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当初は過小評価されていた福島第一原子力発電所事故の規模は、IAEAから旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所の事故と同レベルと位置づけられたほどの大事故でした。この事故は日本の原発は安全であるといった神話を打ち砕いたばかりでなく、国際的にも従来のように原子力エネルギーに依存し続けていくことの妥当性について大きな論議を呼び、ドイツ、スイス、イタリアのように国として脱原発の政策を打ち出す国もでてきました。我が国は過去の原爆投下と現代の発電所事故という二大原子力災害を経験しながら、政治の場の混乱もあって、国として脱原発の方向性を打ち出せずにいます。
そんな中で、7月2日、東京明治公園で原発ゼロをめざす緊急集会が開かれました。呼びかけた方々は、安斉育郎、飯田哲也、市原悦子、伊東達也、菊池 絃、根岸季衣、野口邦和、肥田舜太郎、本間 慎、湯川れい子の10氏です。主催者側の発表では約2万人の市民が参加し、集会後に代々木方向と新宿方向の二手に分かれて東京の街頭をパレードしました。やっと日本の首都でも脱原発に向けた市民運動が繰り広げられたことを、主要マスメディアは歯牙にもかけなかったようです。駄作ですが、会場から神宮外苑、青山通り、表参道のパレードの様子を撮影したビデオをアップしました。
原子力エネルギー抜きでは高い工業生産を維持して行けないとか、雇用の維持が困難になるとの理由にはもっともらしい響きがあります。しかし原子力エネルギーには今度明らかになったような、ひとたび事故が起きればそれまで培った成果を帳消しにする以上の被害の甚大さに加えて、放射性廃棄物の処分法が確立していないという大問題があります。原発敷地内に大量に貯蔵されている使用済み燃料棒も、冷却システムの不具合があれば潜在的に重大な危険物になり得るのです。従って、工業生産と雇用の維持を盾に従来のやり方を踏襲するのは、決して賢明な選択とは考えらられません。
以前このブログに省エネと小規模分散型エネルギーを推奨するエイモリー・ロビンス博士に関する記事を掲載しました。博士はこの中で、温暖化問題を追い風にした原子力復活は、注意深く捏造された幻想であり、リスクの高い原子力発電は民間投資を呼び込まないと論評しています。
代替エネルギーの候補とされる太陽光や風力のような自然エネルギーは、不安定な上に設置コストが高いとの批判があります。しかしそれなら原発建設は安くつくかといえば、決してそんなことはなく、事故が起きれば更に莫大な経費を要することになります。水俣病、薬害エイズ、血清肝炎などの被害者補償に責任企業や国が及び腰だったのはその額の膨大さにあります。福島第一原発事故の被害者補償は更に膨大なものになるでしょう。これまで日本の原子力発電が成長したのは、国の基幹政策として手厚い保護が加えられたからであり、そこにつながる政・官;産業会の利権構造があったと言えるでしょう。国の基幹政策を原子力から自然エネルギーに転換すれば、普及が進み、コストが下がり、雇用も生み出されるでしょう。予想される原子力に結びついた利権構造守旧派の抵抗を乗り越えて、自然エネルギー開発を進めるのが、今後の世界の潮流となることを期待しています。
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