初心者のクラシック

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「楽聖」ベートーヴェン(第12話)

2007年05月02日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「楽聖」ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(第12話)です。

≪作曲家の肖像≫
ベートーヴェン:交響曲第9番
バレンボイム(ダニエル), ベルリン・シュターツカペレ, マーク(アレッサンドラ), フェルミリオン(イリス), シュトルックマン(ファルク), イェルザレム(ジークフリート), ベルリン国立歌劇場合唱団, ベートーヴェン
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【Ludwig van Beethoven】

裁判は決着をつけたベートーヴェンでしたが、次にはどんな曲を書くんでしょうか?お待ちかねのその続きからです。


(第12話)【交響曲第9番】
1822年になると、ベートーヴェンにとっては最後のピアノソナタとなる第31番、第32番を完成させます。

更に1823年には「ディアベリ変奏曲」を完成させます。この曲、実は1819年にディアベリという作曲家でもあり出版社も経営していた彼が自ら考えた主題(フレーズ)を元にウィーンに住む作曲家50人に変奏曲を作曲させて、それらを「祖国芸術家協会」として合作で出版しようとした、曲だったようですが、はじめベートーヴェンは1~7曲の変奏曲を作曲してこれを提出しようとしていたようですが、この主題に関心を持ったベートーヴェンは更にこれを自分なりに曲数を増やし、自分だけで全曲出版しようとしてしまったようです。

そのため、ベートーヴェンはこの企画からはずれ、一人でこれを作曲していたようです。ちなみに本家の「祖国芸術家協会」にはシューベルト、若き日のリスト、そしてベートーヴェンの弟子だったツェルニーも作品を提出し、1819年には出版されていたようです。

一方ベートーヴェンはこれを暖め33の変奏曲として1823年にようやく完成を見たということでした。そしてこれを単独で出版する事になるのでした。

そして、いよいよ新作交響曲「第九」の作曲に取り掛かることになりますが、この頃ベートーヴェンは、ある演奏会に招待されてるのでした。それはまだ12歳の少年ピアニストリストからの招待です。
リストの演奏会に出席したベートーヴェンは彼の演奏が終わると、ベートーヴェンがステージに上がり12歳の少年リストを強く抱きしめて額にキスをした。というエピソードも残っているようです。

ベートーヴェンは作曲に専念するため、バーデンにこもることになりますが、この頃ばバーデンに作曲家ウェーバーも訪れており、知り合う事になります。すると、これをきっかけにウェーバーは「フィデリオ」の演奏会を計画します。打ち合わせを込めた手紙のやり取りを何度かすると、ドレスデンで「フィデリオ」が上演されると、これが大成功を収め、ウェーバーはそのお礼をベートーヴェンに送っていたようです。

そんな中、1824年2月、遂に「交響曲第9番」が完成するのでした。
そしていよいよ待望の初演・・・という事になるハズでしたが、当時ウィーンではイタリア音楽が流行しており、特にロッシーニのオペラがウィーンの聴衆の人気を集めていました。そのため、一時ベートーヴェンはベルリンでの初演を考えていたようです。

しかし、これを知ったウィーンの音楽家たちが、またしても「ここでやってよベートーヴェン」キャンペーンを展開し、請願書を作成し有力貴族達の署名を集めると、ウィーンでの開催が決まるのでした。

そして5月、いよいよ演奏会当日に第九交響曲を初演する事になります。自ら指揮を執りますが、この頃にはかなり難聴が進んでいたため、単独ではなくウムラウフが助手として指揮台に上っていたようですが、第九の演奏が終わると、ベートーヴェンには聴衆からの大喝采が聴こえなかったため、客席を振り返る事が出来ません。
これを見かねたオーケストラのメンバーがベートーヴェンの手を取って客席に振り向かせると客席は割れんばかりの大喝采の渦が巻き起こっていたのでした。

ベートーヴェンは聴衆の大喝采のアンコールに何度も呼び出され、しまいには警察官が「静粛に!」と叫び出す程、会場は熱狂に包まれていたようです。


現在でもクラシックの代名詞とまで呼ばれる交響曲第9番を完成させるベートーヴェンですが、難聴は大丈夫でしょうか?このつづきはまた明日。

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