特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

やめられない とまらない

2010-04-08 16:35:35 | Weblog
酒だね。
これが、やめられない・とまらない。
飲まずにいられるのは体調や心調が悪いときくらいのもので、休肝日なんて、それこそ新聞の休刊日くらいの日数しかないかもしれない。
特に、激しい労働をした日は“自分への御褒美”で、酒量が増してしまう。

前にも書いたが、最近のマイブームはウイスキー。
相手は、安モノばかりをだけど、それでも美味い酒はいくつもある。
費用対効果(値段と味のバランス)がいいのは、ディスカウント酒屋で買う12年モノの輸入スコッチ。
これを、酒屋の主人のアドバイスを元に、品定めをするのだ。

ただ、そんなウイスキーにも難点はある。
脳が強くやられるのだ。
他に酒だと、酔ってもそこそこの思考を働かせることができるのに、何故か、ウイスキーは脳が思うように働かない感じがする。
ただの飲み過ぎ? 酔っぱらいの気のせい? 科学的根拠はない?・・・でも、そんな気がしてならない。
そんな具合だから、ウイスキーは一人飲みのときに限る。
誰かと飲んでてハメが外れてしまったら、自分が困ることになるので。

やめられない・とまらないものの一つには、仕事もある。
仕事は、やめたくてもやめられない。とめたくてもとめられない。
嫌でも好きでも、生きてくために仕事は必要だから。
しかし、それがわかっていても「やめられるものならやめたい」という雑念が消えない。
大きな感謝と小さなプライドを持ちながらも、そんな思いが頻繁に頭を過ぎる。
・・・感謝と葛藤が交錯する毎日である。

そんな私でも、与えられた使命と責任は軽んじていないつもり。
そんなスタンスが見て取れるのか、たまに、人から、「その仕事は、貴方に向いている」と、褒められているのかそうでないのかよくわからないコメントをもらうことがある。
そう言われて、嬉しいような悲しいような、複雑な思いがする私だが、確かに、後先や回りのことを考えず作業に熱を入れてしてしまうことがある。
「依頼者の期待に応えるため」と言えば聞こえがいいが、それさえも眼中に入れず、ひたすら自己満足を求めて作業することがあるのだ。


「また、でちゃってさぁ・・・」
特掃の依頼が入った。
電話をしてきたのは、建築会社の担当者。
それまでに何度が共に仕事をしたことがあり、また、同い年ということもあって、フランクに話せる相手だった。

「とりあえず、見ないとダメでしょ?」
仕事を始めるうえで、現地調査は欠かせない。
その要領を心得ている彼は、私が現地調査を打診するまでもなくそれを理解していた。

「鍵は開けてあるから、都合のいいときに見てきてよ」
日時を指定されず、しかも、鍵まで用意されている現場はとても動きやすい。
私の動き方を知っている彼は、気を利かせてくれていた。

「どうせ内装はリフォームするから、うちの職人が入れるくらいまで掃除してくれればいいからさ」
最終的には、彼の会社の内装工事をもって原状を回復させるとのこと。
特掃をもって原状回復させなくてよいことに、重くなりかけた私のプレッシャーは軽くなっていった。

「凄いことになってるから、気をつけてね」
彼が言う“凄い”の意味を計りかねたが、百戦錬磨(?)の私は、たいして気にならず。
“故人が倒れていた場所はトイレ”“死後一ヶ月”ということだけを確認して、その他の状況は訊かず電話を済ませた。


出向いた現場は、一般的なアパート。
指定された部屋は、二階の一室。
外から見える窓を見上げると、そこには無数の動く黒点。
百戦錬磨(?)の私は、動く黒点にも心を動じさせることなく、脇の階段を駆け上った。

玄関前に立った私は、片方の手に手袋を装着。
そして、ドアノブを回してみた。
すると、打ち合わせ通り、ドアに開錠されている様子。
私は、片手のマスクを口鼻に強く当て、ノブを掴んだ方の手でドアを引いた。

「失礼しま~す」
出迎えてくれたのは、空を乱舞する無数のハエ。
しかし、そのハエらは私を歓迎していない様子。
そんなハエらに挨拶しても仕方ないのだが、私は、いつものクセで一声かけ、中に上がり込んだ。

「トイレは・・・どこかな・・・」
私は、頭上を飛び交うハエを掃いながら、故人がいたトイレを目指して、一歩・二歩と前進。
トイレの扉を見つけた私は、心の準備を整える間もなく、ハエに追い立てられるようにその扉を開けた。

「オイオイ・・・」
白いはずの便器は、まるで、ソースやチョコレートを塗りたくったような様相に。
更に、壁面の四隅には、ウジが登ったことによって付着した腐敗脂が二等辺三角形に残留。
また、下を見ると、汚泥のような液体が床を覆い尽くし、その中を無数のウジが蠢くことによって脂に光が映り、それが不気味な光沢となって視覚に入り込んできた。

「これじゃ、職人は入れないわな・・・」
そこに一般の大工職人が入れないことは、一目瞭然。
仮に、入れても、ドロドロ・ベタベタのまま大工仕事ができる訳はなく・・・
“職人が入れるくらいの掃除でOK”“凄いことになってる”という彼(依頼者)の言葉が甦り、その言葉に納得した私だった。

「やりますよ!やりますよ!やればいいんでしょ!やれば!」
私は、誰に愚痴るわけでもなく、冗談めかして自分と会話。
因果な仕事をしている自分と、それを客観視する自分とを対比させて、一人苦笑い。
不謹慎かもしれないけど、気持ちが折れないようにするため、そんなノリを自分に持たせた。


これは、今まで何度となく書いてきていることだが、特掃作業においては、着手時からその後にかけて自分の心情に変化があるのが常。
着手時の相手は“汚物”なのだが、作業進行とともに、その相手は、人(故人)に変わってくる。
更に、特掃魂がヒートアップすると、その相手は自分に変わってくる。
そして、自分がやれるところ・自分が納得できるところに到達するまで・・・つまり、自分を満足させられるまで、作業の手がとめられなくなることがあるのだ。

本件のトイレ掃除もそう。
初めのうちは、汚物で手が汚れることにも強い抵抗感があった。
しかし、液体人間でドロドロになったスリッパやタバコ、眼鏡を拾い上げていくうちに、汚物が人(故人)に変化。
同時に、特掃魂に熱がこもり始め、そのうち、便器の中に手を突っ込んで腐敗粘土を掻き出すことも、顔に飛び散る腐敗液を肩で拭うことも、作業服を汚しながら這うことにも抵抗感がなくなっていった。

もちろん、生前の故人を想像したところで、その生活ぶりや顔・姿まで知ることはできない。
しかし、汚物となったものが間違いなく生きた人間であったことと、故人がそうなりたくてなった訳ではないことは容易に察することができた。
そして、そんなことを考えると、必然的に作業の手は止まらなくなり・・・
結果、便器が元の白色を取り戻すまで、何度も何度も磨き上げたのであった。


生きること・・・
これもまた、やめられない・とまらないものの一つである。
しかし、それが、“やめたいもの”“とめたいもの”になってしまうことが少なくない。

人生は、やめたくなくても、いつか、やめることになる。
自分の力を超えた自然の摂理によって、いずれ、やめさせられる。
生きる営みは、とめたくなくても、いつか、とまることになる。
自分の領域を越えた自然の摂理によって、いずれ、とめられる。

その時を「黙って待て!」とは言わない。
泣きながら、愚痴りながら、不満をたれながらでもいい。
とにかく、待てばいいのだ。心配せず。
待つことによって、少しずつ自分が生きている意味がつかめてくるから。
そして、人生の終わりは、自分が思っているほど遠いところにあるわけではないから。










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