだろう。そして6月は、やっぱり去年の釣りが印象的だった岩手だ。7月以降は大井川源流はもちろん開田高原あたりへ遠征か。まてよ、北海道はどうだろう・・・。
 
 考えれば考えるほど、まだまだ行っていない川がたくさんある。想い描くだけでなく、その川に行かなければダメだ、と去年の岩手釣行で思い知った。このブログを見ていただいている皆さん、今年はどうする?


イベント万能主義から決別を

2008-02-05 21:43:34 | Weblog
 
 気合いだけ、あるいは招聘・誘致型のコトおこしを推し進めた地域の低迷が顕著だ。その意味からも、花火大会のような規模や量の競い合いは、もう必要ないのではないか。地味でも、素地を生かし、素地を蘇らせられるコトおこしが求められている。

 コトおこしは「まずイベント」であり、「人をたくさん呼ぶ」ことが必須であるといわれ続けてきたきらいがある。しかし、イベントは万能ではない。地域づくりの目標の中でのコトおこしの役割と、イベントの位置づけを明確にすべきだろう。

 ①数値(動員、売上)ありきの【興行】なのか
 ②財産(知財、人材)づくりの【運動】なのか
 ③素地(資源、気風)を活かす【実験】なのか

 こうした役割や機能を明確にせず、コトおこしを全てイベントという名でひとくくりにしてこなかったか。「このイベントは実験だから人を集めなくてよい」と言われた試しもあまりないはずだ。しかし、本質的には人を集めないとならないイベントもあり、集めなくてよいイベントもある。目的に即すとどうなのか、という明確な整理と再編が必要となるだろう。

※まちづくり講習会での要旨紹介シリーズはひとまず終了します。

地域の個性あるライフスタイルが商品やサービスになる

2008-02-02 01:50:36 | Weblog

 ふだんの地域生活の中には、意外なほど「この土地ならでは」「この土地だからこそ」が存在している。そのことが、住む人にも訪れる人にも豊かなライフスタイルを提案し、おもてなしを具現化できる資源になる。今の時代は「知る人ぞ知る」がメジャーになってしまう。マスマーケティングは大量に広告を使い、買いたい人を確率論で探すからお金がかかった。インターネット時代では「私はあなたに売りたい」のワンツーワンマーケティングが成り立ち、これはそんなにお金がかからない。

 掛川で普及への道筋をつけたサイクルツーリズム。ローカルサイクリストたちの情報が、ブログを通じて「掛川には良いみちがある」「掛川には茶畑と水田の素敵な里山風景がある」と、遠方の都市部のサイクリストたちに評価されるようになった。そうしたみちや風景があることを、サイクリストではない地元の人がまだまだ気づいていない。
 
 インターネットの普及は、地域ビジネスには大きなメリットだ。この地域では数えるほどしかいないと思われるニッチ(隙間)マーケットも、全国に広げて考えれば、大きなマーケットになる。

 これからの地域ビジネス・地域商品は、誘致型でなく、より内発型であるべきだ。地域の資源、個性、素地を活かしたビジネス・商品とは何かと考え抜くのだ。よその事例に当てはめず、どれだけオリジナルなものができるか、が問われている。


地域資源が、地域の生活に活きているか

2008-02-01 20:27:15 | Weblog

 この地域の資源は何ですか?と訪ねると、日本昔話調に「~なんだそうだ」という答えが返ってくることが多い。「私はよく知らないけれど、あそこはいいらしいよ」という聞きかじり。自分の生活と資源との関わりは明らかにならない。その資源が自分の生活にどう関わっているか、その資源を使ってどう生きているのかが見えてこない。

 あなたのいう資源は、あなたにとって本当に価値ある資源ですか?

 例えば、里山の谷あいに冷泉が湧く泉があったとする。その時「そこにそういう泉があります」と言われるより、「私は1週間に数回、その泉に水を汲みに行き、風呂に使っている。他所のどの温泉より素晴らしい泉質だと思う」と語られた方が、資源としての存在感と説得力を持つだろう。

 実体験や実感を伴っているから、世の中に情報として出て行くとき、チカラが加わる。「これをこう使うと、こういう価値がある」という生活提案があって初めて資源となる。その資源をその土地の生活に活かせば、それは資産となる。