初心者のクラシック

有名な曲からおすすめの曲まで、できるだけ初心者にも分かり易く紹介します。

「楽聖」ベートーヴェン(第11話)

2007年05月01日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「楽聖」ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(第11話)です。

≪作曲家の肖像≫
ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス
ジンマン(デイヴィッド), チューリヒ・トーンハレ管弦楽団, ベートーヴェン, オルゴナソーヴァ(ルーバ), ラーソン(アンナ), トロスト(ライナー), ゼーリヒ(フランツ=ヨーゼフ), スイス室内合唱団, ネーフ(フリッツ)
BMG JAPAN

このアイテムの詳細を見る
【Ludwig van Beethoven】

裁判で甥カールの後見人となったベートーヴェンでしたが・・・、今日はその続きからです。

(第11話)【決着】
さて、こうして亡くなった弟カールと同名の9歳の息子カールを引き取ったベートーヴェンはカールをウィーンでも名高い寄宿学校に入学させ、ピアノ教師として自分の弟子であったツェルニー(現在でもピアノ教則本の著者として有名…そしてこの人の名前もカールだったりして…)を付けて、完全な教育体制を整えて可愛がっていたようです。

そんな中、1816年秋頃からベートーヴェンは体調を崩してしまいます。ベートーヴェンはあらゆる薬を飲み、マッサージなどの治療を行っていたようですが、あまり改善しなかったようです。そのため翌1817年には、ハイリゲンシュタットで療養に向かいます。

そして、なんとか持ち直してウィーンへ戻ると、秋ごろには「ウェリントンの勝利」の所有権をめぐって裁判を起こしていたメルツェルが訪ねてくるのでした。
メルツェルは新しく発明したメトロノームをベートーヴェンに見せると、ベートーヴェンはこれに絶賛し、それまで作曲した自分の交響曲に、メトロノームに従った速度表示を付けてシュタイナー社から小冊子を発行するほどでした。

そして、所有権の裁判も裁判費用を二人で折半する事によって、和解するのでした。

1818年になると、この頃からいよいよ「第九」交響曲の構想を練り始めていきます。しかしこの頃には、以前からの「難聴」が進んでいたようです。補聴器を付けたベートーヴェンは、ほとんど音が聴こえなくなっていたため、主に筆談でやりとりをこなし、甥のカールが耳元で大きく叫んだりして、コミュニケーションを取っていたようです。

しかし、一方でカールのピアノレッスンの際には、間違ったところを全て指摘して、正しく演奏し直させるなど、音楽に対する熱意はまったく衰えてはいなかったようです。

ところが、1819年になると、再びカールの後見人の座をめぐって実母ヨハンナが訴えを起こし、再び裁判によって様々な友人と知人を証人として、立てて一大問題に発展していきます。母親なら当然自分の息子を自分で育てたいと願う事は当然と言えば当然ですが、一方、子供の居なかったベートーヴェンとしても、かわいい甥に最上の教育を与えたかったようですが、それにしても、ちょっと熱が入りすぎかも…。

そんな裁判を続けながらも、作曲も同時進行でおこない、「ミサ・ソレムニス」を完成させます。そしてようやく1820年に裁判は決着し、ベートーヴェンが後見人の座を勝ち取ることができましたが、この頃ベートーヴェンは既に50歳を迎える事になるのでした。


久しぶりに再開を果たしたメルツェルとは和解できたものの、甥カールの母親とは最後までうまくいかなかったようです。裁判の間にも当然作曲は続けていたようですが、このつづきはまた明日。

【その他の作曲家の生涯はこちら】

音楽ブログランキング
   
「くつろぐ」ブログランキング⇔こちらもよろしく


最新の画像もっと見る

コメントを投稿